晴耕雨読に猫とめし
いのち、すごい。

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スピリチュアル方面のあれこれは、面白がることはあっても、あまり信じてはいないのですが……と前置きしなくてはいけない話かもしれません。 去年の秋くらいから、断続的に奇妙な感覚がありました。 洗い物をしているときや、執筆の仕事をしているとき、あるいは書庫で本を探しているとき。 自分を見上げる、どこか懐かしい視線と親しい気配を感じたのです。 あ、犬だ。犬がいる。 ごく自然にそう思って見返そうとしたら、何もいない。 当たり前です。 うちにいるのは猫とイモリだけ。 じゃあ、何なんだ、この不可思議な犬の気配は。 戸惑いながら、担当編集さんに打ち合わせの合間に話してみたところ、「イマジナリードッグを飼ってらっしゃるのでは」と、予想の斜め上の意見が返ってきました。 いや、さすがにそれは。 というか、そこまでして犬を欲する気持ちは、私にはありませんでした。 というのも、先代の犬が、大変な子だったからです。 その犬は、出会ったときには既に成犬、もはや老犬というべき年齢でした。 父がゴルフ場で、まさに捕獲され、保健所に引き渡されようとしているところに出くわし、強奪同然に譲り受けてきたのです。 かなり長かったらしい放浪中、よほど幾度も酷い目に遭ったのでしょう。 毛は汚れてもつれてあちこち禿げ、まさに満身創痍でした。 尻尾は垂れ下がったままピクリとも動かず、視線はぼんやりと虚空を見たまま、うんともすんとも言わない放心状態。 促されれば従順に動くものの、放っておくと部屋の隅っこにグッタリと横たわったまま、自分からは一歩も動こうとしませんでした。 どう考えても尋常ではないので、ご飯を食べさせたり、身体を蒸しタオルで拭いてやったり、できる限りのことをして、私は翌日、その犬をかかりつけの動物病院へ連れていきました。 獣医さんは、 「老犬だけど、身体のほうは、ある程度の健康を取り戻せる。フィラリアは、今駆除すると血管が詰まって命が危ないから、上手く付き合いながら少しずつ減らしていく方向性で考えよう」 と、仰いました。ホッ。 しかし、私の安心は、一秒で終わりました。 獣医さんはこう続けたのです。 「だけど心のほうは、僕にできることはないです。この子は、生きていくのが辛すぎるほど酷い目に遭って、一切の感情をシャットダウンしてしまったんだろうね」 と。 そんなこと、あるんだろうか。 いったいどれほど傷つけられたら、そんな風にになってしまうんだろう。 やっぱり無反応な犬を撫でながら狼狽する私に、獣医さんは最後にこう仰いました。 「どんなに冷たい麦茶に入れても、氷はほんの少しずつとけていくでしょ。同じことを期待して、頑張ってください。それは僕じゃなく、飼い主さんの仕事です」 なるほど、そりゃ道理だな……と私の中で、何かがストンと落ちつきました。 犬を手放すという選択肢がない以上、やることはひとつです。 この上なく、大切にする。 それだけ。 私たち家族は、どうにか健やかな心身を取り戻してほしいと願って、ココと名付けたその犬と暮らし始めました。 幸い、ご飯はよく食べてくれたので、ココの身体の傷はほどなく癒え、ガリガリだった身体にもほどよく肉がつきました。 散歩は好きなようで、一緒に歩くその時間だけ、ココはしょっちゅう私の顔を見上げてくれました。 人間に寄り添い、ペースを合わせて歩くことにも、排泄の始末をする間、じっと待っていることにも、ココは確かに慣れていました。 この子は、過去に人間との暮らしを経験している。そのときのルールを、こんなになってもまだ守っている。 いじらしくて、散歩の最中、私は何度も腹を立て、あるいは泣きました。 この子をこんなに傷つけた人間を、今すぐボコボコにしてやりたい。 そう心から思ったことが、何度もあります。 ココは決して自分から家族に寄ってくることはなく、いつも離れた場所で静かに寝ていましたが、それでも通りすがりに、予告してから撫でることは許してくれたし、尻尾も数センチくらいは上げてくれるようになりました。 少しずつ。本当に少しずつ、ココは自我を取り戻していきました。 毎日の散歩で、今日は違うコースを行きたい、ちょっとだけ走りたいとささやかな我が儘を言ったり、ただ飢えを解消するためにしていた食事に、徐々に好き嫌いを言うようになったり。 でも、彼女に残されていた時間は、あまりに短かったのです。 ほんの数年、やっと心を通わせ始めたところで、ココは呆気なく死んでしまいました。 結局、私たちは、ココの心からの嬉しそうな、楽しそうな顔を見ることが一度もできませんでした。 その苦い敗北感があまりにも心に重くて、もう犬は勘弁してほしい……私は、そんな気持ちでいたのです。 おまけに、4匹の猫たちとの暮らしで十分すぎるほど大変であり、十分どころでない幸せを貰っているので、敢えて新しい犬を迎えることなど、考えたこともありませんでした。 それなのに、忘れた頃に幾度も復活する、イマジナリードッグの気配。 なんだなんだと思っていたら、先日、ついに夢を見てしまいました。 夢の中で、私は1匹の犬と散歩していました。 耳の垂れた、奇妙な色合いの毛並みをしたそこそこ大きな犬です。 自宅の近所をのんびり歩きながら、私は自分をチラチラ見上げてくるその犬に、こう声をかけていました。 「君は一人っ子じゃないから、守らなきゃいけないルールがたくさんあって大変だと思うけど、それもまあ、ゲームだと思ってよ」 妙に現実的なことを言ってるなあ……と思った途端に、パチンと目が覚めました。 不思議にリアルな夢で、何となく心がザワザワして。 でもまあ、脳に残っているココの記憶がそんな夢を見せたんだろうと、私は軽く受け流しました。 それなのに。 何故か、ふとしたきっかけから話がトントン拍子に進んで、ごく近い将来、保護犬の子犬を引き取ることになってしまいました。 猫たちと上手くやっていけるかどうかとても心配ですが、こればかりは試してみないとわかりません。 大の仲良しになるなんてことは期待しないまでも、まあ、互いの存在を許容する、くらいに落ちついてくれればいいなあと祈るのみです。 ただ、犬は猫と違って、散歩に連れ出さなくてはならない生き物なので、どうしても他人や他の犬たちと触れ合うことになります。 私が先日のぎっくり腰みたいなことになったとき、どうしても他人様の手を借りねばならなくなるので、人が好きな子になってもらわなくてはなりません。 初期教育を、うんときちんとしなくては……と今からプレッシャーを感じる私と対照的に、意外なくらい手放しで喜んだのが、実家の両親でした。 「もう生き物はいい」と口では言いつつも、やはり寂しかったのだと思います。 猫たちが死んで以来、驚くほど衰えが加速した両親が、「実は子犬をね……」とおそるおそる打ち明けた途端、マンガみたいにシャキーンとしてしまったのです。 「あなたが寝ている間はこっちに連れてくるでしょ? ちゃんと見ていてあげるから! お夕飯の準備をするときも連れてくるでしょ?」と母は期待に目を輝かせ、父は勝手に「朝の散歩は俺が行かなアカンから」と宣言し、ココが死んで以来やめていた朝のウォーキングを、突然再開しました。 子犬が来るまでに、近所の貯水池を一周できるくらい体力を取り戻すのだそうです。 昨夜も何やらゴソゴソしていると思ったら、ダイニングの自分の席の横に、犬用のベッドを設置していました。 どんだけや! 「猫とうまくいかないようなら、こっちで生活させればいいのよ!」 「そやそや。こっちやったら、他に何も生き物がおらんから、家じゅう好きにしたらええんやし」 と、二人して、私からまだ見ぬ子犬を取り上げんばかりの勢いです。 いやマジでどんだけ張り切ってるねん! まさか、子犬一匹の存在が、両親にこんなに明るい光をもたらしてくれるなんて、想像もしませんでした。 小さないのち、凄い。強い。ありがたい。 とはいえ、です。 当たり前ですが、私は両親を喜ばせるために子犬を引き取るわけではありません。 第一に考えるべきは、子犬にとって幸せな環境を作ることです。 でも、せっかく家族の一員として迎え入れるのだから、みんなで一緒に幸せになれたらいいな、と願いますし、そうなるように頑張らなくてはと思います。 いやはや、まだ来てもいない子犬のパワーを、既にひしひしと感じつつ、あれこれと必要なものを手配したり、今から猫たちに言い聞かせたり、まだ腰の痛みに呻きつつ、少しずつ家の中を片付けたり。 犬の幼稚園も気になりますし、お手入れしてくれるサロンもチェックしておきたい(シャンプーはともかく、大人アイが進むと爪切りが怖いのです)。 いざというときのシッターさんの目星もつけておかなくては。 つい、最悪を想定して取り越し苦労ばかりする気質の私は、すでにいっぱいいっぱいで、それでも……やっぱり、楽しみです。 あと、これは本当に奇妙なことですが。 見せてもらった子犬の写真、私が夢で見た、一緒に散歩をしていた犬にそっくりだったのです。 予知夢か、ただの偶然か。 それは私にもわかりませんが、結ばれたご縁の糸をしっかり握って、小さいけれど大きな命を、明るく楽しく、できるだけ呑気に大らかに迎え入れようと思います。

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