晴耕雨読に猫とめし
英語学習の話 その2

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私が通った中学高校一貫の女子校は、当時にしてはとても先進的な英語教育を行っていたと思います。 単語や文法をガッチリと学ぶ授業、アメリカ人講師による生きた実践会話の授業、そしてLL教室での授業。 ん? LL教室とは何ぞや? と首を傾げる方のほうが、もはや多いかもしれませんね。 LLというのは、ランゲージ・ラボラトリー(Language Laboratory)の略称です。 オーディオやビデオといった、当時はまずまず先端っぽい機器とリソースを使って英語を学ぶ授業でした。 今の中高生が見たら「レトロ……!」とむしろ目を輝かせてしまいそうですが、ひとりずつ防音パーティションで区切られた小さなブースに入り、でっかいヘッドホンを装着し、そこから聞こえる先生の指示に従って、ブース内にあるテープレコーダー(!)を再生したり、自分の発音を録音して、みずからチェックしたり……そういう授業です。 今、振り返ってみても、どれもとても充実していて、バラエティに富んだ授業でした。 しかし、惜しかった、そして仕方なかったのは、教えられるのがすべてガチガチのアメリカ英語だったことです。 特に、文法の授業を受け持ってくださった若い女性の先生は、アメリカ留学経験があり、「生きた英語を教えてあげたい!」という熱意に満ちておられました。 故に、たとえば「新聞」であれば、「ニュースペーパー、じゃないのよ。アメリカでは、ヌーズペイパー!」と本場の発音を教えてくださり、我々は、なんだかちょっとかっこいいな、と自分たちでも声に出してみて、悦に入ったものです。 しかし、このアメリカ英語教育が、数年後、私の首をギリギリと絞め上げることになるのです。 というのも、大学時代、私は1年休学して、イギリスに渡ったからです。 何の目的もなく長期滞在させてくれる国ではないので、名目はありがちですが語学留学です。 誰にも何にも甘えず、英語学習に打ち込みたい……そんな若気の至りで、日本人がいない語学学校を選び、ホームステイではなく現地で一人暮らしをすると決めて生活をスタートしたものの、現実は予想より遥かに厳しく。 おそらくロンドンならば、皆さん外国からの観光客に慣れていて、どんな英語でも受け入れてくれるのではないかと想像するのですが、敢えての地方都市を選択したために、少なくとも当時の住人たちは、アメリカ英語を蛇蝎の如く嫌っていました。 私が悪気なく話すアメリカ英語を、学校の先生がたはさすがに優しくやんわりと、しかし一般の人たちはかなり辛辣に訂正してきました。 たとえばタクシーに乗ったとき、「あっ、あそこに映画館があるんですね」と話しかけたとします。 アメリカ英語しか習っていなかった私は、何の気なしに "movie theater" と言ってしまうのですが、タクシーの運転手は苦虫を噛み潰したような顔をバックミラー越しに見せ、"film"と言い直すのです。 「いいかお嬢ちゃん、"movie"ってのはアメリカ英語だ。こっちじゃ、"film"って言う。覚えときな。ついでに言うと、"theater"も、こっちの綴りは"theatre"だ」 そんなお小言をこんこんと頂戴しては、せっかくパブでクラスメートたちと楽しく過ごして盛り上がった気持ちも、シュンとしぼんでしまいます。 スーパーマーケットのレジで「あっ、20ポンド札で……」と言った途端に、ただでさえ愛想の悪いおじさんに、20を、思いきり後ろの"t"を強調したイギリス風の発音でピシャリと言い直されたり。 燃料は、"gas"じゃなくて"petrol"だったり。 ジャガイモは「ポティトウ」じゃなく「ポテートー」(トマトも同様)だったり。 とにかく一事が万事そんな感じなので、自分が口を開けば必ず誰かを不愉快にしてしまう……という恐怖で、私は渡英して何ヶ月か、英語を話せるようになろうと留学したにもかかわらず、どうしたら極力喋らずに済むだろうかと怯えて暮らしていました。 その恐怖がすぽーんと消えたのは、当時は今と違って、現地の銀行に口座を開き、そこに日本から送金してもらう必要があったのですが、その「現地の銀行」がなかなか口座を開いてくれなかったことが原因でした。 最初の銀行には、学校の学生係の気さくなお兄さんに付き合ってもらい、色よい返事を貰って安堵して帰宅したら、翌日、「留学生には口座は開けないことがわかった」とのガッカリな連絡。 ならば、と次の銀行には勇気を出してひとりで行ったところ、「留学生でもいいよ、口座開くよ」と言ってもらい、大喜びで帰宅したにもかかわらず、それきり音沙汰なし。 問い合わせてみると、なんと担当者が2ヶ月のバカンスに入ってしまい、私の口座開設は、彼が仕事に復帰してからだ、というえげつない話でした。 さすがにたまりかねて、翌日、私は銀行に直接乗り込みました。 おそらく、窓口の方は「子供がひとりで来た」と思ったのでしょう、とても優しく接してくれました。 アジア人は、どうしてもあちらの人には童顔に映るようですから。 最初、私は順序立てて経緯を説明し、一晩寝ずに考えた拙い英語で、どうにかこうにか、誰か他の人に口座開設をお願いしたいのだと伝えました。 しかし、スーツ姿のジェントルマンな銀行員は、「担当者が不在だと、そういうことはできない決まりで……」と、礼儀正しく、でもやっぱりつれないことを言うのです。 その瞬間、私の脳で何かがブチーンと切れる音がしました。 そして気づけば私は泣きながら、「もう残金がほとんどないんだ、送金してもらえないとここで死んじゃうんだ! マークス&スペンサーのお惣菜を食べてみたいと思ってるのにずっと買えずにいるんだ! わーん!」と、自分でも引くほど流暢な英語でまくし立てていました。 慌てた銀行員氏は、私を宥めながら「わかったわかった、何とかするから。何とかするから泣かないで!」と約束し、本当にその場で口座を開いてくれました。 やればできるんじゃん! 求めよされば与えられん。 もとい、喋れよされば道は開けるかもしれない。 この国では、日本にいるときのように「察して」もらうことはとても難しい。 だから、拙かろうが嫌がられようが、今の自分に喋れる言葉でせいいっぱい訴えるしか、誰かに力を借りる方法はないのだ。 この日、そう悟ったときから、私は嘘みたいに英語が話せるようになりました。 相変わらず、口を開けばアメリカ英語を指摘されるのですが、それも気にならなくなりました。 あ、そうなのね、と素直に知らなかったことを告げ、イギリス式の言葉や発音、言い回しを教えてもらい、それを覚えればいいだけなのだ。 謝る必要なんかないのだ。何度も同じことを繰り返さなければ、それでいいのだ……と理解したからです。 そして、それまでやっていた、「まずは日本語で言いたいことを考え、それを英語に翻訳する」というのをやめて、「いきなり英語」で喋るようになりました。 もたもた喋っていてはタイミングを逸してしまうし、相手にも小馬鹿にされる。まともに話を聞いてほしければ、ポンポンとテンポよく早口で喋らねばならない、と痛感したからです。 学校で何度指摘されてもやめられなかった翻訳癖でしたが、やはり、現地の人と対等にやり合えたという経験が、私を一歩前進させてくれました。 ただ、そのときに感じたのは、それまで学び続けた文法の知識のありがたみでした。 語彙や発音、言い回しは短期間で覚えることができますが、文法はそうはいきません。 そして、文法の知識があればこそ、翻訳抜きでいきなり英語を喋っても、正しい構文が口をついて出るわけです。 積み重ね、バンザイ。 退屈だった文法の授業、ありがとう。 文法偏重とか、会話重視とか、色々な流儀が英語教育においては取りざたされますが、大切なのは、バランスと反復学習だな、とつくづく思います。 文法も大事、発音も大事、リスニングも大事、語彙も大事、そして度胸と割り切りも大事……です! つまり、それまでの英語学習で学んだことの中に、無駄なものはひとつもなかったな、と、今振り返ってもそう思います。 ただ、私の喋る英語がクイーンズイングリッシュになったかというと、さにあらず。 知り合った人々が喋る様々な地方の方言がミックスされて、今、私は英語を喋るたび、「アイスランドから来たの?」と言われています。 なんでや……と首を捻りますが、それもまたよし。 喋った言葉が誰かに理解してもらえる。誰かが喋った言葉が理解できる。 それだけで、既に十分過ぎるくらい素晴らしいことなのですから。

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