「何度も聞くが、お前は本っ当に座敷童子なんだろうな」 「だからの、そうじゃ、と何度も言っておろう。疑い深い奴じゃの。お主、相当にモテんじゃろ。しつこい男は嫌われるぞ」 「しつこく俺に言い寄ってきたのは、お前の方だろうが。このクソガキ」 「座敷童子相手にそういう口を利くのは、あまり宜しくないと思うぞ」 俺たちは座敷童子の住処である家へと向かう道中だ。ずっと無言で歩いていても問題はないのだが、黙りこくると今にもメソメソと泣き出しそうになるひよっこ金魚がいるので、ぱらぱらと会話を紡ぐ。 泣かれるくらいならば、単語を発している方が幾らか面倒ではない。かといって、誰かが近くにいては怪しく思われるので、近くに誰もいないことを確認しつつ、楽しくもない会話をしながらだらだらと歩く羽目になったのだった。 「……にしても、今日は冷えるな」 「何を気弱なことを言っておるのじゃ。病は気からじゃ。寒いと思えば寒い。暑いと思えば暑い。そんなもんなのじゃ」 住宅街の木々が少しずつ裸の様相を呈していく季節。ダウンジャケットを着てしまうと汗ばむが、上に羽織るものがなければ肌寒い。ちょうど良い上着がなかなか見つからない。そんな季節。仕方がないので重ね着をすることで寒さに耐える。着膨れして動きにくいのが難点だ。 俺がそんな格好をしている一方で、赤いリボンの童女はといえば、夏用と思しき着物一枚だ。妖というのは温度など感じないものなのだろうか。それとも、コイツがただの愚鈍なのだろうか。そんな疑問を抱きつつも、こんなこと考えるまでもないと自己完結する。両者に決まっている。 「で、これから向かうお屋敷にいるジジイがお前のご主人だと」 「だから、そうじゃとこれまた何度も言っておろう。お前さんには頭脳というものが機能しておるのか。我が主など齢八十は超えるというのに、お前さんなんぞよりもよっぽど物覚えが良いがの」 減らず口の足らないという慣用句があるが、このクソガキはまさしくそれだ。口から生まれてきたというやつだろう。 俺は童女のくだらない妄言などに取り合わずに大人としてのスマートな対応に切り替えることにした。 「家には他に誰もいないのか」 「うむ。近頃はご主人様とわらわの二人きりの生活じゃった」 「そのジジイの姿が昨日から見えない、と」 「そうなのじゃ……わらわがお昼寝をしていた隙に、ご主人様が消えておったのじゃ」 「昼寝の間に夜逃げしたくなったのかもしれねぇな。お前みたいな子供が足元をうろちょろしているのが嫌になったんじゃねぇか」 珈琲を飲みそびれた憂さ晴らしをしたが、童女は聞く耳持たぬ風だった。それが余計に腹立たしい。 「ご主人様はの、どこに行くにしてもわらわに一声かけてから出かけるのじゃ。じゃがな、昨日はわらわがお昼寝中じゃったから、そっとしておいてくれたのじゃろう。ご主人様がわらわを置いていなくなるなど……」 そういうと童女は「うぅぅ……」と唸り声をあげる。 すぐ泣くからガキは嫌いだ。それにこいつは姿こそ子供の形だが、その実は座敷童子だ。こいつのご主人様であるジジイ以上に歳を食っているに違いない。その割にどうにもやたらと幼いところがある。精神年齢というものは姿形に引きずられるものなのかもしれない。だが、仮にそうだとしても、もっとしっかりしていても良いはずだ。 「……ジジイ、早く見つけないとな」 唸り声をあげていた童女は、鼻水を啜りながらも、コクリと小さく頷いた。 それからしばし無言で歩くこと五分弱といったところか。遂に童女の家に辿り着いた。 当然ながら入り口にある立派な門には鍵がかかっており開けることができない。 「とりあえずチャイムでも押してみるか」 門の横にあるボタンに手を掛ける。 「ほら、田中。ご覧なさい。あれが怪しい男と座敷童子ちゃんコンビよ」 ナナミさんと僕は草葉の陰から二人の様子を眺めていました。こういうことは倫理的に良くないのではないかとナナミさんに伝えたものの、「倫理と論理で救える世界はない」という謎の反論が返ってきました。聞く耳というものが端から皆無のようです。 「田中、これは犯罪の匂いがするわ。誘拐よ、きっと。拐かしなのよ、おそらく」 「一体どこの誰が座敷童子の身代金を要求するというのですか。そもそも誘拐するなら、座敷童子さんの住んでいた家に来ちゃダメじゃないですか」 そう言うとナナミさんは「うーん」と唸り声をあげ、何かを考え始めました。できれば何も考えないでいただきたいものです。 少しの間、沈黙が通り過ぎます。僕たちは草葉の陰に身を埋めていましたが、よくよく考えれば、幽霊である僕らのことを見える人がそうはいないので、わざわざ隠れる必要はなかったのではないかと思い至ります。 それにこの時期に反して、藪蚊が多いのです。血の通う肉体を持たぬ僕らの血を吸おうという不届きな虫はいないようですが、ブーンという音が耳障りです。 「あぁ、もううっさいなぁ、田中は」 ナナミさんが、ご自身の目の前を道る蚊をパンと叩きました。幽霊であるナナミさんが蚊を殺せるはずもなく、天敵はそのままブーンと羽音を立てて、何事もなかったように引き続き空中を闊歩するのでした。 「ナナミさん、ナナミさん。それは僕ではなく、蚊です」 「うっさいなぁ、田中は。知ってるよ、そんなこと」 時間だけが無為に過ぎるものの、藪蚊と戦う以外に術のない僕らが物語を進めることはできそうにありません。 ピン、ポーン。 俺はこの大きな屋敷のチャイムを鳴らす。 ピン、ポーン。ピン、ポーン。ピン、ポーン。反応がないので何度か繰り返す。 しかし、待てど暮らせどうんともすんとも返事はない。 「ただの屍のようだな」 往年のゲームの台詞をなぞらえてみたところで、座敷童子に通じるはずもない。童女はキョトンとするだけだ。 さて、家に入れないなら仕方ない。帰るかと思い踵を返したところに、屋敷の門がゆっくりと開く音が聞こえた。 「この門、古そうに見えて意外とオートマチックなんだな」 門をくぐっても目の前に屋敷の入り口があるわけではなかった。俺たちは門から玄関まで二、三分歩く羽目になった。 歩きながら「それにしても」と俺は思う。どうすればこのような豪邸に住むことができるのだろうか。どうしてこうも人間には貴賎が発生するのか。最初の方こそそんなことを考えていた。だが、歩くにつれ、この庭の手入れも無駄に広い屋敷の掃除も面倒だろうなどと考え始めていた。つまり、庶民的な俺には到底縁のない家なのだ。 歩き疲れた頃にようやくと玄関まで辿り着いたわけだが、特別誰の出迎えなどもなかった。 門戸を開けておいて誰も出てこないというのは新手の嫌がらせか何かか。はてさてどうしたものかと思いつつ、とりあえず玄関の引き戸を開ける。鍵はかかっていなかった。ご主人様とやらが開けておいたのかもしれない。 「ごめんください」 三和土から屋敷の奥へと声を掛ける。それでもやはり誰かが出てくる気配はなかった。 「誰もいないようだな」と童女に声をかけようとしたその時、暗がりの奥の方からゆっくりとこちらに向かって来る影が見え、その言葉を引っ込めた。 「田中、田中。私たちも行ってみよう」 そう言うが早いか、ビュンと風のように玄関までナナミさんが向かいます。「ほら、田中も早く」と手招きする姿からは、誘拐を心配するような素振りが一切見えません。彼女の顔には明らかに「楽しそう」という文字しか見えないのですから。 「ところで」と僕は、ナナミさんに声をかけます。 「ん、なんだよ、田中。静かにしておくれよ。良いところなんだ」 何がどう良いところなのかはよくわかりませんが、一つ大事なことに気付いたので、伝えることにします。 「あの男の人、僕らのこと見えてませんか」 「え、まさか。妖が見えるからって、幽霊も見えるなんてそんなはずはないでしょ。ばっかじゃ……」 僕を罵倒しかけたところで、ナナミさんとその男性の目がばっちりと合いました。 「うぉっ。マジか」 最近は、なんだか焦るナナミさんを見ることが多いなと思いました。 「あちらさん、めちゃくちゃ嫌そうな顔してますね……僕らのこと見えてますよね」 その男性からは、ナナミさんという「うらめし幽霊」を見たことへの畏怖のようなものは感じられません。代わりといってはなんですが、明らかに僕らに対して嫌悪感を抱いている表情をしていました。それはある種、高校生男子が友人と近くのショッピングモールのフードコートで楽しんでいるところに、自身の母親を見つけてしまった時のようなそれに近しいものです。「なんでお前がここにいるんだよ。絶対に声かけてくんなよ、ババァ」と。そういう顔です。
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