「ねぇねぇねぇねぇねぇ。田中、いる。田中」 やれやれ。せっかくの平穏が壊される予感しかしません。喫煙所の扉の前には、満面の笑みを浮かべた女性が現れました。 「はいはい、お嬢さん。田中はここにおりますですよ」 僕は嫌がる気持ちが声に乗って表舞台に出ないよう注意深く返事をします。 幽霊の僕に自然と声をかけてくる、この満面の笑みの女性は加藤ナナミさん。彼女も僕と同じく幽霊です。 僕と違う点を敢えて言うならば、彼女が「見えない側」に属する幽霊であるということ。彼女の声も生者には伝わらないということ。つまり、彼女は一般的に大衆に信じられているオーソドックスな幽霊なのです。 彼女の姿が僕のように生者には見えなくて良かったと強く思います。生前の気の弱い僕がナナミさんを見ていたならば、きっと卒倒していたことでしょう。なぜなら、彼女は圧倒的に幽霊らしい幽霊の出で立ちをしているのですから。 「幽霊らしい幽霊って何さ」と思われるかもしれませんが、「うらめしや」と言って出てくるような幽霊を想像してみてください。いかがでしょうか。想像できたでしょうか。 そうなのです。ナナミさんの見た目はまさしく「うらめし幽霊」なのです。そのようなステレオタイプな幽霊だと思っていただいて構いません。顔色は青く、一つの目は窪み、もう一方の目玉は飛び出ています。脇腹からは何かしらの臓物が見え隠れ。首や腰などが妙な曲がり方をしていて、痛々しいという言葉では足りないような見栄えです。そんな「うらめし幽霊」が加藤ナナミさんなのです。 ですが、ナナミさんの名誉のために一つお伝えしたいことがあります。今、皆さんが想像したような「古臭い幽霊」とナナミさんが違うのは、服装が現代風でスタイリッシュであるところです。僕なんかでは、到底太刀打ちできない程の圧倒的なハイセンスです。 今日の彼女の服装は、青いデニムに白い半袖Tシャツです。その上に薄めのダウンジャケットを羽織っています。ただ、それだけのシンプルな服装だと言うのに、物凄く格好良いのです。 幽霊界にファッション誌があるならば、「ビジュアル系幽霊」という謎のジャンルに彼女はカテゴライズされることでしょう。 生前はモデルをしていたというナナミさんは、長身で手足もスラっとしています。そこにいるだけで宣材写真となるかのような見事な流麗さです。 そんなナナミさんの今現在の見た目はといえば、少々グロテスクという具合に仕上がってはいますが、それでもナナミさんからは溢れんばかりのオーラが醸し出されています。惚れ惚れするという単語が心底しっくり来るのが加藤ナナミという幽霊なのです。 そんなことを言ったら付け上がるに決まっているので、絶対に口にはしませんが。 しかし、そんな彼女は「うらめし幽霊」です。一見さんの間では、彼女の真の美しさに気付く間も無く絶叫し、その場が阿鼻叫喚となることは言うまでもありません。 そのような見た目になっていても旧来の性格というものは変わらないようで、彼女は常にあっけらかんと明るく、そして、常に動き回っています。 彼女が僕のような地縛霊ではなく、浮遊霊であることを、天の仏様や地獄の閻魔様の両方に感謝しました。彼女が地縛霊だったならば、身動きの取れない彼女の苛立ちや悲しみ、憎しみや恨み嫉み辛みなどが膨れ上がり、世界はきっと彼女の手によって破滅していたことでしょう。 そんなナナミさんはどうしてだか僕にやたらと話かけてくるのです。 どうやら今日もきっと何か、彼女にとっては面白い、僕にとっては傍迷惑な話題でも持って来たに違いありません。 「ナナミさん、どうしたんですか。こんなに急いで」 「田中さ、さっきここで変なおじさんと会話していたでしょう」 どうしてこの場にいなかった彼女がそんなことを知っているのかと問うてみたくなります。しかし、彼女からは「野暮なこと聞かないでよ。知っているから知っているの。それでいいじゃない。うっさいなー」という答えが返ってくるに決まっています。彼女の質問に対し質問で返すというような蛮行には絶対に及びません。 「えぇ、ライターの火を貸してあげましたね」 「ちゃんと火を返してもらうんだよ、いいね」 どうやら彼女はライターの火を返してもらう派に属する人間のようです。 「ライターの火を返してもらったかどうかを聞きたかったのでしょうか」 「はぁ。そんな訳ないじゃん。ばっかじゃないの」 なるほど。見事な失言のようでした。 「そんなことじゃなくてさ、さっきのおじさん。エミちゃん抱えて出てっちゃったよ」 エミチャンカカエテデテイッタ。 その言葉がきちんとした文章になるまでに少々時間を要しました。 エミちゃんを抱えて出て行った。 一体それはどういうことでしょうか。ナナミさん、詳しく教えていただけますか。少しだけ語気を荒げそうになるところを、どうにか抑えながらナナミさんに尋ねました。
コメントはまだありません