終われなかった青い春を抱いて
やがて新しい春に臨む

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   *  忙しないまま冬休みを迎え、みつるはバイト三昧の日々を迎えることになる。  文学誌バイトは二日ほどで、それ以外の日は塾講師のバイトを入れている。ずっと座っているとはいえ、一対二の授業を五、六コマしゃべり続けるのは体力がいる。文学誌バイトはむしろ慣れてきたこともあり、単純作業が多いため冬季講習の忙しなさと比べると良い気分転換にさえなっていた。  ひかるとは、冬休み前最後の日にお互いの予定を確認して、年明けの一月二日に一度会うことにしていた。さすがにお互いバイトなどの予定を入れていない日だ。  会う予定は作ったとはいえ、授業が重なる月曜日、木曜日に加えて泊まり明けの火曜日が加わって週に三回会っていたので、初めの四、五日が経った時点で会っていないことに落ち着かなくなった。バイトの間は忙しさにそのことを忘れていられるが、移動している時間によく思い出す。ただやはり忙しない毎日はあっという間に進み、ひたすら休んで過ごした年越しが終わればもう、会う日だった。  お互い夜には別の予定が入っているため、お昼前に待ち合わせをした。 「みつる! 久しぶり」 「そうは言っても一週間ぶりとかだけどね」 「でも毎週ずっと二、三日一緒にいたんだから久しぶりだよ〜」  ひかるは嬉しそうにみつるの手を取って揺らす。 「こっち側でひかると会うの不思議な感じだ」  ひかるも実家に帰っており、二人は横浜駅で待ち合わせしている。大学以外の場所で会うのは初めてのことで、そのことは新鮮なのに二人それぞれにとって馴染みのある場所なので不思議な感覚だった。二人で来たことはないのに、あそこの店が、というのがほとんど通じることが何だかおかしい。  まだお腹が空いていないからと既に初売りを始めているお店をざっと回って、サイズは違うものの惹かれる服が同じなのが楽しい。相手に似合うと思って手に取ったものを、相手は自分に似合うと思っていたりして。  昼過ぎにご飯を食べにお店に入って、二人席に案内される。向かい合わせで座った瞬間、見慣れた視界だ、と思ってみつるは思わず笑みを浮かべた。 「何笑ってるの?」 「うん? 見慣れた視界だ、って思って。ひかるとご飯食べるのに向かい合わせになるの」 「確かに落ち着くねえ」  冬休み中の話、中高時代にこのあたりでどこのお店によく行っていたか、一週間空いていただけなのに場所がいつもと違うこともあって話題は尽きない。  食事が運ばれてきてから少しの間は黙々と食べていたが、バイトの話に戻って「そういえばどうしてそんなに冬季講習入ってるの? 普通に人が足りないとか、冬季講習受ける子が多いからとか?」とひかるがみつるに問う。 「あれ、言ってなかったっけ。一人暮らし始めるからバイト頑張れるところは頑張ろうって思って」 「あ、そういうことか。そうだよね。……あと一ヶ月か」 「もうそんなに近くか……。なんか色々と順調に進みすぎてて実感湧かないんだけど、あっという間に引っ越しとかになるんだろうなあ」 「そうだねえ」 「ちょっと先にはなるけどさ、荷解きの作業あらかた終わったら遊びに来てよ。大学周辺のどの辺りに住むかは全然決めてないけど」 「――あ、うん」 「ひかる?」  少しずつ口数が少なくなって箸を持つ手も止まっていたひかるは、名前を呼ばれて「うん?」と笑顔を返す。 「……元気ない?」 「え? 元気だよ! ごめんね、ちょっとぼーっとしてた」  自分のことは散々気にかけるくせに、全然心配させてくれない、と思いながら、まだ本当に心配が必要なのか判別できないことがもどかしくなる。 「……そっか」  ならいいけどー、と続けてみつるは残りを食べ終えて、ひかるもそれに倣う。  少し休憩してから店を出ると、十四時半頃だった。 「ひかるって次の予定の待ち合わせどんなだっけ?」 「六時に横浜駅集合だから、まだまだ先かな」 「私もほぼ同じだ。暇だね」 「服屋回るのも、気になるところは見ちゃったしね」 「うん。あと買いたくなるから……」  一コマ二千円弱の給料と比べちゃって辛い……とみつるが顔を顰めるのをひかるは笑って、「桜木町まで歩いてお散歩する?」と提案した。 「いいね。そうしよ」  横浜駅から桜木町までの道は特に面白みもなく、ただ大通り沿いを歩いていくだけである。繁華街とみなとみらい地区の間のゾーンは車はそこそこ走っているが、歩いている人は多くはない。  みつるは一人暮らしを始めるときの色々な用意についてひかるに尋ねる。  物件を見るときに気にした方がいいところ、必要な家具、引越し業者の選び方など。  ただ、話しているうちにまたひかるが上の空になる瞬間があって、耐えかねたみつるは信号待ちのタイミングで「疲れてるか、考え事とか心配事があるのか、私が何かしちゃったとか、本当に何もないの?」とひかるを見上げて問うた。えっ、と少し驚いた顔をしたひかるにそのまま続ける。 「勘違いならいいけどさ、私の心配はいっぱいするのに、自分の心配は全然させてくれないじゃん。別に何があったかとかまでは言わなくていいけどさ、何でもないみたいな感じで笑うのやめてほしい」  やや早口で詰め寄ったみつるに、ひかるはたじたじで目を泳がせる。 「えーと、勘違いじゃ、ないです」  そのタイミングで信号が青になり、周りの人が歩き始める。みなとみらい地区に入りつつあるところで、人が増えてきた。ひかるは「歩きながら話す……」と言ってひかるの手を取り、歩き始めた。  なんで手、と突っ込みたい気持ちを抑えつつ、まあスキンシップ好きだもんね、とひとまず置いてひかるの言葉を待つ。 「違うの。私が言いたいことがあるけどそれをいつ言おうかなって考えてて、それでちょっとぼーっとしてただけなので、本当に元気がないとかではないし、みつるが何かしたとかでは全然なくってですね」  こんな風に改めて言う感じになると思ってなかったのにー、とひかるは情けない声でぼやき、やっぱり座りたい、と辺りを見回す。ベンチがあるのを見つけ、そこに座ろうよとみつるを誘った。座るときにみつるが手を離そうとするとひかるが「えー、このまま……」と寂しそうな顔をしたので、みつるはわかったよ、と言って手を貸したままにした。 「あのさあ、私のやってみたいことの話」 「うん?」  何も予想できておらず、強いて言えば泊まるのをやめてほしいとか彼氏ができたとかそういうことかと思っていたみつるは、予想外の切り出し方に首を傾げる。  そういう反応になることが分かっていたのか、ひかるは情けない笑顔を少し穏やかな笑みに変えて、それから緊張した面持ちで息を吸った。吐き出すのと一緒に、言葉を告げる。 「みつる、ルームシェアしない? 一緒に暮らそうよ」  だって散々泊まってたけど多分感覚近いから問題なさそうだし、金銭面的にもお互い助かるし、何よりみつると一緒にいたら楽しいし、ね?  一緒に暮らそうよ、の後に視線を逸らしていくつかの理由を言い訳みたいに捲し立てたひかるは、最後にもう一度顔を上げて半ば自棄のように「どう?」とひかるに問う。  思いもしなかった提案にひかるを見つめたまま固まっていたみつるは、握られていた手に力が込められたのを感じてその手に視線を移す。わ、ごめん、とひかるが力を抜いた。 「……えーと、プロポーズみたいだね」 「……感想じゃなくて。いや、まあ、返事は急がなくてもいいんだけど……っていうか、まあ、時間に余裕があるわけではないか。今日じゃなくてもいいってことです。親がどう言うかとかもあるだろうし。私がちょっと想像してみたら楽しそうだなって勝手に盛り上がっただけだし。……プロポーズみたいになったのは、恥ずかしいな……」 「ひかる」 「はい」  はい、と答えるいつもと全く様子の違うひかるに、これを言うためにそんなに緊張したのか、と思わず笑みが漏れる。 「えーと、多分大丈夫だし、私もそうしたいから、そうしようか」 「いいの?」  即答されると思っていなかったのか、ひかるが目を丸くして確認する。ひかるの片手を両手で持って、いいの? と聞きながら喜んでいるみたいに上下に揺らす。 「うん。確かになーって、ひかるの聞いてて思った。でも本当に一緒に暮らせるのかは心配だから、どこかで三、四日とか連続で泊まってもいい?」 「いいよ。――いいよ!」  やったー、と満面の笑みで喜んで、そうしよう、と何度も頷く。  そんなに喜んでくれるのかと笑顔に釣られてみつるも破顔する。 「えー、じゃあどんな部屋にしたいか考えようよ。あのね、妄想はいっぱいしてたから、私の方が多分いっぱい言えるよ」 「んー、でも私もひかるの今の部屋の感じ落ち着くから、同じようなこと思いつきそう」 「ふふ。そうかなあ」  とりあえず聞かせてよ、あと寒いからそろそろどっか入ろう、とみつるは立ち上がり、ひかるも立ち上がる。  その日、一緒に住むならという妄想や具体的な計画の話はどこまでも尽きず、次の予定の待ち合わせまではあっという間に過ぎた。  翌日にお互い念のために親に確認したが特に問題なく、授業が始まってすぐの頃に一週間弱泊まって過ごしたが、部屋が分かれさえすれば大丈夫だろうと確認できた。  レポートの〆切やテストが控えていることもあり、一月はあっという間に過ぎた。お互いのテストが終わってからすぐに物件探しを始め、無事に大学から徒歩圏内の部屋を見つけて、三月頭から引っ越すことになった。  みつるは引越しの準備を進めるとともに、入れられる範囲で単発のバイトも入れていく。家具などの初期費用は抑えられたものの、その分敷金・礼金といった賃貸の初期費用はみつる側が多めに払うことにした。それに今後の生活費にしても、一緒に住む相手ができた以上、お金はあるに越したことはなかった。  そしてその合間、高校のハンドボール部に少し久しぶりに顔を出した。十二月以降、土日にバイトを入れてからはほとんど来ることができていなかった。  みつるが行けていなかった間に後輩たちは冬の県大会で二位の成績をおさめ、関東大会に進み、そこでも二勝して全国大会への出場を決めていた。全国大会への出場は、夏のインターハイを含め、初めてである。 「でもどうせならもうちょっと遠くがよかったです」  自主練を始める頃、全国大会の開催地について紗里が愚痴をこぼす。  二ヶ月ぶりに顔を出し、早めに着いたみつるがグラウンドでストレッチをしていたところ、部室に向かっていた紗里に見つかり、制服のまま駆け寄ってきた彼女に「今日自主練付き合ってくださいね」と早速練習後の予定の予約をされていた。紗里は何とかスターティングメンバーで出続けており、でも本当に油断できない、と楽しそうに語る。 「全国大会だけど東京開催だもんね。でもその分応援は行けるから」 「練習にもいっぱい来てくださいよ」 「そうだねえ。二月中はなるべく行こうと思ってるよ。三月からはね、大学の近くに引っ越すことになったから、またちょっと頻度落ちるかも」  ルームシェアするんだ、と続けるみつるを見て、紗里は「ふーん」とどうでもよさそうに相槌を打つ。そんな後輩に苦笑しつつ、「じゃあやろうか」と一対一のポジションに移動する。  一通りのパターンの確認を終え、「キレよくなってるじゃん……」と久しぶりの本気のハンドボールに困憊しながら部室の方へ一緒に向かう。 「めちゃくちゃ上手くなったねえ。さすが全国レベルのスタメンじゃん」  褒めると素直に「そうですか?」といい笑顔になるのがかわいくて安心する。 「先輩は大学生活楽しくなったんですか?」  夏頃、どう過ごせばいいのやら、みたいに言ってましたよね、と言われて、自分の言葉を思い出す。  講義以外の時間を持て余していて、部活ないの未だに慣れない、とか言っていた気がする。 「……楽しくなったなあ」  時間を持て余していることは全くなくて、自分がやりたいことを見つけて実現して、次にやってみたいことを探している。 「ふーん。よかったですね」  うん、と素直に頷けば、紗里は肩をすくめ、それから「でもたまには練習来てくださいよ」と念押しをする。  わかったわかった、と頷いて、そういえばもう高校に来る以外はハンドボールやる場所がないのか、とみつるは今さらのように気付いて、思わず立ち止まる。 「先輩?」 「あ、ううん」  後期が始まる頃には考えていた気がするのに、今の今まで意識に上がってこなかったことに戸惑ってしまった。自分にとっての優先順位が確かに変わっているのだ。  そのことが感慨深くも寂しくもあって、ふっと息を吐いてからみつるは紗里を追うように歩き始めた。    * 「全国大会ってすごいね」 「本当にねえ」  この日、みつるはひかるを誘い、母校である静川高校の全国大会の試合を見に行った。  後輩たちは一試合目で立派に勝利し、午後の二試合では全国の中でも強豪校とあたり、敗れてしまった。初出場の全国大会で一勝を上げるというのは十分立派だが、本人たちにとっては負けは負けとして悔しい結果だっただろう。それでも一勝目の後の笑顔を見られてよかったし、心からかっこいいと思える姿を見せてもらったけれど。  みつる達は既に引っ越しが完了し、同じ部屋に帰ろうとしているところだ。電車の隣同士で座っている。 「先輩にも会えてよかったね」 「うん、よかった!」  試合には実乃留も応援に来ており、会うことができた。  静川のハンドってやっぱりいいよね、と悔しそうで嬉しそうな実乃留を見て、ふとみつるの中に生まれた気持ちがある。 「あのさー、私、いつか静川のOGチーム作りたいな」 「おー、いいね」 「別に静川の出身じゃなくてもいいからさ、そのときはひかるも一緒にやろうよ」 「えっ? いやいや、静川の人たちに混ざる勇気ないですけど」 「……またひかるとハンドしたいもん」  隣を見上げ、電車の隣同士の席というそこそこの至近距離で目を合わせてお願いすれば、ひかるが息だけで「ずるい」と漏らした。 「やったね」 「いいって言ってないじゃん!」 「でもお願いすればやってくれそうって分かったから」  あざとくなってる、と顔を顰めるひかるの影響でこういうことできるようになったと思うんだけどな、とみつるはそれを言わないでおく。 「でもさー、なんかね、前だったら、ああいう本気で部活頑張って全国みたいな舞台で実力発揮して、みたいな場面を見てたらもっと苦しくなったと思うんだよね」  そしてそれをこうして伝える相手もいなくて、一人でじくじくと痛む心を抱えていたはずだ。  うん? と答えるひかるを見上げ、また前を向く。大会会場というのは少し辺鄙な場所が多いもので、郊外から二十三区内に戻る電車はそこそこ空いている。反対側に流れる景色に何となしに目を向けて、この後期を振り返る。 「でも今日は思ったよりそれがなくて安心したなと思って……、よかった」  ひかると出会ってからだった、と思う気持ちは敢えて口に出さないでおく。何せ同じようなことはもう伝えてあるのだし。 「うん、……よかったね」  あ、きっと今また「愛おしい」の顔をしている、と思ってひかるの方は見ないでおく。  そろそろ履修登録を考える必要があって、明日はまた文学誌のバイトが入っていて、引っ越してさすがに遠くなった塾講師のバイトも三月いっぱいと話しているから、新しいバイトを探す必要がある。あるいは文学誌のバイトを増やしてもいいのだけど、まずは新しいことを探してみたい。  何でも始められる、とみつるは心の中で唱えた。それら全て、体育会に入っていたらできないことだった。  何かを始めたいという気持ちの源泉が、高校時代の部活の悔いを晴らすためでも、体育会に入らなかった分の未練を散らすためでもいいと最近は思い始めていた。何かを頑張っていたことが、次の頑張りたいことに向けて自分を駆り立てているということだから。 「もうすぐ桜の季節だね」  ひかるが大きな公園を通り過ぎたタイミングでぽつりと呟いた。 「そっか。……お花見する? あ、でもサークルってお花見とかもあるんだっけ」 「いやいや、まああれはただの公園飲みだからね。あとさ、そういえば言ってなかったの思い出したんだけど、私スポ新は三月で辞めるのよ」 「っえ?!」 「やっぱり映像系でバイトかサークルか何かやろうと思ってさ。だからお花見は一緒に行こう。カメラ持っていってもいいしね」 「あ、カメラいいね……え、でもそうなんだね」 「そうそう」  じゃあ二人とも何か新しいもの探してるタイミングなんだね、とみつるが呟くと、そうだね、とひかるが呼応した。  大学生活の四分の一が終わろうとしている。春が来て、その春が終わる頃には、自分の部活の引退からは二年が経つことになる。  その頃に自分を見出していた一人が、今隣に座っている。  隣を見上げると、窓の外を眺めていたひかるが唐突にみつるの方を向いた。 「ねえ、今日ちょっと寄り道して帰ろうよ」 「いいよ。どこで降りるの?」 「うーん、どこでもいいなあ」  スマホの乗り換え案内を開いて、路線図を眺めながら行きたいところがないか見てみる。  次々と駅名を挙げるひかるの隣で、確かにどこでもいいな、とみつるは思った。 「みつるは行きたいところある?」 「んー、どこでも行ってみたいかな」  何だそれ、でも確かに、と笑うひかるの隣は心地よくて快適で、でも背中を追いかけたり背中を押されたりして、ここからどこまででも行けそうだ。  じゃあとりあえず今一番近いところで降りるか、と決めたひかるがみつるの方を見て「なんか機嫌良さそうだね」と笑う。そうかな、と顔に手を当てたみつるはでもそうか、と納得して口を開く。 「楽しいし、楽しみだなって思ったから」

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