洛陽の月
ゴーサイン

 大塚形成外科を訪れた権丈は、間近に迫った全国高校サッカー選手権大会京都府予選への出場許可のお墨付きをもらうべく、大会の日程表を差し出した。  診察室の椅子から腰を軽く浮かせた大塚医師は、カルテと日程表を交互に見比べると、なんとも渋い顔をした。  受傷後から経過は良好とは言えども、主治医の立場からは、おいそれとゴーサインは出せないんだよね、困ったなあ。でも、どうせ止めたって、足がぶっ壊れたって試合に出ますって言うのでしょう。うーん、どう答えようかなあ……。  大塚医師の苦り切った表情を見るに、内心でそんなような逡巡をしていることは一目瞭然だった。 「全国大会に行くには七回勝たないといけないってことだよね」 「はい。今年はノーシードなので、一番下から這い上がらないと、全国行きの切符は手に入れられません」 七十四校が出場する京都府予選は、一回戦が十月四日、二回戦が十月十日、三回戦が十月十七日、四回戦が十月二十五日、準々決勝が十一月一日、準決勝十一月七日、決勝十一月十四日というスケジュールで執り行われることが発表されている。 「せめてシード権があったら良かったのにね」  大塚医師がため息を漏らすが、ないものねだりをしても始まりはしない。 「一回戦、二回戦は比較的楽な相手です。シード権がなくても問題ありません」  本年度の夏のインターハイ予選でベスト8に勝ち残ったチームはスーパーシードとして三回戦からの出場、ベスト16のチームはシードとして二回戦からの出場となるが、インターハイ予選一回戦負けの洛陽高校には当然ながらシード権は無い。 「初戦は冷やかしのようなチームも多いので、大量点を取れば俺は早めに交代になると思います」  一発勝負のトーナメントで楽な相手など存在しないが、渋る大塚医師を納得させるべく、権丈は無理やりに余裕を装った。  思案顔の大塚医師は、ボールペンの後ろでカルテをこつこつと叩いている。レントゲンに写った白く薄い帯状の影は綺麗さっぱりと消失していたが、慎重を期してもうしばらく様子を見たいのだろう。医師の立場であれば、当然の態度だと思う。  だが、高校最後の大会を前にして、慎重を期す必要などもはやどこにも存在はしない。すべてを飲み込んだ上で、黙って背中を押してくれるだけでいいのだ。仮にまた足がぶっ壊れたら、所詮それまでの選手だったと諦めるだけのことだ。  大塚医師はもう諦めた、と言わんばかりの顔をして、ボールペンをくるりと回すと、カルテに何かをさらさらと書き付けた。 「権丈君、今は痛みはある?」  権丈はきっぱりと言った。 「ありません」 「練習後に痛みや違和感を感じたりもない?」 「ありません」  大塚医師はカルテを閉じると、大会の日程表を権丈に返却した。 「本音としてはもうちょっと様子を見たいですけど、ひとまずこれで完治としましょう。リハビリ、よく頑張りましたね」  大塚医師が相好を崩した。権丈が深々と礼をする。 「先生のお陰です。本当にどうもありがとうございました」  権丈が踵を返し、診察室を出て行こうとすると、背後から声をかけられた。 「うちの病院は大晦日と正月三が日はお休みです。怪我は完治しましたが、本当に大丈夫か様子を見たいので、無事な姿をぜひテレビで見せてくださいね」  大塚医師の激励の意味を即座に理解した権丈は、診察室の扉を閉じる際に、再度深々とお辞儀をした。 「はいっ、必ず!」

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