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   *  大学の半期は十五週、そのうちの一週間と思うと早い気がする。  翌週、二回目のハンドボールの授業。更衣室に来ると、しゃがんでシューズの靴紐を結んでいる人がいて、みつるは二人目だった。近くのロッカーに荷物を入れたところでその人がしゃがんだまま顔を上げた。見覚えがあるような気もするけれど、前回の授業では見なかった気がする。一瞬目が合うと、相手が少しだけ目を見開いて固まった。静かにドアを開けてきたから驚かせてしまっただろうか。軽く会釈をすると、その人も会釈を返してくれた。  自分のシューズを取り出して床に置き、着替えを取り出すと、「あの、」と背中に声をかけられた。振り返ると、靴紐を結び終わったらしく立ち上がっていたその人は身長が高くて、みつるは見上げるように視線を向けることになる。みつると同じショートカットだけど、身長が高くてきっと女子にモテただろうな、と思った。 「ハンドボールの授業って、テーピングとか貸してくれるんでしたっけ?」 「ああ、ボールケースの近くに置いてありましたよ」 「そうなんですね。ありがとうございます」  やっぱり一週目は来なかったんだ。どこのポジションの人なんだろう。あのくらい身長があったらなあ。つらつらと考え事をしながらみつるも準備を進めた。  アリーナにはTAの友美と、男子が数人いた。男女でボールの大きさは異なるのでボールケースは二つあり、テーピングもそれぞれの近くに置かれている。女子用ボールのところへ向かうと、更衣室にいた人がストレッチをしながらテーピングを巻いていた。  また会釈をして近くのテーピングを取り、人差し指から巻き始めると、「あのー」とまた声がかかる。 「先週、休んじゃったんですけど……授業ってどんな感じで進むんですか? あと、女子って人数どれくらいいるんですかね……?」  そう言いながら、座ったまま少し近付いてくる。みつるも「来週いなかったよなって思いました」と笑いながらそちらに身体ごと向き合って、少しだけ寄る。 「初めの二十分はアップで、そのあとに試合を二本ずつやります。男子が二十分、女子が十五分で、男子から交互にやるっていう感じです。女子はキーパーがいなくて先週十人でしたね。でも全員毎回来るか分かんないですし、今週も同じ感じじゃないかなと思います」 「ああ……先週休んだ私へのフォローを……」  優しい……とバツが悪そうに照れ笑いされて、「えっ、いやいや」とみつるも同じような笑顔になってしまう。 「えーと、人数は、女子はキーパーいなくて、男子に一人ずつサイド入ってもらうくらいのギリギリな感じでしたね……。ポジションどこなんですか?」 「センターやってました。でもダブルポストでポスト入ることもあったので、ギリギリポストもできるかな……くらいの……。人数やっぱ結構ギリギリなんですねえ」  ですねー、と頷きながらストレッチの体勢を変え、仰向けになる。テーピングを巻く指はあと左手の親指と薬指だけで、先に薬指に巻きながら、天井に向かって口を開く。 「サイドとフローターばっかりで、元々ポストっていう人がいないんですよ。サイドが四人いて、その中から二人ポストに出してました」 「あ、そうなんだ。じゃあポストかなあ」 「んー、どうなんでしょう。フローターの人の中にもポストできる人またいるかもですし」 「久しぶりだから自分のポジションじゃないと尚更動けないし、センターやりたいな……いやでも久しぶりだからって言い訳立つかなあ」  みつるは仰向けから状態を起こし、親指に巻き終えたテーピングをちぎり、一度ボールケースの方へ置く。座る体勢に戻ってストレッチを続ける。 「久しぶりって言うと、どれくらいぶりなんですか?」 「えー、高校で引退した以来ほとんどやってないので……卒業試合みたいな後輩とやったやつぶりだから、半年ちょいですかね……でもその前がまた半年前とかなので、そんな感じです」 「あ、じゃあ一年生ですか? 私も一年生です」 「そうだったんですね! え、じゃあ敬語じゃなくてもいいですか? いい?」 「もちろん大丈夫です……大丈夫!」 「あはは、ありがちなやつだ。あと名前聞いてもよい? 私はね、ひかるって言います」 「あ、今村みつるです」 「みつるちゃん?」 「みつるちゃんって呼ばれることほとんどないな……。みつるでいいよ」 「じゃあ私もひかるでいいよ」 「……ひかる?」 「そんなおずおずと言われるとこっちも照れるなあ」  授業の開始はあと三分ほどに迫っていて、だいぶ人が集まってきていた。前回で顔を合わせた人とも軽く会釈をしながら、みつるはひかるとしばらく話していた。  アップの時間を終えて、男子の一試合目の間に女子の今日のチーム分けを決める。先週いたメンバーは全員いて、ひかるの他にもう一人、先週いなかった人がいて、ポジションはポストだと言う。  みつるはひかると同じチームになり、ポストの人も同じチームだったため、ポジション決めはすんなり決まった。前回から二人追加ということで、男子の助っ人も不要になる。 「ディフェンスって、そのまま0−6ですか?」  全員がライン沿いに並ぶゾーンディフェンスの形を0−6(ゼロロク)と呼ぶ。その確認で口を開いたのはひかるだった。 「トップやってた人いたら、私1−5のセンターバックはできますよ」 「あー、先週はずっと0−6だったけど……1−5できたら相手びっくりするかもね」  そう言ってにこにこしたのは、確か三年生の先輩である。  五人がかまぼこ型の六メートルライン沿いに並び、一人だけが中央前方に浮くような形でパスの牽制をしたりロングシュートする人に当たったり(ハンドボールはボディコンタクトが認められている)するのが1−5ディフェンスだった。その「1」を担うのがトップである。――そしてそれが、 「トップ、やってました」  みつるの高校時代のディフェンスのポジションだ。  控えめに手を挙げると、おお、そうだったの? と反応が返ってくる。 「とりあえず一試合やってみますか?」  聞くと、そうだね、とちらほら頷きが返ってきて、みつるはじゃあ頑張ります、と頷いた。  攻撃を含め他のポジションも確認したところで、まだ男子の試合は半分以上残っていたのでコートの外側に座る。緩い体育座り。  その隣にひかるもやってきて、同じように緩い体育座りになる。 「トップやってたの、前回は特に申告しなかったんだね?」 「あー、うん。合わせてもらうの申し訳ないし、高校のディフェンスがちょっと特殊なチームだったから、普通に通用するのか分かんないなと思って……」  みつるの母校のディフェンスはかなり積極的に牽制をかけるのが特徴で、どのポジションが牽制した場合にどのポジションがどう動くか、牽制に出た空間を誰がカバーするかなどのセオリーが決まっていた。合わせてもらうのは申し訳ない、というよりも、できないと思う、というのがみつるの本心だった。それは侮っている訳では決してなく、ただ独特だと思っている気持ちからのつもりだ。それに、自分が静川以外のトップがどう動いているのか分からない。 「――高校のメンバーとじゃないとできないからやりたくない?」  そのつもりだったのに、ひかるがみつるを覗き込むようにしてそう聞いてきたとき、みつるはあまりの真っ直ぐさに固まって、頷くのを躊躇ってしまった。 「そ……、それは、うちのディフェンスは、うちじゃなきゃできないって思ってるけど」  けど、何なんだろう。何が続くのか自分でも分からなくて、ひかるに見つめられたまま、けど? を聞かれないことを思わず祈ってしまう。ひかるがふっと視線を前に移したので、みつるもコートの方に向き直りながら心の中でため息をついた。自分に対するため息。 「じゃあ、1−5やりませんかって言わない方がよかった?」  問われてひかるの方を向いたが、ひかるは試合を目で追っている。 「え? いやいや、そんなことは……どっちかっていうと、勝手に諦めてただけだから嬉しいよ」  口にしてから、みつるは思わず顔をしかめた。勝手に諦めてたって、他の人たちのことを? 「そっか、ならよかったよー。やっぱり自分のポジションできる方がワクワクするもんね」  そう言いながらこちらに笑顔を向けてきたひかるの表情は屈託がなくて、つられて笑う。  確かに、トップができると分かって、少しワクワクしている。嘘だ、かなりワクワクしている。つられただけの笑顔が、本心での笑顔になるのが自分で分かった。 「うん。楽しみ。ディフェンスの方が好きだったんだ」 「そうなの? まあでもトップやるくらいなんだからそうか〜。じゃあ背中押せた感じ?」 「そうだね、……ひかるがいなかったら、しばらくきっかけなかったかも」 「えー、よかったぁ」  にこにこと人懐っこく笑うひかるのことを、みつるは何だか既に尊敬し始めていた。距離の詰め方が上手いなあ。どんなハンドボールをするのか気になってくる。 「ひかるはさ、センターバックできるってことは高校は1−5だったの?」 「うーん、1−5やることもある、くらいかなあ。なんかチームの強みになるほどじゃなくて、パターンとして持ってるくらいだったよ」 「なるほどー。うちは逆に1−5ばっかりだったからなあ……」 「え、でもそのチームでトップやってたってすごいじゃん。えー、どんな動きするのか後ろで楽しみに見てよ。いやでも必死になっちゃってそんな余裕ないか」 「いやいや、そんな期待しないでよ」  すごいじゃん、のところでやや苦い気持ちになったみつるは、苦笑いで首を振る。  男子の試合が残り三分になって、座りっぱなしも良くないかとみつるは立ち上がってアキレス腱を軽く伸ばす。  ひかるも同じように立ち上がり、「うわー、本当に久しぶりのハンドだ……緊張するなあ」と言いながら肩のストレッチをする。  そのあとは男子の試合を眺めながら、黙々とストレッチを続けた。  やがてそのまま男子の試合が終わり、女子がコートに入る。  緩い礼をして、攻守のジャンケンをする。みつるのチームはディフェンスからになった。  みつるは礼をしていた場所から振り返って自チームのゴールの方へ歩き、点線で書かれたゴールから九メートルのラインあたりで立ち止まり、もう一度振り返って自チームのゴールに背を向ける。  試合開始のため、相手チームがセンターラインに並んでいる。ちょうど正面、多分センターの人がボールを持っていて、その奥に相手チームのゴールがある。この位置取り、と高揚してくる。やがて友美がホイッスルを吹き鳴らして、試合が始まった。 「1−5は嫌だよ〜」  十五分で二点に抑え、七点取って勝った試合が終わり、コートの脇にはけていくところで、相手チームのセンターだった人が笑いながらそう話しかけてきた。  思わず満面の笑みを浮かべてしまって、「楽しそうだな〜」と笑われる。 「すみません、でも、いや、楽しかったです」 「上手だね。高校強かったの?」  コートの外に出て、試合の方へ向き直る。立ったまま雑談を続ける。 「神奈川の静川ってところです」 「え、そうなの? 私も神奈川だったよー。まあ、浪人してる三年生だから代はかぶってなさそうだけど。一年生だよね? あの、センターだった子と授業前に話してるの聞こえちゃった」 「一年です。えっ、神奈川のどこだったんですか?」  みつるが質問して返ってきたところの高校は中堅くらいのチームで、何度か練習試合をしたことがあった。 「静川は最近強くなったんだっけ?」 「そうですね。強い先生が一つ上の代の時に来たので……」  その後も少し雑談を続けて、「次も1−5かなあ。嫌だな〜」という冗談とも本気ともつかない言葉を残して、相手チームの人たちが座っている方へその先輩は立ち去った。  みつるはひかるが一人で座っているのを見つけて、隣に座る。 「お疲れさま」 「お疲れさま〜。なんか知り合いのひと?」 「ううん。えーとね、代はかぶってなかったけど、練習試合とか何度かやった高校の人だったみたい」 「へー! そうなんだ。なんか体育って色んな人と会うねえ。学年どころか学部も関係ないし……。あれ、そういえばみつるは学部はどこなの?」 「ああ、そういえば全然そういう自己紹介してなかったね」  今さらみたいに学部を聞けば、二人は同じ文学部で、学科は異なる所属だった。みつるは英文学科、ひかるはメディア学科である。あとで取っている授業がかぶっていないか確認してみようと約束する。 「あ、やばい、あと一分で始まっちゃうや」 「もう一回1−5かな。――あ、ていうかさっきのひかる、センター、よかった」 「えっ。急に褒めるじゃん」 「めっちゃ好きなプレースタイルだった。かっこよかった……いいなあ」 「いいなあ、なの?」 「えー、そりゃ羨ましいし憧れるなって思うよ」  話しているうちに前の試合が終わり、一緒にコートに入る。また緩く整列して緩く礼をして、今度は先攻で始まった。センターのひかるが片手でボールを掲げるように持ち、ホイッスルが響く。二試合目が始まった。  二試合目、相手は1ー5対策としてポストを多用してきた。トップが中央に浮いている分、六メートルライン沿いの隙間が大きくなるのを狙う意図だ。トップを無効化するようにブロックをかけたスクリーンプレイも狙われる。  1−5ではセンターバック――トップの真後ろで、五人が六メートルライン沿いに並ぶのうち中央にいるポジション――とトップの連携が重要になる。今回ではみつるとひかるがそのポジションだ。  みつるはひかると動きが合うかを少し心配していたが、思いの外二人の連携は上手くいった。要は片方がポストを見たらもう一人はフローターを見る、といった形で二人で同じ人を見てしまわないようにすることが基本になるのだが、その連携が少しずつ噛み合っていく。  前半で三対三と均衡していた得点は、試合が終了した時点では六対四だった。噛み合うようになってからは一失点に抑えたことになる。 「楽しかった……」  試合終了後、コートからはけて、指に巻いた両面テープとテーピングを外しながら、みつるは思わずそう呟いた。 「結構よかったよね?」  同じように指をくるくるしながらテーピングを外しているひかるが隣に来て、二人は一緒に座る。 「よかった……だんだん噛み合ってくの楽しかったなあ」 「あー、噛み合っていく感覚合っててよかった」 「ひかるも思ってた?」 「思ったよー」  へへ、と顔を合わせて笑う。  何だかもうこれだけで体育取ってよかったかも、とみつるは思った。  軽い集合を経て授業が終わる。荷物を持ち、更衣室に向かおうとすると「みつるちゃん」と横から声をかかった。友美だった。  決まりの悪い表情を抑えようとしながら「トモさん」と向き直ると、どちらかというと友美の方が決まり悪そうな顔をしている。 「また来たって思わないでほしいんだけど……」 「いやいや……お疲れさまです」 「お疲れさまー。ねえねえ、今日センターバックやってた子ってさ、静川の同期とか?」 「え、」  ひかるのことか、と思い、ひかるを目で探す。少し離れたところで先にシューズを脱いでいたひかると目が合って、首を傾げた彼女がこちらへ近付いてくる。  その間に「いや、違いますよ」と答えると、そうなんだ、と相槌が返ってくる。 「どうかした?」  靴下のままぺたぺたと歩いてきたひかるが隣まで来て尋ねる。 「あ、ううん。えーっと、体育会に入ってる人で、同学年で同じ神奈川でやってたんだけど、ひかるは高校同じだったのかって聞かれたから。初対面だもんね」  あ、なるほど……とひかるは頷き、みつるは友美に向き直ると、友美が「結構連携できてたな〜と思ったからさ」と言う。 「あ、そう見えました? 嬉しいなあ」  みつるが破顔してそう答えると、「ちなみにうちの大学もディフェンスは1−5なんだけど、知ってた?」と言われ、笑顔のまま眉毛だけ下がった。 「そんなに楽しそうにするなら、やっぱりハンドやればいいのにって思っちゃうんだけど。ねえ、何なら一緒に入ってもいいし」 「えっ、私ですか?」 「そうそう。みつるちゃんがタメ語だったってことは同学年だと思うし、全然動けてたし」 「いやいや……。え、体育会ってことですよね? そんな動けてるってほどじゃないですし、体育がちょうどいいです。あと、サークル入ってるので。大学のスポーツ新聞書いてるんで、もしかしたらそのうち試合は見に行くかもしんないです」 「えっ、そうなの? それは……そのときが来たらお願いします」 「ぜひぜひ」  にこ、と笑ってからみつるに「着替えるよね?」と促す。  あ、助かってしまった、と思いながら、「着替える!」と答えて荷物を持つ。 「お疲れさまです」 「みつるちゃんはいつでも待ってるからね!」 「う、いや、はい」 「歯切れ悪いな〜」  半ば呆れるように笑った友美は、「お疲れさまです〜」と言いながら手を振って立ち去った。  更衣室で着替えを済ませると、ひかるも何となく似た系統の中性的な私服だったから親近感がわく。ただし身長の分、みつるには着れないような服も似合っているのが羨ましい。 「さすがにお腹すいたね」 「ねー」  先に着替えを済ませたらしいひかるはみつるのことを待っていてくれた。 「みつるはさ、実家暮らし?」 「うん」  準備できた、お待たせ、と声をかけてリュックを背負い、更衣室から出る。更衣室はアリーナと同階で観客席の真下にあるような配置で、薄暗い通路を進む。 「え、じゃあ今から帰るの? お腹空かない?」 「お腹すいた……なんか食べて帰ろうかな。ひかるは?」 「私はねー、一人暮らししてるんだよね。このあとは予定ないから家帰ってご飯食べようと思ってたけど。どこか行くなら一緒にご飯食べる?」 「いいの?」  嬉しい、という笑顔になっているのが自分でも分かった。つられたみたいにひかるが笑って、「じゃあそうしよ。どこ行きたい?」と問う。 「何も決めてなかった。でもサイゼとかでもいいよ」 「そうしちゃうか」

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