洛陽の月
全国レベル

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 三回戦の試合会場は丹波高校のグラウンドで、十三時にキックオフが予定されていた。  試合開始二時間前に会場入りした権丈は、錆の浮いた金網越しにグラウンドコンディションを確認する。老朽化した木造校舎の目と鼻の先にある赤茶けた土のグラウンドは、俊足のウインガーを相手にするには困難な環境だった。 「土のグラウンド、苦手だな」 「ボールが止まらないっすもんね」  平岡と東条圭のテクニシャン二人がピッチを一瞥するなり、ため息をついた。試合会場として使用される他校のグラウンドの多くはまだまだ土が多く、洛陽高校の専用練習場のような芝のグラウンドでやれることは少ない。  芝のグラウンドに比べると、土のグラウンドはボールがよく転がり、よく跳ねる。スライディングをすれば足は血まみれ、傷だらけになることもしばしばで、キーパーが果敢に飛び出してキャッチやパンチングをすれば、地面に叩きつけられるような衝撃を受けることになる。必然、スライディングするにもキャッチやパンチングに行くにも一瞬の躊躇が生まれる。  土のグラウンドではボールがよく転がる分だけ、縦への推進力があるスピード系のドリブルをする選手に有利となるが、更に相手ディフェンダーがおいそれとスライディングに来ないとなれば、高速ドリブラーの独壇場である。  早朝のミーティングで大葉監督から改めて赤い爆撃機対策が伝授され、通常の4―4―2のフォーメーションに若干の修正を加えることとなった。  今回採用したフォーメーションは4―1―4―1で、左サイドハーフの兵藤がワンボランチの平岡の真横近くまで下がってディフェンスに専念する。右ウイングの植村虎太郎が中央に切り込んで来れば、状況に応じて権丈と平岡がカバーリング……という算段だった。  そして、今回ワントップには黒田ではなく東条圭を配することとなった。カウンター時に単独突破の期待できる東条圭を最前線に一人残し、赤い爆撃機には兵藤をマンマークで密着させた上で、後はチーム全体でカバーするという出たところ勝負である。 「兵藤のマンマークで日本代表が止まれば苦労はしないけどさ」  グラウンド脇の駐車場で元気にアップに励んでいる兵藤を見て、平岡が冷ややかな声で言った。チームの命運を兵藤の守備力に託す、という大胆極まりない作戦プランに平岡は懐疑的であるようだ。 「なので、兵藤先輩にはちょっとしたドーピングを施すらしいです」  駐車場に滑り込んできた一台の国産セダンに、東条圭が意味ありげな視線を投げかけた。 「ドーピング?」 「まあ、洗脳とも言いますかね」  木陰に駐車したセダンから颯爽と現れたのは東条圭の実兄である俊一だった。光沢のあるレザージャケットにサングラスという出で立ちは、どこぞのロックシンガーかという雰囲気を醸し出していた。 「権丈、平岡、久しぶりだな! 圭、ちょっと背が伸びたか?」  サングラスを外し、東条俊一が権丈たちの元へゆっくりと近付いてきた。ジャケットの下には洛陽高校のユニフォームを着ていた。 「ユニフォームにそのジャケットって、なんかダサい」  久々の兄弟の再会であるはずなのに、圭がチクリと嫌みを言う。 「え、そう? じゃあ脱ぐわ」  レザージャケットを脱ぎ手に持った東条俊一は、権丈と平岡に笑いかけた。 「わざわざ来ていただいてありがとうございます、東条先輩」  権丈が恐縮しながら頭を下げた。平岡も小さく頭を下げる。 「それより権丈、足の調子はどうだ。左足をやったって聞いたが」 「大丈夫です、今のところ支障なくやれています」 「そうか、なら良かった。でも、少々痛いぐらいなら無理してでも出場でるよな」 「はい、負けたら最後ですし……」  東条俊一と権丈が話を交わしていると、アップを中断して兵藤が小走りに近寄ってきた。 「ジョー先輩、ちーーーーっす!」  グラウンド中に響き渡るような大声で兵藤が挨拶をする。 「よう、元気そうだな。日本代表は止められそうか」 「死んでも止めます!!!」  どうにも気合が空回りしていそうな兵藤を見て、東条俊一が苦笑いする。 「なあ、兵藤。あそこを見ろよ。プロのスカウトが来てるぜ」  東条俊一が人のまばらなバックスタンドを指差した。明らかに部員の父母や家族ではなさそうな眼光の鋭い中年男が数人、スタンドに各々適度な距離を保ちつつ、たむろしている。三脚を立て、撮影準備をしているカメラマンの姿も認められた。 「お目当ては植村だろうけど、ここで活躍すれば一気に全国区のスターだな」  平岡が「ああ、なるほど。たしかにこれは洗脳だね」と鼻白むが、誰よりも暗示にかかりやすいタイプの兵藤である。効果はてきめんだった。洛陽高校伝説のOBである東条俊一の言葉のひとつひとつに目の輝きが増し、鼻息が荒くなっていく。  東条俊一は、続々とバックスタンドに集まってくる観客に視線を向けた。 「もしかしたら、あの辺のスカウトは密かに兵藤をチェックしに来ているのかもな。攻めてよし、守ってよしの兵藤クラスの左サイドのスペシャリストとなると、全国にもそういないレベルだからな」  東条俊一のダメ押しのような一言に、兵藤が一瞬黙りこくった。 「俺、……全国レベルっすか?」 「ああ、今まで騒がれなかったのか不思議なぐらいのレベルだぞ」  兵藤がごくりと唾を飲み込む。薄笑いを浮かべたただならぬその表情は、奇妙なまでの凄みを孕んでいた。 ぶつぶつと小声で「俺は全国レベル、俺は全国レベル……」と念仏のように唱えている。偉大な先輩から授かった自己暗示を脳内に刷り込もうとしているようだ。 「今日は日本代表を完全にシャットアウトして、兵藤弘の名を全国に知らしめようぜ。出来るな、兵藤?」  東条俊一が兵藤の背中を強く叩いた。檄に答えるように兵藤が雄叫びを上げた。 「うおっしゃああああぁぁぁあああああ!!! 全員まとめてぶっ潰す!!!!」  弾かれたようにグラウンドの方向へ飛び出していく兵藤の背中に向かって、平岡はもはや処置なしとばかりに哀れみの目を向けた。 「褒め言葉に対する耐性の無さは、たしかに全国トップレベルだね」

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