寒空に灰色の雲が浮かび、雪がちらつき始めた。 スコアレスドローのままPK戦に突入するという展開は、二回戦と準々決勝という違いこそあれ、前年の再上映を見るようだった。 「……どうしよう、吐きそうだ」 負傷退場した正ゴールキーパーの西田に代わって、ゴールを死守した志木が口元を押さえた。 「志木君、大丈夫。先行を取ったから」 コイントスから戻った主将の権丈が志木に笑いかけた。極度の緊張からか、青褪めた顔をしていた志木がわずかながらに表情を緩ませた。 PK戦は、常に追いかける立場の後攻はどうしても不利であり、先行が圧倒的に有利である、というデータがある。 センターサークルの真横で円陣を組み、「中途半端な気持ちで蹴るな。絶対に勝とう!」権丈は己に言い聞かせるように大声を張り上げ、チームを鼓舞した。 肩を組み合った洛陽高校イレブンの輪が沈み込み、雄叫びと共に地面を踏み鳴らす。 「順番、どうする?」 副主将の兵藤が円陣を組んだままに問うた。 「最後は俺が行くから」 権丈はあえて五人目のキッカーを志願した。 無論、昨年の悪夢を忘れたわけではない。 忘れるはずもなかった。 だが、主将として蹴らねばならない。 PK戦にもつれることが分かった時点で、最後は自分が蹴るのだ、と権丈は最初から心に決めていた。 「なら、最初は俺が行こう」 平岡が先陣を買って出た。冷静沈着を絵に書いたような平岡には珍しく、意気に感じての志願のように思えた。 兵藤が片頬に笑みを浮かべる。 「熱いね、激熱だね!」 「確率論的に言って、俺が一番確率が高いだろうからね。最善策を講じたまでさ」 平岡が仏頂面のまま答えたが、らしくないことは承知の上のようだった。 「愛してるぜ、平岡!」 兵藤が臆面もなく叫ぶ。両肩を組み合って出来た円陣は、同じ意思を共有した生命体のように感じられた。肩を掴み合う力に一層の熱がこもる。 「あと二試合、このメンバーで試合をしよう」 権丈が主将らしい一言を発した。この試合に勝てば残るは準決勝、そして決勝だ。今と同じこのメンバーで試合が出来るチャンスは限られている。ここまで来て、こんなところで終わらせたくはない。心の底からそう思えた。 「平岡先輩の次は僕が行きます」 東条圭が志願した。その眼光は鋭く、勝負師然とした雰囲気は兄の俊一を彷彿とさせた。 「よく言った! ならば次は俺が蹴る!」 兵藤が高らかに宣言するのを横目に、平岡が鼻白む。 「正直、そこが一番心配なんだよね。出来れば遠慮してほしい」 冷ややかに平岡が言い放つと、輪の中に笑いが巻き起こった。 「お前ら、どっちの味方だよ!」 ひとり激昂する兵藤をよそに平岡がちらりと黒田を見上げた。 「四番目は黒田しかいないね」 「任せろ」 蹴る順番が決まり、ファーストキッカーを志願した平岡はペナルティスポットにボールをセットすると、ゴールキーパーをまっすぐに見据えたままゆったりと助走をとった。 平岡はキーパーが左右どちらかへ飛び込むのを見越してであろうか、あえてど真ん中へと蹴り込んだ。右へ飛んだキーパーは戻り切れず、シュートがネットを揺らした。 平岡がチームメイトとハイタッチを交わす中、入れ替わりで志木がゴールマウスの前で大きく手を広げた。 桐郷学園のファーストキッカーも負けじとど真ん中のコースへと蹴り込み、ネットを揺らした。 セカンドキッカーの東条圭がボールをセットする。短い助走からゴールの左下隅を狙ったシュートはわずかな差で枠内へと収まらず、ポストを叩いた。 シュートを放った圭から一瞬にして血の気が引いた。 足がふらつき、チームメイトの元へと戻れない様子の圭を権丈が抱き抱え、列へと誘った。 対する桐郷学園のセカンドキッカーは確実に枠内に蹴り込み、ガッツポーズをした。 「大丈夫、俺が取り返す」 兵藤はそう言い残すと、宣言通りにシュートを決めた。 志木は自らに気合を入れるために両頬を叩いた。最後まで飛び込まず、キッカーの挙動を牽制し続けた。サードキッカーの蹴り込んだ右隅へのシュートに指一本、かろうじて触れた。 シュートの軌道が変わり、ボールはポストを叩いて跳ね返った。 「おっしゃあああああ!!!」 志木のファインセーブに洛陽高校ベンチが沸き返った。 フォースキッカーの黒田はキーパーの読みなどお構いなしに強烈なシュートを叩き込み、キーパーの手を弾いてそのままゴールした。だが、桐郷学園のキッカーもシュートを決めた。 八人の選手が蹴り終えて、スコアは三対三のイーブン。 権丈は気を落ち着けようと胸に手を当て、しばらくの間、目を瞑った。 審判の笛の音を合図に目を開けると、ゴール右上隅の一点がちかちかと点滅しているように見えた。 大きく息を吸い込み、そして吐き出す。 大丈夫、蹴れる。 長い助走から、思い切りよくボールを全力で蹴り込んだ。 キーパーはその場から一歩も動けなかった。 昨年とは違い、ボールはきちんと枠内へコントロールされていた。 だが、ボールはまたしてもゴールネットには収まらなかった。 クロスバーの下端を叩いて垂直に落ちたボールはその場で二回、三回とバウンドし、ゴールライン上にぴたりと止まった。 ゴールラインを完全には割ってはいないとの判定でノーゴール。 権丈は呆然とその場に立ち尽くした。 形はどうであれ、昨年に続いての失態だった。 一気に膝の力が抜け、ピッチ上に膝から崩れ落ちそうだったが、どうにか気力で踏ん張りチームメイトの元へと戻った。 決められれば負けだが、まだ負けてはいない。 勝負はまだ終わってはいない。 権丈は祈るような思いで、ゴールマウスへと向かう志木の姿を見つめた。
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