晴耕雨読に猫とめし
履歴書代わりに差し出すなにか。

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小学生の頃、何かの本で、「晴耕雨読」という言葉を知りました。 晴れた日には畑を耕し、雨の日には引きこもって本を読む。 なんて素敵なんだろう。 年齢二桁になったばかりの私はそう思いました。 そんな暮らしぶりなら生活費もあんまりかからなそうだし、自分のペースで働けそう。 何より、あんまり人と会わなくていいんじゃない? 振り返ればずいぶんと覇気のない子供ですが、それには理由がありました。 当時、私は、大阪から兵庫に人生初の転校を経験したばかりでした。 しかも、小学6年生の春に。 いくら何でも、中学受験を翌年に控えたそのタイミングはなくない? ってやつです。 転校早々、「ほぼ見知らぬ人々と出かける修学旅行」という極大悲惨イベントが控えていたこともあり、私はとにかく毎日緊張し、戸惑い、怯えていました。 すぐ裏手に大家さん夫婦が住んでいて、生活音に気を使う自宅(夜明けと共に、大家さんのうがいの音が聞こえる)。 転入した学校の、これまで経験したことがなかった色々なお作法(上履きがないんかい! あと神戸ノートて何……?)。 同じ日本語なのに、微妙に違う方言を喋るクラスメートたち(「○○しとう」って不思議な響き)。 これまで住んでいたところとは桁違いの受験戦争への情熱(塾通いが当たり前ってマジか)。 あとみんなちょっとオトナ(深夜ラジオの下ネタ話が、翌日の教室で飛び交う)! えっ、いいんですかそんなアダルティーな話を小学生がしても。 それまで暮らしていたのんびりした街や、学校の先生や友人たちが大好きで、転居先での何もかもに疲れ果てていた私には、ひとりぼっちで完結できる自由で気ままな生活への強い憧れがあったのだと思います。 誰にも会いたくないなー、学校行きたくないなー、家は窮屈だから、どっか広々したところへ行って暮らしたいなー。 子供ならではの見通しのあまーい望みを抱えつつ、小心者なので、大人に言われたことは必要以上に頑張ってこなしてしまう。 上手くやれない多くのことを、どうにか人並み以上にできる数少ないことでカバーしようと躍起になる。 せめて「いい子」でいないと、存在価値がなくなってしまうと思い込む。 私は、負けず嫌いなくせにとことん弱気でぶきっちょで、必要以上に繊細な子供でありました。 それから時は過ぎ。 あまりにも色々なことがあって(それはまたおいおい、このエッセイの中でお話しできれば)、私はややこしい悩みを抱えながら医師となり、基本的に生きた人は診ない法医学教室に所属することになりました。 そこで学んでいた大学院生のときに、友達に誘われてふらふらと新人賞に応募し、忘れた頃に佳作をいただいて作家デビューもしてしまいました。 流されるままに、やっぱり見通しの甘い20代、30代をへいへいと生きていこうとしたのですが、まあ無理があり過ぎました。 その後、2足のわらじで身体を壊し、結局、フルタイムの勤務は辞めざるを得ませんでした。 いえ、本当は体調がよくなったら復帰するつもりだったのですが、休職中に親が子猫を拾ってきたので、もうダメでした。 子猫の日々の成長を、ずっと傍らにいて何ひとつ漏らさず見届ける人生を選択してしまったのです。 アホですね。 しかし、その選択を後悔したことは一度もありません。 猫は凄い。人間の運命をヒョイと片手間に変えてしまいます。 そんなわけで、今の私は、作家と医療系専門学校の非常勤講師、そしてたまに医師、という生活を送っています。 物好きな人からの依頼があれば、講演などもたまにやります。 時間があれば、医療とは何の関係もないアルバイトもします。 盛りだくさん過ぎる。 私もそう思います。 でも、そうなんだからしょうがない。ライフマストゴーオン。 お金は大事だよ。 そして11年前、「家を建てるならローンを返すガッツがあるうちに」という親の勧めで、仕事場兼自宅を建てました。 よく女ひとりにこんな借金を許してくれたな、と思うような額を借り入れて、恐怖しかない大作戦でしたが、その話もいつか、また。 家を一軒建てるというのは、こんなに大変なことか、と空を仰ぐようなことばかりありました。 それなのに、終わってみたら「やたらに楽しかったなあ」と振り返れる、色々な人を巻き込んだ謎の一大イベントでもありました。 とにかく。 現在、私は、六甲山系のそこそこ高いところ……標高でいえば500mちょっとくらいの場所に暮らしています。 山を切りひらいたといえば聞こえはいいですが、実際は、山の中にかなり強引に造った住宅街です。 周りには自然しかありません。コンビニ一軒すらない、ワイルドな場所です。 しかも国立公園の中にあるので、細かい決まり事がたくさんあります。 たとえば……建坪率が驚くほど低いので、結果として広大な庭を抱える羽目になるということ。 私の庭は町内ではとても小さいほうですが、それでもちょっとした雑木林です。 絶えず手を入れていないと、たちまち草木が茂って、庭の端までたどり着けなくなります。 家族と離れて(道路一本の幅ですが)ひとりで暮らせば、雑事を忘れて執筆の仕事に没頭できるはず。 建てる前はそう思っていましたが、とんでもない。 今はひたすら、一軒家の維持の大変さを噛みしめる日々です。 とにかく晴れたら庭仕事。 草を抜き、枝を切り、花がらを摘み、野菜の手入れをし、目が合った虫を屠り、朝夕に水を撒く。 家に入れば、四匹の猫たちが容赦なく散らかした家に掃除機をかけ、足跡だらけの床を拭き、猫たちにごはんを食べさせ、甘えたいコールに順番に応える。 そんなこんなで容赦なく時間は過ぎ、執筆に取りかかれるのは、結局夜遅くから早朝までという有様です。 とはいえ、雨や雪の日は庭仕事ができないし、水やりも要りません。 猫たちも薄暗いせいか寝ている時間が長く、私は執筆の他に、小説の資料にしたい文献、あるいはただ自分の楽しみや学びのために読みたい本を開くことができます。 あれ。 それ、例の「晴耕雨読」やん? いつのまにか、実現しとったわー! と、つい先日、気づきました。 小6の私、元気出して! 将来的に、私は君の夢、「晴耕雨読」を叶える女になるよ! 勿論、当時の私が思い描いていた悠々自適な生活とはほど遠い、バタバタといつも慌ただしい暮らしですが、なんだかんだで充実していて、幸せなんだろうなあと思います。 このエッセイで、そんな日々の小さなこと、過去にあった色々なことを綴っていけたらと。 よろしければ、どうぞゆるりとお付き合いください。

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