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「随分歩くんだな」  校門を出てから早足に前を歩く奏の後ろを黙ってついて歩いていたアラタだったが、十五分ほど歩いたところでしびれを切らして声を掛けた。  アラタの通学路とは反対方向にずんずん歩いてゆく背中に、すぐ着くから黙っているのだろうと勝手に思っていた。そうしたら無言で十五分だ。普段の行動範囲外で、知らない土地も同然だ。住所を言われたとしても理解は出来ないだろうけど、ゴールも示されず知らぬ道を歩かされる十五分は体感としては倍近い。しかも奏の通学路はつまらないことこの上ないのだ。  無言になるのも仕方ないのかもしれない、と思うくらい何もない。新幹線の走る線路と建物の間の細い道を延々歩かされている。  先程アラタの放った言葉も、高いコンクリートの壁と、道に背を向けるように建てられた住宅に挟まれて、音を吸い込む柔らかな土のない場所でただ行き場なく浮かんでいる。その名残を、左手の頭上高くに設けられた線路を通過する鉄の塊が蹴散らしていく。  時間の感覚が狂うような道で、実際アラタは、入学祝いにもらったGショックを見てまだそれだけの時間しか経っていないのかと驚いたところだ。 「まだ半分くらいだ」 「ええ? それ学区外じゃないの?」 「そうだよ」  しれっと答える奏に、それなら先に言えよ、とアラタは思う。ただ、距離の目安と会話の取っ掛かりが得られたのは幸いだった。 「学区外登校って出来るんだ」 「ちゃんと理由があって、申請すればな。俺小学校でいじめをうけてて、いじめの加害者と持ち上がりで同じ中学に通えなかったからさ」  淡々と語る奏の声からも背中からも、感情がうかがえない。小走りに横に並んで、隣を歩くことにする。  細い道だ。横に並んで歩く二人の横を、自転車が迷惑そうにすり抜けていった。車が迷い込んだら、出られなくなりそうな道幅で、地元民でも好んでは通らない道だろうことは想像に難くなかった。 「他にルートあるんじゃないの? こんな歩きにくい道毎日歩いてんの?」  不躾だとは思ったが訊ねずにはいられなかった。 「好きで歩いてるんだ。何も考えないで歩ける。考えたい時は逆に考えることだけ出来る」  声からも横顔からも何も読み取れないが、変わった奴だというのは確かだ、とアラタは思った。ただ、そう変わった理由がいじめだとしたら、と考えると、何かいい感じの言葉をかけなければならないような焦りに襲われる。 「そうか、そういうことあったら、同じ奴らがいる中学行きたくないよな。でも、あのー、今の中学はさ、奏の好きな部活あって良かったじゃん。先輩たちもいい人そうだし」 「……というのはまあまあ嘘なんだけど」  線路を渡る橋に差し掛かる。そこにはカメラを構えた人の群が、通過する新幹線をいまかいまかと待っていた。有名な撮影スポットらしいのは、本格的な機材からデジカメまで、集う人達の装備が様々であることからもうかがえる。 「え、ごめん今聞き間違えたのかもしんないけど、嘘っつった?」  アラタの上げた高い声に、橋の上の人々は反応しなかった。ただみんな線路を見下ろしている。 「本当は軽音楽部があってちゃんと活動してそうなのがここだったから選んだ」 「それって本当にいじめに悩んで越境する人間からしたら、嫌な嘘っていうか、ずるい技じゃねえの?」  思わず奏の顔を見上げる。どういう奴なのか見極めないうちに、家に遊びに行く流れになっていることを改めておかしいと思い始めていた。奏は瞼を細めてちょっと意地の悪そうな表情を作るが、それはどこか演技がかっていた。 「別にまったくの嘘ってわけでもない。どうしても俺が気に入らないって奴が居て、そいつ主導でハブられたりはしたから」 「あ、そう、それはごめん。ていうかそれ別に嘘じゃないじゃん」  橋をおりると、線路沿いからすこし離れて細い住宅街への道に入る。アラタの家の周辺にも近い雰囲気で、というよりこの街が基本的にそういった血管のように細く曲がりくねった道とぎゅうぎゅうに詰められた家で出来ているので、既視感がある。だから余計、一人になったら迷いそうだ。帰り道、どこまで奏は送ってくれるのだろうか。このよく分からない奴なら、そのまま家から放り出される可能性もなくもない。そんなことを考える程度には、奏の返答まで間があった。 「……嘘か本当かってのは難しくて、それ主導してたのは担任だから中学は関係ないんだよ。そこがまあまあの嘘部分」  なんでも無いことのように言うが、それなりに過酷な環境じゃないのか、とアラタは思う。本来生徒たちの揉め事を解決する立場の、しかもクラスで一番力のある存在である担任が、いち生徒に好き嫌いを表す。しかも嫌った生徒を、自らが主導してハブる。それが一年ないし二年続く。考えれば考えるほど過酷だった。 「でもまあ、ハブってた奴らと一緒に上がるのは嫌だよな」  わかるよ、と言おうとしたところを、奏の言葉が遮った。 「べつに。自分らだけじゃ何も出来ないような奴らだと思うから、いい気持ちはしないけど、個人的な恨みみたいなのはないな。どうでもいいっていうか」  一瞬景色が変わって、細い川か水路かわからないが、流れる水の上を渡る。水は浅く、そしてあくまで細く、きれいとも汚いともつかなかった。  奏は毎日この道を一人で歩き続けるんだな、と思うと、奏という人間が分かる部分とますます分からなくなる部分があるような気がする。 「どうでもいいかあ、俺だったら絶対無理だな。まあまあ嘘なんて言うなよ。ホントだよそれは。ホントの理由」 「でも実際の目的は部活だし、やっぱりまあまあの嘘だ」  頑固に繰り返す奏の横顔は少し不機嫌そうで、それ以上この話題を続けることを拒否していた。  曲がりくねった道、住宅と住宅の間に時折現れる小さな公園にまた既視感。来たことはないはずだが、そうとしか言えない。 「ていうかバスかチャリ使えば? 歩く距離じゃないだろ」 「バス通ってことにして定期代貯めてんだよ」 「昼も食わないで、バス無しで歩いて、修行じゃん。なんでそんなに金貯めたいの?」 「まあ、そのうち……」  そう答えた奏はまた無言に戻ってしまう。やはり何を考えているのかは、簡単に分かりそうにはない。ただ複雑で面倒くさい、アラタの周りに居なかったタイプだということだけは理解した。  それにしても会話に飢えていた。いきなり核心に迫るような会話ではなくて、もっと他愛のない、意味のない話がしたい。昨日知り合ったばかりの相手と話すとは、そういうものだと思っていたので落ち着かない。  仕方がないので、今日、二年のクラスに二人で届け出をしにいったときのことを話すことにした。奏が聞いていても聞いていなくても、どちらでも良い話を。 「でも先輩らは本当にいい人そうで、よかったよな」  *    奏とアラタは、放課後に二年のサノのクラスに行った。二年のクラスを訪れるのは少し緊張する。まだ制服に着られている状態の二人は、廊下を歩く二年の群れの中で浮いていた。  二人は昨日受け取った入部届けに記入したものを提出するついでに、今日は部を休むという連絡をするためにサノのクラスに行った。窓口はサノが担当しているというのは昨日聞いていた。 「そういえばサノ先輩の名前ってサノでいいんだよな」 「自分でサノっつってたからいいんじゃないのか?」  クラスの入り口まで来てふと不安になって小声で言い合っていると、サノの方から二人を見つけて駆け寄ってきてくれた。サノは始めの印象通り、話しやすい先輩だった。 「おー、早速持ってきてくれたの? これで正式に入部だな。しかも二人でくるなんて、仲良くなれそうでよかったよかった。昨日の演奏、よかったもんな!」 「あざす」 「かっこよかったすね」 「俺はなんにも出来なかったけど、そこのイケメンにギター取られてたから」  サノは奏を指して、軽い調子を作って言った。それでサノもギターを弾くということを知った。  軽音部はゆるそうではあるが、同じパート間の争いとかもあるんだろうか、とアラタがぼんやり思ったときだ。 「あ! 例の可愛い子が居るクラスじゃん」  奏の入部届を見て、サノが声を上げた。その声がやたらと通るので、教室に残っていた先輩らがなんだなんだと視線を向けるのが分かる。奏は「可愛い子?」などとぼけていて気にしている素振りもないし、サノも教室内からの視線に気付いていない。サノの肩越しに、アラタだけが視線を受け止めて落ち着かない気分になっている。 「可愛い子って?」  とぼけたまま繰り返す奏を小突きながら、「鷹藤だよ」とアラタは小声で教えてやった。本気なのか照れているのか分からない。この学校で、入学式から話題になった「例の可愛い子」と言ったら鷹藤しかいないのだ。 「鷹藤? ああ、後ろの席のか」  奏がぼんやり言うと、サノは奏の入部届を握りつぶさんばかりの勢いで両手に力をこめて全力で羨ましがった。 「まじかよ! え、話したりすんの? プリント回したりとかさあ! 俺、初日に覗きに行ったんだよ。可愛かったな〜いいな〜くそ〜」  ちらちらとこちらをうかがっていたサノのクラスの男子が数名、話に入りたそうに腰を浮かしては小突いて止め合っているのが見える。 「なんか、あいつ誰にでも話しかけますよ。馴れ馴れしいし、授業中寝てたら背中弾かれたこともある」 「んだよそれー! 自慢かよ」 「いや、性格じゃないすか? 本人の」 「はあー、めちゃくちゃフラットだな。お前その幸福を噛み締めろよー」 「確か奏くんとか呼ばれてたよな」 「うえー! 羨ましいを通り越した。僻むぞ俺は」 「いや、なんでもいいすけど、とりあえずそれ受理してくださいね」  サノの手の中でくしゃくしゃになった入部届けをさして、奏が言った。  奏は話題に飽きているのを隠さなかった。サノもそれ以上話を引っ張るつもりは無いらしい。入部届をきちんとのばして、確かに、と呟いてポケットにしまうと、そのまま二人に背を向けて教室に戻っていく。 「はい解散解散」  後ろに集まり始めていた男子たちを両手で押し戻しながら、サノは振り向いて最後に言った。 「仲良く提出しにくるなんて、お前ら気合わなさそうで合うんだな!」  *   「仲良く見えんのかな、俺ら」  ふざけてアラタが言ったところで、唐突に奏の足が止まった。アラタの話を黙って、時折頷いて聞いていた奏が、じっとアラタの顔を見返して口を開く。  何かまずいこと言ったろうか、もうとっくに仲良しのつもりだったか? なにしろこいつはよく分からない。そう身構えるアラタに奏が言った。 「ここ、俺んち」  奏の家はひと目見て分かるほどに大きかった。家からは赤ん坊の泣き声が外にまで響いていた。  ただいま、とおじゃまします、を同時に言って玄関ドアを開けた二人を出迎えたのは、ふにゃふにゃの赤ん坊を抱いた奏の母親だった。 「おかえり、早かったね。きょう迎えに行くからお母さんもう出るね。あ、お友達もゆっくりしていってね。奏、ちゃんとお茶かジュース出すのよ」 「分かってる、行ってらっしゃい」  慌ただしく出ていく後ろ姿に曖昧に礼をして、アラタは家に上がらせてもらった。 「赤ちゃんだ〜! な、まだ生まれたばっかじゃね? 俺も妹居るから懐かしいわ。可愛いだろ、なあなあ女の子? 男の子?」 「3ヶ月とかだったかな、女だよ。今母さんが迎えに行ってる響ってのが弟で、保育園の年中。帰ってくるとうるさくなるから部屋行こうぜ」  奏は道中と同じようにずんずんと家の中を進んで、リビングに入ってしまう。そのままキッチンに向かい冷蔵庫からペットボトルのジュースを取り出す奏を、アラタはリビングの入り口をまたがず廊下の側に立ったまま眺めた。リビングは赤ん坊の居る家独特の荒れ方をしていて、懐かしくほほえましいが、来客が上がるのはちょっと違うなという気がした。  壁付けの家具にCDやレコード、本が沢山収納されているところだけが、アラタの知るリビングの光景とは異なっていた。 「俺の妹は年少だから弟くんが一個上か。にしても赤ちゃんかわいいよなー。なんか妹生まれた時のことを思い出す」 「かわいいはかわいいけどなあ」  食器棚からコップを取り出す奏は、言葉を中途半端なところで飲み込んだ。 「赤ちゃん苦手とか?」 「いや弟生まれた時は可愛かったよ。5、6歳差ならまだいいんだけど、さすがに13歳差はちょっと。まあ、いいや」  コップとペットボトルを手にした奏が、アラタの横をすり抜けながら言いよどむ。そのまま奏は階段を上がって行ってしまう。 「あー……まあそうかもな」  なんとも言いようがなく、アラタはそう呟いて奏の後ろを追った。    奏の部屋に通されてまず目に入るのは大量のCDだ。棚に収められたもの、収まりきらず床に積まれたもの。  床に小さなアンプ(というのだとアラタは昨日教わった)があり、よく分からない機材が置かれている。奏のものらしいギターも、スタンドに立て掛けて置かれていた。それ以外は、作り付けのクローゼットに、学習机に、ベッド。そっけないと言えばそっけない部屋だ。アラタからすると、モノがあるのに何も無いような、そんな印象がある。  その大量のCDの中から、奏はアラタに聴かせるためのものを探しているらしい。 「なんかすげえあるね」  丸まった背中に声をかけると、そのまま背中から返事が返ってくる。 「親父の部屋とかリビングにはもっとあるよ。GREEN DAYは親父の趣味じゃないから俺の部屋にあるってだけ」  崩した山から埃が散るのが見えた。 「お前も趣味じゃないみたいなこと言って買うくらいには好きじゃん」 「好きじゃないと嫌いは違う。嫌いじゃないが近い。俺はどっかに理想の音楽があると思ってて、何でも聴いて探してる。だから話題のは聴く。これもさ、リフは良い。勢いがあって」  CDを見つけたらしい奏がコンポにディスクをセットしながら言う。  印象的なフレーズが流れて、昨日の奏の演奏が思い出される。リフという言葉の意味は分からなかったが、多分このフレーズの事を言っているんだろう。    演奏が終わろうとしている。 「この、低音で同じフレーズ追ってるのがベース。分かる?」  いつの間にか聴き入っていたアラタは、奏の言葉で我にかえった。言われた通りに聴き取ろうとするが、どこがギターでどこがベースなのかがよく分からない。昨日の演奏とは厚みが違うというのは分かるのだが。  素直にその意を伝えると、奏がボリュームを上げた。  曲が終わり、奏が頭からもう一度流す。さらに少しだけボリュームが上げられる。そもそも自分はベースの音を知らないのではないか、とアラタが思ったときだ。奏も同様のことに気付いたらしい。 「ちょっと待ってて。あ、ジュース飲んでいいから」  そう言い残し部屋から出ていった。  自分の素養のなさに呆れたんだろうか、と思いながら、とりあえずジュースをコップに注いで呑む。床にコップを置いて、再度音に集中する。  あの日の演奏は生の音の迫力があっただけにかっこ良かったが、CDから聴こえる音との違いを探ると、あの時になかった低い音が聴こえてくる。これか? という音を見つけるが逃げていく。音を掴まえようと難しい顔で聴いているアラタのもとに、奏がベースを携えて戻ってきた。 「実際の音聴いたら分かるかと思って」  そう言うと、奏は小さなアンプにコードを繋げて、ヘッドフォンをつける。ボン、と弦を一つ弾いてから音量を調整し、ヘッドフォンをアラタに渡した。CDがまた始めから再生し直され、曲に合わせてフレーズが弾かれる。調整されたはずの音量なのに、アラタにとっては耳への暴力に近い衝撃だ。  衝撃に耐えながらなんとか聴いているとほぼギターと同じフレーズが繰り返されているのが分かる。奏の指の動きを追うと、どの音がどう出ているのかなんとなく分かる気がする。だが耳が限界だ。手で合図を送り、奏が切り上げたところで、アラタはヘッドフォンを外して返した。まだ耳の奥が揺れている感じがする。 「ずっとギターと同じフレーズ弾いてるから聴き分けにくいかもしれないけど、これがベースの音」 「なるほど、つうか、音でかいよ。難聴んなるぞ」  奏はそれには答えず、ボンボンとフレーズを再度弾く。アンプを通さないベースの音は素朴な感じがあった。 「この曲なら初心者向きだし、コード覚えて指動かす練習すれば出来るようになるから、まず一ヶ月やれ。部には貸出のベースもあるだろ。時間中に教えてもやれるけど家でも練習しろ、今日これ貸してやるから持って帰れ。あとタブ譜か、書くからまってろ」  一息に言って、奏はアラタの目の前でノートに譜を書き始めた。 「んな強引な」  一応言ってみたものの、入部を決めた以上初心者のアラタにほかに道はなさそうだった。それに、多分奏なりに考えてアラタに向いた楽器を提案してくれているんだろうとも思うし、変な奴だがこと楽器に関しては面倒見が良さそうでもある。  確かにギターより弦少ないしな、と単純に受け止めることにして、コップに自分の分だけジュースをついだ。  キーボードとかは絶対無理だし、と小学校の頃に合唱会でいつもピアノを担当していた子を思い出す。きれいな運指から生まれる音の粒が流れを作る様は魔法みたいだった。 「理想の音楽がどこかにある、かあ……って俺そんな譜面書かれても分からねえって」  目の前でアラタが書き進めていくタブ譜とかいうものも、あの魔術書めいた楽譜と酷似していた。 「読めるようになれ、教本も一緒に貸してやるから」 「俺音楽の成績ひどかったのに……またこのおたまじゃくしみたいなの見ないといけないのかよ」 「普通の五線譜より単純だから大丈夫だ」 「俺の頭の作り知らないだろ、あれだぞ、バカだからな」 「頭の作りは関係ない。……多分」  うつむきながら譜を書き続ける奏が、少し笑った気がして、ヤケクソになってジュースをあおった。  

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