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「あ! もしかしてきみ入部希望?」  ドアを開けたまま中に入らず佇む一年に、橘はステップを踏むようにして寄っていく。足元は軽く、体重を感じさせなかった。 「ここ軽音部なんだよね? 誰も音出してないけど。これ全員?」  橘が近づくのを避けるように、斜めに一歩踏み出して第二音楽室へと入った奏は、無遠慮にその場の面々を見渡した。脱力した姿勢が、なぜか不遜な印象を与える男だというのがアラタの第一印象だった。 「他になんに見える」  それは他の面々にも、少なくともナギには同様だったようで、大げさに両手をひろげて楽器の並ぶ前に立ち、ナギは声にドスを効かせて言い放った。やたら短いスカートの下のふくらはぎに、ケンタッキーみたいに健康的な筋肉がついていた。  一年は、挑発するようにゆっくりと楽器に視線をやって見せて、それからナギに向き合った。ナギは踵で小刻みに床を踏みつけながら、苛立ちを全身から立ち上らせている。どうもヤンキーめいた見た目の通り、ナギは短気な性質のようだ。一触即発の空気だった。  楽器がある。スピーカーのような、黒くて大きな、ツマミがやたらついた箱がある。ドラムセットも。 「さあ?」  相手の苛立ちを楽しむように一年が言うのを聞くやいなや、 ナギは大きく一歩を踏み出した。ひやりとするアラタをよそに、ナギはわざとらしく奏の目前で方向をかえて、大股のままドラムセットに近づき、座った。  スティックを回して一年を睨んだ後、アラタの腹に低い衝撃音が響いた。それは耳で聴く音というより、体にぶつかって内側で破裂する空気の圧だった。アラタは後で知ったが、ナギは思い切りバスドラを踏んだのだ。 「さあ? じゃねえよ」  そう宣言すると、ナギはドラムを演奏し始めた。短いドラムソロだったが、自身の存在を主張する激しさのなかに、不思議な爽快感があった。最後にシンバルを鳴らして手で止めたナギが、一年を見やって言う。 「きみさあ、うちらが何者か聞く前に名乗れば?」 「まあまあ、ナギ落ち着けって」 「ナギちゃんかっこいい〜」  サノはそう言うが、橘は両手を組んで恍惚としていて場を収める気が見受けられない。椅子から腰を浮かせたサノが、奏の前につかつかと寄った。  初めての音圧に、アラタは両耳を抑えてその場に固まったまま居た。どこかでまだ音が破裂し続けている気がする。 「俺らは軽音部だよ、見たろ? きみ一年? 今日は新入生の勧誘どうするかっていう会議だけで、都合つくのがここにいる三人だけなんだけど」 「三人?」 「あ、そこの男子は飛んで窓から火に入った新入部員候補だよ」  いつの間に近寄ったのだろうか、サノの後ろから顔を出すようにして橘が補足した。  「えーと、どうも」 「どうも。お前入るの? 名前は? 楽器は?」  なんとなく挨拶をしたところにずけずけと訊ねられ、アラタはそれなりに気を悪くした。名前を先に名乗れと言われたばかりなのにまだ名乗らないなんて、ふてぶてしすぎると思う。今まで出会った事のないタイプの相手に対して、自然と湧き上がる種類の警戒心が起こって、先に名乗ったら負けだという気持ちになった。 「そうだ、きみの名前もまだだったね。でもここは、ナギちゃんの言う通り自分から名乗った方がいいと思うなあ」  橘の言葉の効果音だろうか、ナギがシンバルのふちをなぞって、チリチリと緊張感のある音を鳴らした。 「……高木そう。奏は演奏の奏。軽音部に入部希望。ずっとギターやってた。とにかく思い切り弾けるならいいし、周りがうまけりゃもっといい」  そう名乗った一年は、ちらりとナギに視線をよこした。 「ドラムいい音すね」 「そりゃどうも。高木くんね。私は二年の高城川たきがわナギ。こっちが同じ二年の佐野咲兎さくと。ギターだよ。それでこっちが部長の橘さん。ピアノ経験者でキーボード」  スティックで順繰りに指しながらナギが説明する。 「橘羽音はのんです、よろしく。入部大歓迎だよ。で、きみが……」 「真島アラタです。楽器は何もしたことない。まだ入るかどうかも決めてないっていうか、流れでここに来ちゃったというか」  顎に指をあててリスのように首をかしげる橘に見つめられて、不覚にもどぎまぎしてしまう。免疫がないというのは、こういうことなのか、と自分の反応を他人事のように思う。実際、脈拍なんて操作しようがないじゃないか、と言い訳めいたことを考えたときだ。 「ふうん」  奏はアラタを頭の先からつま先まで眺めて、それからたいして興味もなさそうに曖昧にアラタの目へと視線を合わせた。 「アラタは何組?」 「三組。高木、くんは」 「奏でいいよ。一組。今の所一年は俺だけ、すか」  不器用に付け加えられた語尾の敬語モドキが、今までとの落差でおかしかった。実際、先輩らは急ごしらえで改まった語尾に小さく笑っていて、もう彼を囲む空気が出来上がっている。  こういうタイプって得だよなと、と警戒心を引きずったままのアラタは思った。  よく見てみれば奏は雰囲気のある容姿をしている。特別背が高いというわけではないが、すらりした頭身で首が長い。骨っぽい肩に高い腰位置、真っ直ぐな足が細く伸びて、同じ学生服の黒のスラックスなのに何となくかっこよく見える。前髪から覗く目は切れ長で、薄い顔だが強い視線が印象的だ。薄い唇にとがった顎も女子受けが良さそうだ。  こんな奴でも、自分の意に反して鼓動が早鐘を打ってみたり、視線が勝手にふくらはぎに縫い付けられたりするのだろうか。 ――なんか段々腹が立ってきた。そのうえ噂の美人と同じクラスなのかこいつ。 「仮入部開始が今日からだからな。来てるのは奏と真島くんだけだよ」 「いや、俺は」 「アラタは入るか分からないんだろ、他も見てきたら」  断ろうと思ったが奏にそうふられて、なんとなく面白くない。 「いや、俺も見てくし」  よく分からない意地のままそう答えると、後ろで橘がちいさく手を叩いた。 「で、俺、弾きたいんすけど。それ。部のやつですよね」  早速、というように奏がそわそわと落ち着かない視線をやった先に、スタンドに立てられたギターがあった。 「そう、練習に貸せるように置いてあるやつ。入部したら自分の楽器持ってきてもらうんだけどね、ドラム以外は」 「ナギならドラムセット担いで来れそうだけどな、ゴリラだし」 「うっさい」 「あの、いいすか音出して」  かしましくなりそうな二年の掛け合いを遮ってそう言うと、奏は返事を待たずにギターを手にとっていた。ストラップを調整し、肩にかける。弦を弾いては先のネジのようなものを回して、また弦を弾いてみる。それを何度か繰り返してから、ツマミの並ぶ黒い大きなスピーカーのようなもの横に、蛇のようにとぐろを撒いて置かれている太いコードを刺して、ロボットみたいな顔をした大きなスピーカーのスイッチを入れる。赤いランプが点灯する。  サノがアンプの上に置かれた空き缶を指して、「ピック……」と言いかけるのを、手で止めて、奏はポケットから小さな薄いプラスティックの板を出した。これはアラタにも何となく分かる、ギターを弾く際に使うものだ。三味線でいうバチみたいな。  ハウリングの音がして、アラタはなにか高揚する気持ちになる。生のエレキギターを聴くのは初めてだった。  弦をかき鳴らしていくつかのコードを鳴らす。電気の力で増幅された音が、二重窓をびりびりと震動させる。つられてアラタの肌にも鳥肌が立っていた。鳴らしながらいくつかツマミを調整すると、奏は激しいフレーズを弾き始めた。  ガンガンに走らされたあとの心臓のように速いビートを刻む。ナギが即興でフレーズに合わせて叩き始める。サノは知っている曲らしくその場で歌い始めるが、マイクを通さない肉声では「何かを叫んでいる」というようにしか聴き取れなかった。それでも後から思えば、十分すぎるほどの声量だったのだが。  橘が楽しげに体を折って、頭を激しく振る。メガネが吹っ飛ぶのではないかという勢いだ。  短い曲だったのか、それとも奏が切り上げたのか、演奏は一分もせずに止んだ。奏が弦の上で指を滑らせてキューンという余韻を残すと、それを合図にナギも叩くのを止めた。 「American Idiot!」  サノが火照った顔で叫ぶ。隣の第一音楽室から金管の音が漏れ聞こえてきて、一気に現実に戻ったようだが、アラタの腕にはまだ鳥肌が立ち続けていた。 「楽しいすね」  先程まで無表情で弾いていた奏が、顔を上げて脱力した顔で笑った。その笑顔が無防備で、先程までの態度から想像もつかない柔らかさだったのでアラタは思わずどきりとさせられる。初めての感覚だった。  多分こいつモテるんだろうなと、思いつつ、悔しい気持ちよりも絆されたい気持ちが勝り始めていた。変なやつだが、仲良くなれる予感がした。

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