洛陽の月
朝の儀式

 権丈陽介の朝は宝探しから始まる。  朝、五時半にセットされた目覚まし時計が五つ、二段ベッドの下段に眠る権丈を取り囲む五芒星のように、手を伸ばしても、もうひと息で届かない絶妙の位置に配されている。  アラームがけたたましく自己主張し始める直前、目覚ましはカチリと機械的な音を刻む。その微かな音を聞くやいなや、権丈は寸分の違いもなく目を覚ます。  ベッドから抜け出した権丈は、自身を祀るように供えられた供物かのような目覚まし時計に手を伸ばし、順々に止めていく。  大元を辿れば、地鳴りのようないびきをかいて眠る兵藤を起こすために用意された品々だったはずが、いつのまにやら兵藤を起こす係に任命された権丈を起こすための品と化した。  であれば狭い室内に八つもの目覚ましはどう考えても不要なはずであるが、本人なりに一応の努力はしようと試みているらしい兵藤は時計を手放すことを頑として固辞した。  以来、権丈が八つの目覚ましのタイマーをリセットする係となる。そんな生活がかれこれ一年以上も続くと、それはまさしく朝の儀式ルーティーンめいたものとなっていた。  幼稚園の頃、夜眠る前に親から本を読んでもらったり、一緒に歌を歌ったり、その日の出来事についてお話をしてから眠っていた権丈は、あれもまた寝る前にこれだけはしないと眠れないという一種の儀式めいたものだったのだ、と高校生になり寮生活を始めてからふと気がついた。  起き抜けに冷たい水で顔を洗いスイッチを入れるのと同じように、毎晩同じ動作を行うことで一日の終わりにスイッチをオフにする寝る前の儀式は、教育的にも有効性が証明されているらしい。  サッカー部きっての知性派インテリである平岡の言葉を借りれば、パジャマに着替えるのはもちろんのこと、牛乳を一杯飲む、アロマオイルを焚く、ぬいぐるみを並べる、哲学書を読む等、今から眠るんだ、という合図を決めておくことで脳のスイッチも切り替わるらしい。 「寝る時の儀式があるなら、朝起きる時の儀式があったとしても、不思議じゃないよね」  兵藤との相部屋をそれとなく拒否した平岡は、兵藤と一緒の部屋が同じなのが嫌なわけではなく、自分は 「朝起きる時に目覚ましを使わないことを儀式として採用している」と言った。  兵藤を押し付けるための詭弁だとも思えたが、平岡が真顔でそう主張するならばそういう考え方も一理あるのかな、とも思えた。  権丈は五つの目覚ましを止めても尚、鳴り続ける電子音に耳を澄ました。残った三つの内の二つの居場所はすぐに分かった。うつ伏せになって眠る兵藤が両手に抱えていたからだ。  八つあるうちの五つが置かれる場所には定位置があるが、残りの三つの居場所は時計の持ち主である兵藤のその夜の気分次第だ。  多少鬱陶しくもあるが、それも寝る前の儀式だと強弁されれば、納得せざるを得なかった。  夜、兵藤が目覚ましを隠す。朝、自分がそれを探す。気がつけば、その一連の行為が共同生活を送る上での儀式となっていた。 「お早う、朝練の時間だよ」  両手に抱えていた目覚ましを止め、兵藤の肩を強めに揺さぶる。大きく身じろぎした兵藤はむにゃむにゃと呪文のような寝言を口走りつつ、「あと五分」と言って枕にめり込むように顔を押し付けた。  目覚ましのアラームが天井から降り注ぐような位置から聞こえる。そのやかましい音は、明確に二段ベッドの上段から響いていた。  スチール製の梯子に手をかけた権丈は、こちらに背を向けて眠る東条圭の寝姿を見て、うっすらと笑みを浮かべた。  枕元にお守りのように置かれた漆黒の目覚まし時計が、さっさと起きろよ、と警告音を繰り返し発する中、気持ちよさそうに熟睡できる様は将来大物になるであろうことを予感させた。動じもしない。  きっと、この子は大舞台でも物怖じしたりはしないのだろう。  外したら終わりのPK戦でも平然とした顔でシュートを蹴り込むのだろう。  複数の目覚ましが鳴り響く中、我関せずとばかりに熟睡できる神経は羨ましい限りだ。圧倒的に図太いというのは、サッカー選手に欠かせない特質なのかもしれない、と思う。 「お早う、そろそろ起きようか」  権丈が目覚まし時計を止めると、東条圭が寝返りを打った。半目も開いているし、もぞもぞ動いているから、そろそろ起きるだろう。梯子を下りて振り返ると、寝ぼけまなこの兵藤がベッドに腰掛け、歯ブラシを咥えているのが見えた。  朝の挨拶代わりに何事かを呻きながら歯ブラシを小刻みに動かしている。床に転がった時計を見ると、時刻はそろそろ六時に差しかかろうとしていた。  カーテンを全開にすると輝くような朝の光が室内に射して、権丈は眩しさに目を細めた。

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