ナナミと田中と煙草の火
[第1章] 第8話:彼女の怒りはマッドマックス

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 さて、僕はといえば、宇渡辰巳に代わり、「若いの」と言われた名前も知らないモブ一号機と対面して座っています。  そのモブ一号機と僕を除いた全員——宇渡辰巳とその手下二名、それに、五十鈴さん、栗林さん——は受付の奥にある部屋へと消えて行きました。  その部屋は宇渡辰巳にとっての天守閣のようなものです。つまり、この部屋の中においては、宇渡辰巳が法律であり規律であり、この世の全てであるという訳です。  宇渡辰巳は天守閣の椅子にドカッと腰掛けます。目に見える範囲の邪魔者は消え、これでようやく本番を始めることができるとでもいうかのように、指の骨をパキポキと鳴らし始めました。始まりの合図です。 「さて、五十鈴さん。困りますなぁ。最愛の我が娘を、小汚い豚小屋なぞに連れて行かれては。エミちゃんは持病がありますしね。おいそれと外に連れ出してしまってはいけないんですよ。お医者様の許可がなくしては、病院から一歩も出られない身体なのですよ。あぁ、なんて可哀想なエミちゃんなんでしょう。あぁ、そんな可哀想なエミちゃんを思って外に連れ出してくれたんですかね。それなら余計なお世話なんですよ、五十鈴さん」  宇渡辰巳は冷徹な声で五十鈴さんを恫喝します。  五十鈴さんは黙って下を向いていました。その態度を良しとしなかった白スーツが「何か言わんかい。ゴラァ」と怒鳴り付けます。五十鈴さんと栗林さんは、ただでさえ小さくなっていたにもかかわらず、さらにさらに小さく縮こまってしまいました。  お客さんを装っている僕はといえば、奥の部屋から何やら怒号が聞こえることについて不安を感じるという旨を伝えました。  モブ一号機はお金をきちんと返してもらえれば何も怖いことなんてないですよ、とあくまで淡々と返答するだけでした。「なるほど、そういうものなのですね」と僕は世間知らずの坊々を演じ続けます。  さてさて、と天守閣で宇渡辰巳が続けます。 「五十鈴さん、この落とし前どう付けましょうか。あと、そこの薄汚いお友達、まずはあなたのお名前から伺いたいですね」  栗林さんはムスッと黙りこくっています。 「おや、聞こえませんでしたかね。お、な、ま、え、は」と宇渡辰巳がボリュームを上げつつ、もう一度問いかけました。  栗林さんはビクッと体を揺らしさえすれ、何も答えることはしませんでした。  ふむと宇渡辰巳が鼻から息を吐きます。そして徐ろに机の引き出しに手をかけました。  「名前くらい幼稚園児でも言えますけどねぇ」と言いながら、宇渡辰巳はこの法治国家日本において、その存在が到底似つかわしくはない代物を取り出しました。それは拳銃といわれるものでした。ゲームなどでよく見るサイレンサーと言われるものも装着されているようでした。  宇渡辰巳は拳銃を持っていない方の左手で、ピストルの形を作ります。その指を栗林さんの額あたりに狙いを定め「バン」と撃つ真似をしました。  「栗林」と栗林さんが足元を見たまま早口で呟きます。 「え、なんですって」と宇渡辰巳が言うと、栗林さんの隣に立っていた白スーツが「はっきり喋らんかぁ、ゴラァ」と怒鳴り、栗林さんのお腹辺りを思いっきり殴ります。  「ぐ」という音と共に後ろによろける栗林さん。  それを見ていた五十鈴さんが「く、く、栗林さんです」と代わりに答えます。 「九九=八一の栗林さんですね。初めまして。宇渡辰巳と申します。お構いもできませんが、どうぞごゆっくりなさっていってください。あの世で」  栗林さんから「ヒュッ」というなんだかよくわからない音が鳴りました。心臓か、もしくは、肝っ玉か、何かが抜かれた音かもしれません。  さて、そんな様子をひとしきり眺めていた一人の女性がいます。  そう、我らが加藤ナナミさんです。  彼女は、どういうことだか既に宇渡辰巳に取り憑いていた幽霊たちのボス然とした存在感を発揮しています。  そんな彼女が「あー、胸糞悪いわー」と大声で言いながら首を回します。その勢いで垂れている目玉も回ります。グルグルと弧を描くように綺麗な楕円を描きます。  「胸糞悪い」と言ったナナミさんの声は、幽霊にのみ届きました。幽霊の声は幽霊にしかわからないのです。僕はその声を聞いて、なるほどと覚悟を決めます。  この宇渡アセットパートナーへと潜入する前に、僕とナナミさんが密かに決めていた合図があります。  合図といっても、彼女の声が生者に届くはずもないので、そのような隠語を決めておく必要性はないに等しいのですが、彼女なりの気分作りというところなのでしょう。  彼女が「やっつけよう」と言うのであれば、幽霊として最大限の脅かしをしてやろうという意味。「どうしてくれよう」と言う場合には、警察送りにして、もう二度と悪いことができないように懲らしめてやるぞということ。  そして、「胸糞悪い」であれば、誰かが死のうがお構いなしにやれる限りの所業を施してやる、という意味になります。いうまでもないことですが、この場合の「誰か」とはもちろん「宇渡辰巳」に他なりません。また、その宇渡辰巳の配下である白スーツと若いの二人もその範囲に含まれることになりましょう。エミちゃんを拐うという悪行に手を染めた栗林さんや五十鈴さんにも同様にちょっとばかしお灸を吸えることにはなるかもしれません。しかし、元はと言えばその二人が発端なので、事を納めるためには少しばかりの犠牲は致し方ないところなのです。  つまり、今回はナナミさんの怒りボルテージがマックスパーセントであるということです。それでは、「殿とお戯れ大作戦」開幕といきましょう。

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