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   *  体育の授業、三回目。  木曜五限は一緒に受けようと言っていた矢先、初回から休講になったのでひかると会うのも二回目だった。一度キャンパス内ですれ違ったときはあったけれど。 「昨日久しぶりに部活行ったから筋肉痛なんだ……」 「え、部活行ってるの?」 「うん」 「すごいねえ」 「まあ、暇なだけだから……」 「暇なら行ける環境っていうのがすごいなあってこと! うち、あんまり卒業生が来るみたいな文化なかったもん。やっぱり強豪校は卒業生もいっぱい行くんだねえ」 「あー、そうかも。先生がいっぱい呼ぶから……。先生がうちに来る前の……北高校のOGの人とか、練習来てたな」 「それは……すごいね」 「そう。めちゃくちゃ強いしめっちゃ緊張した……」 「あ、やっぱり緊張とかするんだねえ」 「そりゃするでしょー。合同練習とかも結構緊張するタイプだったな、私は」 「へー。まあでも分かるなあ。合同練習とかは緊張するよね……」  一週間ぶりになったハンドボールで、ひかるは先週より勘を取り戻したようだった。明らかにミスが減って、パス回しの巧さが際立つ。弱小なんて言っていたが、ひかる自身は確実に中堅以上の実力を持っていたに違いなかった。  もったいない、と思うのは烏滸がましいと思いつつ、この体育が終わればもう一緒にハンドボールをする機会がないというのは心からもったいないと思った。  授業を終え、先週と同じように一緒に夜ご飯を食べる。別れ際、あのさ、とひかるが口を開く。 「この時間さ、用がなければ毎週恒例にしたいんだけど、どう?」 「えっいいの? そうしたい」  第二外国語や一年生共通の基礎演習のクラスを除けば、ひかるはほとんど初めてのみつるの大学の友達になった。というか、ここまで友達になりたいと思って友達になった友達は初めてだった。  毎週月曜日の夜ご飯、それから木曜日にも一緒に授業を受けて、二人の共通点は週を重ねるごとに発見されていった。  例えば、中学校のときは陸上部だったこと。  さらに例えば、小学校の頃はクラブチームに所属していたこと。  ひかるがサッカーをやっていたことは話題に上がっていたが、みつるはドッジボールのクラブチームに入っていた。 「ドッジボールって、公式の試合とかクラブチームとかあんの?」 「それがあるんだよね」  キャプテンやってた、消去法みたいなもんだけど、と笑うと、へー、頑張ってたんだねえ、とにこにこされて少し照れる。 「あれ、でもドッジボールチームって、男女比どれくらいだったの?」 「あ、男子ばっかりだったなあ。それでボーイッシュな格好するのが加速した感じあるかも」 「分かる……。私がサッカーやってた頃も同じ感じだった」 「あは、やっぱりそうだよね」 「男の子向けのスポーツブランドの服ばっか着てたな」 「分かる分かる」  さらに話している中で、中学が同じ陸上部だったということは、つまり同じ競技場にいたということだと気付いた。 「あれ、開央って中高一貫だよね? 中学から開央?」 「そうだよ」 「じゃあ陸上部でも横浜市の大会に出てた?」 「そうだね。遠かったわ……。――あ、そっか」 「ね。きっとそこでもすれ違ってたよね」 「うわー、そうだね! すご。十二歳とか? あれ、誕生日いつ?」 「私ね、十一月」  みつるがそう言った途端に「んふ、」とひかるが吹き出したので、何となく彼女の誕生日も察せられた。 「ひかるも十一月?」 「え、何で分かったの。知ってた?」 「いや、今の笑いで分かるよ。……ちなみに私は二十日だけど」 「おお、私は三十日だからちょうど十日違いだね。星座はギリギリ違う?」 「そうだねえ。ちなみに血液型は?」 「A型」 「あー、私はO型だから血液型も違うね」 「そうね。まあでももうこれだけ共通点あったら十分でしょ」 「フラグみたいだなー、それ」  果たして、共通点は見つかるものである。 「え、みつるって指定校だったの? 静川ってかなり部活の時間長かったんじゃないの?」 「あー、うーん、でも公立だから帰りの時間そこまで遅かったんだよね。私は基準の数字超えてたのと、部活頑張ってたのでもらえた感じだったけど、後輩には成績一位みたいな子いたよ」 「うわ、すごいね。私はね、授業とテストとかよりは模試とかの方が順位いいタイプだったなあ。指定校みたいにずっと授業とテスト頑張り続ける方がすごいってマジで思うよ……。なんか浪人してもいいやって思ってたから、うちとあとJ大学しか受けなかったんだよね」 「へえー。私、指定校じゃなくてもうちが第一志望だったけど、一般だったら第二志望はJ大だったよ。確かにあそこは英文強いイメージもジャーナリズム強いイメージもあるね……」  みつるが半笑いでそう言うと、ひかるの口角もつられて緩々と上がっていった。 「じゃあ……なんか、辿ってきた道が似てるなって思ってたけど、選ばなかった分岐の道まで一緒だったんだね……」 「最早面白いよね」 「めっちゃ面白いと思う」  二人して忍び笑いをする。 「なんかさ、もしかしたらもっと早く出会ってたかもしれないなって思ってたけど……ていうか会ってたは会ってたけど……、きっと大学で出会わなくてもどこかで出会ってた気がするな」 「あー、本当だね」  ひかるといるときの快適さは、みつるが初めて感じる類の快適さだった。だって全て話が通じる。  通ってきた道が同じというだけでは足りなかった。  例えば小学生のときに本が好きだったこと、どんな作家の作品が好きだったかがある程度重なっていたり、小学生のときに男子ばかりのクラブチームにいて、その頃男子に生まれたらよかったと思っていたこと、男子になりたかったこと、中高では疑似男子的に女子からかっこいいと言われていたこと、そういうポジションがあったよねと思っていること。実は今でも自分が女性らしくすることは違和感があること、入学式用にスーツを買うにあたって最初からスカートは買う気がなくてパンツスーツだけ買ったこと、成人式がちょっと憂鬱なこと、振袖は自分が着るものじゃない気がするけど親孝行と思って着ることになると思っていること。  そういう感覚が実感として共感を得られること、共感までしないことでも、想像で「こういうこと?」と言われるのが不快ではなくて、分かってもらえた、と思えること。  ――もう一人の自分みたいだと思った。  その一方で、まるで自分の上位互換みたいだとも思う。  例えば大学で何をやるか、何をやりたいかある程度決まっていること、いつだってひかるの方から何かを誘ってくれること、ハンドボールだってきっとチームの主力だったこと、一歩先まで気遣った言葉をくれること。  みつるから見て、ひかるは自分より余裕があるように見えるし、堂々として見える。  共通点が見つかるほどに、差異が際立つことにもなって、もう一人の自分みたいだと思うほどに、全く別の人間なんだと自分を戒めることになる。  ひかると出会って尚更、自分のやりたいことを探したくなって、でもまだ見つけられない。どうやって探せばいいのか分からない。でもそれさえも、本当に見つからないことが怖い故の言い訳をしているような気持ちになってくる。  ひかるはどんな写真を撮るんだろう。気になって、頼めばきっと見せてくれるのだろうけれど、それを見たらまた自己嫌悪に陥りそうで頼めていない。    *  二年生までに一番懐いていた先輩から突然連絡が来た。 〈久しぶり! 元気にしてる? 突然のお誘いでごめんけど、お茶かご飯か行かない?〉 〈実乃瑠先輩お久しぶりです! 元気です! ぜひ行きたいです!〉  二つ返事で返して、時間や場所を決めていく。  先輩は体育会で部活を続けていて、オフが月曜日しかないそうだ。  月曜日はハンドボールの日だけど、でも、他の曜日で遅い時間は別の授業かバイトが入っている。 〈来週の月曜日、18時頃から横浜で大丈夫です。楽しみにしてます!〉  木曜五限、ひかると受けている編集論。  遅刻している先生が来るのを待つ間、そういえば、とみつるは口を開いた。 「来週、ハンド、出ない……」 「えっ。あ、そうなの? え、なんでそんなに歯切れ悪いの?」 「高校の先輩と、ご飯、行くから……」 「へー、部活の?」 「うん。なんか……ひかるより先輩取るみたいで、なんか……」 「いや、授業切る罪悪感よりそっち?」  こくり、とみつるが唇をむっとさせながら頷くと、ひかるは眉を下げて笑った。 「真面目だなあ。楽しんでおいでよ」 「うん。楽しみ。一番慕ってた先輩なんだ。T大学でハンド続けてるひとで」 「そうなのか。誘ってもらったの?」 「そう」 「嬉しそうだなー。よかったね。えー、でも来週行こうと思ってたところあったんだけどな」 「う、ごめん」 「代わりに別の日、行ってくれる?」 「うん、そうしたい」  食い気味で返事をしたみつるにひかるは声を出して笑い、「そんなに嬉しそうにされたらこっちも嬉しくなるな」と目元を緩めた。  微笑まれた、と思ったみつるは、あまりに優しい笑顔を向けられたことに少し動揺した。    *  先輩と会うのは三ヶ月ぶりくらいで、でも二人で会うのはほとんど初めてのことだった。前回会ったときは高校の部活に同じタイミングで顔を出したときのことだった。 「みつる」 「……実乃瑠先輩。お久しぶりです」 「あれ、もっと嬉しそうにしてくれると思ったのに」 「今内心で全力で嬉しさ噛み締めてますよ」 「確かにめっちゃにこにこしてる」 「う……でも自分でも笑顔になっちゃってるの分かります」 「はー、こんなに全力で尻尾振られるの久しぶりで楽しいわ」 「尻尾って……」  軽口を叩き合うのも本当に久しぶりで、あまりに楽しい。先輩が尻尾ふられるのが久しぶりなら、みつるにとっても後輩の立場になるのは久しぶりだった。 「先輩が誘ってくださったの初めてじゃないですか」  チェーンのアジア料理店に入って、オーダーを頼んだところでみつるが切り出すと、実乃瑠は苦笑を見せた。 「みつるから誘ってもらったことはこれまで一度もないけど」 「……それは、あの、勝手な情けなさが」  みつると実乃瑠はディフェンスが同じポジションだったとはいえ、攻撃では実乃瑠はそのままセンターで攻撃の起点となっていた。みつるは攻撃ではパス展開に参加することが少ないサイドだったので、役割は180度異なる。  みつるにとって実乃瑠は自分ができないことをこなす先輩であり、練習以外では屈託なく慕うことができても、選手としては憧れが強すぎている自覚があった。絶対に敵わない人、と思っていた。自分の代になると尚更自分と実乃瑠を比較してしまい、そんな中で連絡をすることは次第に躊躇われていったのだ。 「……んー、まあ、何となく考えてたことは分かるけどさ。もう二人とも引退したんだし、私が今回誘ったし、これからは誘ってくれる?」 「いいなら全然誘います……でも先輩忙しくないんですか?」 「今日みたいに時間作れてるんだから、それくらいの余裕はあるよ」 「あ、そっか。ちなみに体育会って、どんくらい練習あるんですか?」  そのまま実乃瑠の練習の話を聞き、料理が届いた後もみつるは実乃瑠に質問を振り続けた。 「みつる、今体育でハンド取ってるの?」  実乃瑠がそう切り出したのは、みつるの頼んだパッタイがあと二口くらいになった頃だった。 「……え、何で知ってるんですか? ていうかみんな私が知らないところで私が体育でハンドやってること知ってるんですけど……」  まとまりづらい麺をフォークでいじりながら俯く。 「今、秋リーグ中なんだけど、それでそっちの部員の人に声かけられたんだよね。トモさんってひと」 「あ、……ああ〜……。体育でTAやってる人ですね。なるほど」  フォークを口に運びながら目を合わせると、実乃瑠は少し緊張したような、心配そうな笑顔をしていた。 「そうそう。今日、サボってるでしょ」 「あれ、そんな具体的なことまで話したんですか」 「月曜日がオフだからTAやってるんですけど、って話してたから」 「ああ、それで」 「『静川の一年生の子いますよ』って教えてくれて、『誘ったんですけどはぐらかされました』って」 「あー、別に、はぐらかしたわけじゃ……」  最後の一口を俯いたまま口に運ぶと、実乃瑠が「上手くなりそうなのに惜しいって言ってたよ」と言った。驚いて顔を上げると、相変わらず何とも言えない笑顔でこちらを見つめている。 「大学で続けたらまだまだ上手くなりそうなのに、ってトモさんが言ってたよ」 「それは……嬉しいですけど、そりゃ体育でやってるときよりは……部活続けたら上手くなるでしょう。高校から始めたんだから、始めて四年目なら全然上手くなる余地あるでしょうし。速攻できないから伸びしろはいっぱいですし」 「そうだね」  そうだね……。  もう一度繰り返した実乃瑠だって、中学はバスケをやっていたから高校からの初心者だった。関東大会に出られなかった代で、今、一部リーグでハンドボールを続けている。 「あのさあ、一度頑張って決めたんだろうし、これを言うのはきっと、今さらだし申し訳ないって思うけど、……」  実乃瑠が何を言おうとしているのか察せられて、前置きをする実乃瑠の優しさも、これを敢えて言おうとする実乃瑠の優しさも、みつるがよく知っている大好きな先輩の優しさだと思った。 「やっぱりみつる、ハンドボール続けたい気持ちあるんじゃないの?」 「……そりゃ、ないって言えないですけど」  けど……。ぐ、と喉が詰まって痛くなる。ズボンを掴んだ自分の手をじっと見つめて、そこから視線を動かせない。  「けど、大学では別にやりたいことがあって」って、言えたらよかったのに……。  そりゃ、ハンドボールを続けたい気持ちが、ないわけじゃない。  でも、もう一度続けたとして、今度こそ悔いがない状態で終えられるんだろうか?  高校時代の悔いを晴らすだけの練習が大学でできるんだろうか?  そもそも学部学科で勉強したいことを基準に選んだ大学で、もう一度部活を頑張ることができるだろうか?  勉強と部活の両立を、大学でできるだろうか? 高校であれだけ部活一本の生活を送って、それでも悔いが残ったのに、それ以上に部活に打ち込まないで悔いを晴らすなんて、自分のスタンスとしてできると思えない。もう一度頑張るなら、ちゃんと頑張り直すだけの頑張り方をしたい。でも、大学でやりたいことをちゃんと見つけたいって、大学だから頑張れることを見つけたいって、思ってるのに……。  それに、高校の部活を終えてこんなにも生活の基準が見つからなくて迷子になっているのに、大学でも同じように過ごしたら、その後はどうなるんだろう? 「……大学は大学で、頑張りたいんです」 「うん」  そんな泣きそうな声しないで、という声で逆に堪えていた涙が零れてしまった。右目からだけ涙が一筋流れて、指の背で拭うと実乃瑠がペーパーナプキンを差し出してくれた。 「あのさあ、みつるは頭いいし、しっかりしてるし、元々本好きで英語得意で今英文学科でしょ。大学は部活と切り分けて大学生活のために選んだんだって、ちゃんと分かるよ。そんで部活では私と一緒に自主練も一番やってたし、でも関東決めた大会は一年生が出てて、後悔が残ってるだろうなっていうのも、そうだろうなって思う」  頷くのが精一杯だった。 「私は結局体育会続けてるけど、正直さあ、静川とどうしても比べちゃうもん。静川は先輩後輩割とゆるくて仲良かったし、そこまでガツガツしてなくて、まあそこが弱みでもあったのかもしんないけど、チームの雰囲気はすごいよかったなって、自分が知ってるチームの中で一番良かったなって思うもん。中学のバスケ部とか含めてもね」  それは、そうだと思う。もう一度頷く。 「とはいえ、私は単純にもっとハンドボールやりたいって思ったから続けて、だから今はやらなかったよりよかったって思ってるけど。でもきっと、だから……、余程ハンドボールが純粋に好きってわけじゃない限り、続けても続けなくても、ちょっとしたわだかまりは残ると思うんだよね。真っ最中の私がこんなこと言うの、あれだけど」  私もだけど、きっとみつるも、ハンドボールが好きなのと同じかそれ以上に、静川でやるハンドボールが好きなんだもんね。  うんうん、と子供みたいに何度か頷くと、「はあもうかわいい後輩だなあ」と頭を撫でられた。 「泣くからやめてください」 「だって今くらいしかこうするタイミングなくない?」  次会うのいつよ、と実乃瑠が唇を尖らせる。 「……今度電話してもいいですか?」  泣くのを我慢したかわいくない顔に、実乃瑠は顔を綻ばせて「いいよ」と言った。 「でもそのあと、今度はみつるからご飯かお茶誘ってよね」  普通にみつるの大学生活の話も聞きたいし、と言われて、みつるはやっと笑顔になって「そうします」と答えたのだった。

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