晴耕雨読に猫とめし
庭と祖父とやさしい花と。

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春は、ふもとから山頂に向けて匍匐前進でやってくる途中。 標高400mにある我が家は、まだまだ冬の寒さです。 でも、毎年不思議に思うことには、植物は、ずいぶん早くから、遠くにいる春の気配を感じとっているようなのです。 早朝の寒気に震えながら、2匹の外猫たちに朝ごはんを……と外に出ると、薄氷が張った水入れの向こうに、山椒の芽が見えました。 おっ。早いお目覚めですね。 そういえば去年の秋、庭に自生している山椒だけでは、アゲハチョウの幼虫たちを養いきれないことに業を煮やし、新たに5本の苗を購入したのでした。 暖かくなったら植えようと玄関先に置きっ放しだったその5本のうち1本だけが、どうやらうんと張り切って早起きしたようです。 まるで、遠足の朝が待ちきれない子供のようで微笑ましい。 でも、そんな可愛い山椒の苗木たちに、私は実に無造作に、アゲハチョウの幼虫たちに喰われて丸禿げにされる運命を背負わせてしまったわけで……。 ジワジワこみ上げる罪悪感から、「その代わり、いい場所に植えてあげるからね!」と早くも弁解モードに入ったりしました。 それはともかく、草木が目を覚まし始めたからには、私も庭仕事を再開しなくてはなりません。 まずは、早くも生え始めた雑草を、花を植えている場所と、私が通るための道幅だけ、今のうちにできるだけ取り除くこと。 すべてを抜く必要はないですし、結局のところ、賽の河原活動みたいなものなので、このあたりは「いい塩梅に」やります。 反対に、徹底的にやらなくてはいけないのは、ニョロニョロ伸びてきたツル性の植物を、地面に近いところで切って歩くこと。 そして、そこに生えてほしくないよ! という場所でうっかり芽を出した紅葉や松、枇杷、山桜、ニセアカシアなどの苗を抜くこと。 これを怠ると、木々の密度が上がりすぎて健全な環境でなくなってしまうし、つるはあっという間に木々を覆い、枯らしてしまうので厄介なのです。 本当は、庭木を弱らせないためには、これも切ったほうがいいんだけどなあ……と思いつつ、依怙贔屓で、自生している藤は2本だけ残し、ニセアカシアの大木に絡ませながら育てています。 栽培種よりうんと控えめなサイズの花が大好きなのは勿論、いつか、剪定した枝を使って、縄文時代から作られていたという「藤布」を自分で糸を撚って織ってみたいという野望もあって。 縁あって、子供の頃、一連の作業は幾度か経験済みなので、それはもう大変な、力と根気のいる作業だということは知っています。 でも、強烈だったその記憶をどうにかこうにかたぐり寄せながら、この手で、古事記や万葉集に登場する布を織ってみたい……という、私にしては、少しばかりロマンのある夢です。 まあ、それはそれとして。 5月に入ってしまうと、植物の生長を人間ごときがコントロールすることなどほぼ不可能になるので、いずれにせよ、今が庭仕事としては、最初の勝負のときです。 刈り取った葉や細い枝はすべて、庭の大きな穴に放り込んで、時々、乾かないよう水をかけておきます。 インターネットで検索すると「イヤーッ!」と叫んでしまうような画像が出てくるので注意が必要ですが、「ケバエ」という虫の幼虫たちをはじめ、色々な生き物がその中に入り込み、ゆっくりと植物の組織を分解して、素敵な腐葉土を作ってくれます。 夏になると、カブトムシたちもヨイショっと出てきますよ。 太い枝は、庭の木立の中に、大きめの石と組み合わせて櫓のように組んでおくと、それが気に入ったハチが巣を作ります。だいたい、アシナガバチの類です。 ハチは庭の大切な保安要員。 手が届かない高所にいる毛虫をバリバリ狩ってくれる彼らを是非お迎えしたいですし、そこにハチの巣があるとわかっていれば、こちらも配慮と用心ができるので、共存しやすくていいのです。 一連の作業が終わったら、仕上げに、地面に堆肥を分厚く撒きます。 だいたい、5センチくらい。けっこうな量です。 昔は、堆肥は必ず土と混ぜろと教えられたものですが、この10年ほど購読しているイギリスの園芸誌では、「上から被せるだけでいい」と教えられます。 膝にハンディがあるので、少しでも力仕事を減らしたい私にとっては、ありがたい指針です。 しかも、「庭全体にうっすら堆肥を撒くくらいなら、庭半分に分厚く。残りの半分は来年の春にやりなさい」という、実に現実的なアドバイスも。 よーし、今年はそれでいこう。 1時間執筆したら、凝り固まった身体を解しがてら、庭仕事を15分。 短い時間でできることは限られるだけに、効率よくやらねばと努力するので、かえっていいようです。 庭に出て、無心に身体を動かしていると、園芸が趣味だった父方の祖父のことを思い出します。 祖父が大好きだったのは椿で、庭じゅうにぎっしりと鉢を並べ、毎日こまめに世話をしていました。 植え替え用の土を篩って配合したり、ジャムの瓶に水を入れ、割り箸やピンセットで取った毛虫やカイガラムシをその中に片っ端から入れて、「地獄水や」とニヤリとしたりしていた姿を、今も鮮やかに思い出すことができます。 祖父は気難しく言葉少なで、一緒にいても話が弾むことは皆無だったのですが、庭で、二人してただ手を動かす時間が、私は嫌いではありませんでした。 今、私の仕事場の庭には、祖父が育てた椿が何本か植えてあります。 祖父のように甘やかして世話をしてやることはできませんが、山の暮らしを楽しんでほしいと願いながら、その株元にも分厚く堆肥と腐葉土を敷きました。 これでよし、と顔を上げたとき、ふと、「エーデルワイスは、ここで育つやろか」と思った自分がちょっと可笑しく。 実は、海外旅行も大好きだった祖父は、祖母を伴い、昭和の時代では信じられないほど、様々な国へ出掛けていました。 日本語しか喋れない二人でしたが、祖父は海外では一言も発せず、祖母は大阪弁ですべてを解決してしまう、どうにも不思議なコンビだったようです。 そんな祖父が……もう鬼籍に入って久しいので許していただきたいのですが、どうしても持ち帰ろうとしたのが、スイスの国花、エーデルワイスでした。 今でこそ、日本でも苗が買えますが、当時はとても手に入るものではなく。 スイスで可憐な花を見た祖父は、たちまち魅入られてしまったようです。 ダメだとわかっていながら、祖父はなんと、スーツケース(当時はトランクと言っていました)にエーデルワイスの苗を詰めて帰国したのです。 まんまと空港で見つかって大目玉を頂戴し、当然、苗はすべて没収されて、祖父はたいへんションボリしておりました。 それなのに翌年の初夏、昭和を煮しめたような家の壷庭の手水鉢の傍らに、エーデルワイスが密やかに咲いていたのです。 なんで? 驚く私たちに、祖母はしてやったりの笑顔で、「鞄に詰めるから見つかるんや。お父さんはしくじるやろと思うたから、種買うて、ポケットに入れとった」と胸を張りました。 悪い女や! ともあれ、祖父は大喜びでそれを大切に育て、彼の死後、家が取り壊されるまで、エーデルワイスは毎年、大阪の下町で白い花を咲かせ続けていました。 その懐かしい手水鉢もまた、家を解体するとき、椿と一緒に我が家に引き取ったのです。 手水鉢よ、君もエーデルワイスに再会したいかい? 植え頃はまさに今なんだけど。 ゴツゴツした御影石を撫でながら、私は思いを巡らせます。 大阪の下町よりは、山奥の我が家のほうが、エーデルワイスを育てるには適した気候だとは思います。 ですが、祖父の魔法のような「緑の指」を受け継がなかった私に、さて、あの繊細そうな花を咲かせられるかどうか。 ほどなく、新たなチャレンジが始まる予感がします。

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