洛陽の月
赤い爆撃機

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 権丈が自室へ戻ると、開け放たれた窓から秋の冷たい風が吹きつけてきた。洛陽荘三階の三○一号室のベランダで、夜風に吹かれながら東条圭がなにやらこそこそと電話をしている。 「おうっ、どうした圭。……女か?」  部屋に戻ってきた兵藤が冷やかすが、圭は何やら真剣な面持ちで頷いている。 「なんだ、修羅場なのか? 別れ話か?」  デリカシーなくずかずかとベランダに近寄っていく兵藤を、後から部屋へ戻ってきた権丈が途中で制止した。スマートフォンを耳に当てながら室内に顔を覗かせた圭は、 「明日の赤い爆撃機対策の相談っすよ」  とだけ答えて、ベランダへ舞い戻った。  権丈はその一言だけで概ね理解したが、言葉少なな返答に要領を得なかったらしい兵藤はベランダへの進軍を再開した。 「相談って誰にだ?」  洛陽高校は一回戦、二回戦は大量点を奪う盤石の試合運びで危うげなく勝利した。次戦の相手は夏のインターハイ準優勝校であり、スーパーシード校である紅學館こうがくかん高校だ。  U―17日本代表にも召集された逸材のスーパーレフティー植村虎太郎を擁する新興勢力で、深紅のユニフォーム姿と豪快なプレーぶりから植村は『赤い爆撃機レッド・ボンバー』と渾名されている。  三回戦を前日に控え、有志の三年生らがミーティングルームに集まった。右ウイングが本職の赤い爆撃機をいかに止めるか話し合っていたが、これといった名案は浮かばなかった。  左足から繰り出される豪快なシュートと抜群のスピード、大舞台でも物怖じしない強心臓を備え、右サイドからボールを運びながら中央に入っていく形を得意とし、単調な攻撃パターンながら分かっていても止められない危険極まりない存在である。豪快さばかりが目立つが、足元の技術も相当に高い。  ミーティング中の平岡曰く、『超強化版・兵藤(左利き)』との評であったが、権丈の目には、どこをどう強化しても兵藤の上位互換足り得ない気がした。動画サイトにアップされた活躍シーンのハイライト映像を見る限り、周りの選手がスローモーションに見えるような高速ドリブルは驚異の一言に尽きた。  サッカー選手は大別すると、労働者タイプハードワーカー芸術家タイプアーティストに分かれるが、赤い爆撃機は周りを使うことも出来るし、便利に使われることも出来る稀有なタイプである。  洛陽高校には、こういうハイブリッドな選手はいない。兵藤はもっと泥臭い仕事をするハードワーカーで、黒田も右サイドハーフの小峰史郎もハードワーカーだ。  他方、平岡と東条圭は見るからにアーティストタイプだろう。  紅學館高校対策は単純で、赤い爆撃機をいかにストップするかという一点に絞られるが、結局のところ植村虎太郎がどれだけ速く、どれだけ巧いのかは実際に対戦してみないと分からない部分が多く、対策のしようがない、要するに、出たとこ勝負……というのが前日ミーティングでの結論だった。 「兵藤先輩に代われ、って」  窓を開け放したベランダで、圭が兵藤に通話中のスマートフォンを手渡した。 「相手は誰だ?」 「俊兄です」  スマートフォンを受け取った兵藤が、一瞬にして姿勢を正した。 「ご無沙汰しております、兵藤です!」 「おう、久しぶり。相変わらず元気そうだな。どうだ、明日の勝算は?」  圭がベランダから出て、普段兵藤が使っているシングルベッドの端に腰掛けた。権丈もベランダ横のベッドに近付くと、東条俊一と兵藤との会話が漏れ聞こえた。 「俊兄が明日、観戦に来るみたいです。……来なくていいのに」  圭は実兄の俊一が観戦に来るのが嬉しいのか、嬉しくないのか、いまいち判然としない微妙な表情を浮かべている。通話を終えた兵藤はスマートフォンを圭に投げて返却した。兵藤はなぜだか頬が紅潮し、妙に上気した様子でいつも以上に落ち着きがない。 「ジョー先輩、なんて言ってた?」  権丈が尋ねると、兵藤がまくし立てるように言った。 「明日の試合は、この兵藤の双肩にかかっていると言っても過言ではない……だそうだ!」  兵藤が高笑いしながら生乾きのバスタオルを引っ掴み、部屋を出て行った。おそらく二度風呂に行くのだろう。これもまた、兵藤の試合前の儀式の一つだ。上機嫌の兵藤が去り、部屋に取り残された権丈と圭の間に微妙な沈黙が流れた。 「さっきの、どういう意味か分かる?」  圭が首を捻り、曖昧な表情で答える。 「俊兄は、赤い爆撃機をマンマークで封じれば勝機はある、って言っていました」 「……マンマーク?」 「はい、ポジション無視でスッポンのようにべったりと。もしくは、うるさい小蝿のようにぶんぶん飛びまわれと。ひたすら密着し続ければ相手は焦れるぞと」  東条俊一の示唆していることがようやく理解出来た。なるほど、言われてみれば、これ以上ないぐらいのアイディアだと思う。  ハードワーカーとアーティストの二面性を有するという点において、後にも先にも東条俊一ほど条件を満たした人間は存在しない。洛陽高校の誇る唯一無二の存在が示した解法がマンマークであり、その任に指名したのが兵藤弘であるとすれば……。 「たしかに明日の試合は兵藤の双肩にかかっているかもしれないね」

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