八対八というのはフィールドプレーヤーの数であり、ゴールキーパーはどうやら固定のようだ。橙チームのゴールマウスは三年生の志木が守り、紫チームのキーパーは二年生の西田が務めた。 フィールドプレーヤーが通常の試合より二人少ない分、グランドが広く感じられた。紫チームは大葉監督からリトリートするように指示されているのか、中盤でボールを失っても即座に奪いに返しにくるのではなく、素早く自陣に戻ることを優先しているようだった。 リトリートは元来「撤退、退却、閉じこもり」を意味する言葉で、フィールド上のほとんどの選手が自陣に戻り、ゴール前を堅く守る戦術である。大人数で引いて守り、ゴール前のスペースを無くそうとするチームを相手にゴールを奪うのは極めて難しい。 長身の黒田がゴール前に立ち、左サイド45度の辺りから兵藤が斜めにクロスボールを蹴り込むが、分厚い壁に何度も跳ね返された。 こぼれたボールを右サイドハーフの小峰が懸命に走って確保し、ハーフウェーラインを越えて中盤にするすると上がってきた平岡がボールを受ける。 ゴール前にディフェンダーが五人、その前を三人がきっちりと固めている。 対して、ペナルティーエリア内に攻撃側は黒田ただ一人では単純にボールを放り込んでもゴールを割ることは難しい。ならば、まずはディフェンスを寸断しなければならない。 権丈は右サイドに上がってきた小峰にサイドラインをそのまま駆け上がれと身振りで指示を出す。ペナルティーエリアの外で平岡からのボールを受けた権丈は、右サイドのコーナーアークを目指して走る小峰にパスを繋いだ。 ペナルティーエリア内を守る五人のディフェンダーがキーパーと重なる位置まで下がり、バイタルエリアを固めていた三人のうちの一人が小峰のチェックへと走った。 ディフェンスラインが全体的に下がり、ゴール前にわずかながらスペースが生じた。 「リターン!」 権丈が右手を上げながら、リターンパスを要求する。 黒田がニアサイドに向かって囮の動きをして、ディフェンダーを引き連れていく。 権丈は小峰からのリターンパスをワンタッチのグラウンダーで黒田が空けたスペースに流し込んだ。そこにディフェンダーの隙間を縫って侵入した東条圭が飛び込み、鋭く右足を一閃する。ボールはキーパーの西田の手を弾いて、ネットを揺らした。 「よしっ、オッケー!」 権丈がシュートを決めた圭に向かって親指を立てた。ホイッスルが吹かれ、橙チームはあっさりと交代を告げられた。 大葉監督は小さく拍手し、満足げな様子だった。 ゴールに直結するような仕事が出来ず、兵藤が浮かない顔でサイドラインを跨いだ。 「兵藤君」 大葉がちょいちょいと手招きした。 「実に素晴らしいクロスボールでした。完璧です。あの執拗な攻撃がディフェンダーを釘付けにしました。君はウイングが天職だけれども、サイドハーフも難なくこなせますね」 労うように兵藤の肩をポンポンと叩く。 「さすが左サイドの帝王。後輩に点を取らせるために、あえて無駄な攻撃を繰り返してスペースメークしてやるなんて憎いね」 平岡は兵藤の背後を通り抜ける際に、さらりとはんなりアタックを投げつけていた。 「星章戦でもこの布陣でいこうかと考えているのですが、どうでしょう兵藤君。左サイドの新地平を切り開いてみる気はありませんか」 兵藤の鼻の穴がぴくぴくと膨らみ、紅潮している。 「左サイドハーフ、やってみる気はありませんか」 救世主は君しかいない、とばかりの大葉監督の大袈裟な物言いに、兵藤が直立不動の姿勢で答えた。 「やります! いや、やらせてください!!」 「では、引き続きお願いしますよ」 にこりと笑い、大葉が首からかけた笛を吹いた。 「さあ兵藤君、出番です」 大葉が紫チームとの入れ替えを指示した。兵藤は左サイドを目指し、全力で駆けていく。 「何ですか、権丈君。私は変なことを口走りましたかね」 「いえ、別に」 兵藤と大葉のやり取りを聞いていた権丈は、まさか自分に矛先が向かうとは思っておらず、とっさに身構えた。 「兵藤のことを手放しで褒めていたので」 大葉は口元を隠すように顎をさすった。 「良い選手というのは、褒められてもいちいち浮かれないものです。浮かれたり、得意がったりしているうちはまだまだです」 「肝に銘じます」 「おい、ゴンスケ! さっさと来いっ!」 勇んで左サイドの新天地に移った兵藤にせっつかれ、慌てて権丈がピッチに入る。誰に言うでもなく、大葉がぼそりと言った。 「権丈君の場合は、もう少し調子に乗るぐらいでちょうどいいですけどね」
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