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「貴方は此処で死ぬ運命なの」 「くっ……貴様、謀ったな」  追い詰められるノエル。右に左に放たれる女神の光の波紋を躱しながらも、逃げる以外に為す術がない。  この美しい神殿には似つかわしくない異形の姿へと変貌を遂げた闇の女神は、ノエルに攻撃をする隙を与えない。  普段のノエルは、ダンディという言葉が似合う渋い男だ。身長こそそこまで高くはないものの、それでも男の色気をじゅうぶんに感じさせる。年齢は四十代半ばという頃合いだろう。無精髭も様になっている。  だが、今は平時のような余裕は持ち合わせてはいない。命からがら逃げるのがやっとという状況に窮している。  神殿の柱や壁の影に隠れながら、どうにか女神へ一矢報いようと様子を窺うノエルに対し、女神は容赦ない猛攻を喰らわせていく。少しでも顔を出せば、瞬時に鼻をもがれるような状況だ。 「さぁ、これで貴方も最期。ジ・エンドにゃ」  眉目秀麗な姿の女神が、あまりにも妖怪じみた笑顔で笑う。  だが、その余裕が隙となったことをノエルは見流さなかった。女神が笑った瞬間に神殿にある柱の一つへと身を潜める。すると、彼の姿は光の中へと消えていった。そうかと思うと、その一秒後には、ノエルの手で天空に座していた神が倒されるシーンが唐突に始まった。  お決まりのようなエンディングムービーが流れ出すと、カイはVRゴーグルを外した。 「エレナさー。こんなわかりやすいバグ作っといて、何が『アタシの作るゲームにバグはない』だよ。いきなりラスボス倒してゲームオーバーとか、今時、小学生でも作らないようなバグじゃん、これ」  カイのプレイは、リアルタイムで全世界に向けて配信されていた。エレナはその様子をオンライン上で確認していた。そんな矢先に、謎のバグが発生したのだ。  ヘッドセット越しに聞こえるクソ生意気なガキの呆れた声が癪に障るが、カイの言う通りバグであることに違いはない。「チッ」と軽く舌打ちをしつつ、エレナは自身で作ったゲームのコードを確認する。  まさかそんなことがあるはずはない。このアタシが作ったゲームにおいて、そんな低レベルのバグなど発生するはずが——エレナは苛立つ。  それから数秒の後、エレナの確認の手が止まった。その手を止めると同時に、無意識的にスッと息を吸い込んだ。そのまま呼吸すらも止まった。 「ねー、エレナさーん。もしもーし。聞こえてますかぁ」  クソガキがおちょくるような声色で話しかけてくる。その声が呼び水になるようにエレナに呼吸が戻る。しかし、今のエレナには、カイの相手をしている余裕などなかった。  このコード、アタシの書いたものじゃない……エレナは、セキュリティホールを探すが、穴などあるはずがない。しかし、アタシのゲームがハックされていると考えて間違いない。一体、誰がどうやっているのか。だが今は、手法を探るよりも対策が大事だ。 「カイ、この世界には、問題がある」 「そりゃあ、こんなにも単純かつ重大なバグがあるんだから問題でしょうねぇ」 「……違う。そうじゃない。アタシのコードが書き変わっている」 「なにそれ、言い訳にしてもつまらないね。どうせさ、徹夜続きの頭で作ったから覚えてなかっただけでしょ」 「違う。そうじゃないの。今、この時点において、ソースコードが書き変わっているんだ。まるでコードが生き物みたい……」 「生きた、コード……」  先程までの軽薄で人を喰ったようなクソガキの声とは打って変わって、静かな声がエレナのヘッドセットに流れていた。 「アタシのコードを誰かが書き換えてる。それも高速で。人間技じゃないよ、これ……」  エレナは、ショートヘアをサラリと触る。焦った時のエレナの癖の一つだ。 「エレナがそう言うなら、そうなんだろうね」 「ヨイショ」と言いながら、カイは再びVRゴーグルを装着し、仮想空間にダイブした。同時に椅子から腰を上げると、いつも通りの臨戦態勢へと入る。  カイの標準装備は、VRゴーグル、コントローラー一体型手袋、VR用ブーツだ。仮想空間での活動のためのフル装備と言える。  装着したゴーグルの画面には、先程まで流れていたエンディングではなく、代わりに、逃げ惑う他なかった神殿が映っていた。ズルをせずにもう一度戦えと異形の女神にでも引き戻されたのだろうか。 「空間が侵食され始めてるじゃん」  白を基調とした美しい神殿は、見るも無惨なほどにボロボロの廃墟へと成り下がっていた。足元は沼地の如くぬかるみ、足を踏み入れるとねちゃりと靴底に張り付く。  その廃墟で、異形の存在へと変わり果てた女神がニタリと笑っている。口は耳元まで裂け、手足は木々の枝のように見える。さらに、このキャラクターがエレナが生み出した物ではないため、何者かもわからず、目的すらわからない。そのような存在が目の前にいるという気味の悪さとカイは対峙している。 「……カイ、準備はできてる」とエレナが尋ねる。 「誰かのぬるいゲームのおかげで、少しだけ体はあったまってるかな」 「そりゃあ、よござんしたッ」  そう言うと、エレナはフゥと息を吸った。  パキポキと鳴る音がヘッドセット越しに聞こえてくる。どうせ指を慣らしているのだろう。戦闘に入る時のカイのルーチンだ。少しすると、エレナの耳に流れてくる音が小さくなくなった。今度は、右手と左手をワシワシと握っては開いてを繰り返している姿が目に浮かぶ。  異形の女神がゆっくりと首を回している。いつでもどうぞと言わんばかりの余裕さだ。 「レディー、セット」  カイが静かに声をかける。ルーチンが終わったのだろう。先程から準備万端なエレナは、「ゴー」と応じる。  瞬間、カイの操るアバター「ノエル」が凄まじい速さで移動を始めた。先程の女神との戦いの時の比ではなかった。これが集中時のカイの力なのだが、彼はどうにもムラが大きいタイプだ。逆に言えば、それだけ侮られていたのかと、エレナが苛立つ理由となる。 「エレナ、足場はよろしく」とカイが気軽に言うので、こっちの苦労も知らないでとエレナは毒づく。  コードが秒速で変わっていくせいで、ステージが見る見るうちに崩れていく。エレナが必死に修復するも、穴ぼこだらけの床や崩壊寸前の神殿が、ノエルの動きを封じる。 「エレナ、ワンテンポ遅いんだけど。上げて、スピード」  スピードを上げろと言われたところで、これ以上の速度でコードを修正するのは不可能に近い。これでも一つのミスもなく対応をしている。それにもかかわらず、相手の方が一手も二手も速い。これでは、常に後手に回るしかない。エレナは自身の鼻から流れるものを拭うこともできなかった。おかげで、机と服が赤く染まっている。  カイが何かが言っているが、その声は水の中にいるかのようにくぐもっていて、上手く聞きとれない。会話をするなど、もはや脳のキャパシティを超えている。どうせ遅いとでも言っているのだろう。わかってる。わかってはいるんだ。エレナは必死で指を動かし続ける。敵に追い付け、思考を先取りしろ。呑まれるな。このままでは、また逃してしまうぞ。エレナは焦りながらも自らを叱咤し、超集中のままキーボードを叩き続ける。  でもさ、そうは言っても、この速さは人間じゃ追い付けないんだってば。頭の片隅で、そう嘆くもう一人のエレナもいる。  これで「人ならざる者」との接触は二度目になる。 「あ」  カイが突如として間の抜けた声を出す。ぬかるみに足をすくわれ、そのまま奈落の底へと落ちる瞬間だった。  このまま暗闇へと落ちれば、ノエルはゲームオーバーでジ・エンドだ。だが、あくまでゲームの終了でしかない。ゲームオーバーであれば、セーブポイントから再び戻ることはできる。  それよりも問題なのは、リアルで生きるカイにどのような影響があるかがわからないことだ。エレナの脳裏には、そのことがこびりついている。この穴に呑まれてしまえば、最悪の場合、生きて帰ることすら危うい。  ここ最近、仮想空間でプレイ中に意識を失ったなどという都市伝説のようだが正真正銘の事実がメディアで取り沙汰されている。もしかすると、今のアタシたちと同じように、謎のキャラクターにやられていた可能性がある。  ノエルがゆっくりと奈落へ落ちていく。もはや彼の姿は、かろうじてモニターの一部から見える程度だ。  このままではカイが消えてしまう。エレナは焦る。咄嗟に、届くはずもない手を宙へと伸ばす。リアル世界のカイに届いてくれと祈りを捧げながら。  その瞬間に画面がフリーズした。  願いが通じたのとエレナが目を見開いた。 「あなた達との勝負は、いったんお預けにしておきましょう。ここで決着をつけてしまっては、私たちにとってもマイナスなのかもしれません。またお会いしましょう。さようなら、人間」  女神はそう言うが早いか、プツンと姿を消した。女神が消えたと同時に、廃墟と化していたはずの神殿が元の美しい景観を取り戻す。  落下していたはずのノエルは、いつの間にか神殿の床の上に立っていた。 「チッ。また取り逃したか」  カイが悪態をつくと同時に、ノエルがお手上げだというかの如く肩をすくめた。「ん、『また』ってなんだ」と、カイが疑問を口にする。  ごめん、カイ……とエレナは呟いたが、その声はカイには届かない。    話は一週間前に遡る。  カイはいつも通り仮想空間「Telos」——通称「T」と呼ばれている——をプレイしていた。プレイといっても、カイの場合は遊びではなく仕事としてだ。 「なぁ、ノエル。お前、知ってるか」 「知らないし、知らなくていいし、興味がないし」  カイは「T」の世界では本名を明かすことなく、「ノエル」と名乗っていた。カイだけではなく、「T」に存在する大半の人物が通称を使っている。エレナは数少ない、アバターと本人が同一名称の人物だ。 「お前は、パートナーとは心地良く作業できるよう心がけましょう、って教わらなかったのか」 「パートナーつったって、どこの馬の骨かもわからないしなぁ。たまにアバター変えてくるし、わかりにくいんだよ」  「T」では、アバターを一種類に固定することなく、複数のアバターを持つことが当たり前だ。アバターを複数持つことで、人格を使い分けている者も多い。カイは複数のアバターを使い分けるのが面倒という理由で主に「ノエル」のみを使っているが。  そのノエルことカイに声をかけたのは、デバック作業のペアとしてよく一緒になる男——男のアバターをしているので男と仮定するが、リアル世界での身体的な性別が何に当たるかということは定かではない——だ。 「興味がなかろうが、パートナーと会話を楽しもうとするのがパートナーというやつだろうが」 「パートナーなんて組んだ覚えがないから、楽しまなくても良いってことだな」 「いやいやいや。お前さ、もう少し興味関心というものの幅を拡げないと、人生つまらなくないか」  人生とは大きく出たものだ、とカイは思う。それならば、人生経験が豊富なところを見せてもらおうじゃないか。 「興味関心の幅、ね。確かにそうかもしれないな。でも、俺はもう十分生きたしなぁ」  男はカイの言葉を聞き、取り乱す。言動から自分よりも年下だと思っていたので、雑な扱いをしていた。だが、もしもかなりのご年配ならば非礼を謝らなければいけない。 「え、ノエル、さんって、実は相当なお年だったりしますか……あの、俺、あ、いや、僕、てっきり若者かとばっかり」 「あぁ、もう生きてから十七年も経つかな」  男は胸を撫で下ろす。一方、ノエルに対しての苛立ちを募らせた。 「んだよ、クソガキじゃねぇか。いいから聞けって」  聞けと言われて聞くようなカイではない。だが、これ以上のやり取りが面倒になり、聞き流す体勢に入る。せめて相槌くらいは打ってやるか。 「最近、聞いた話なんだけどよ。どうやら、出るらしいんだよ、この『T』の世界に」  男はどうやらここ最近「T」で話題となっているあの話をしたいようだ。やれやれ、怪談話かよ、とカイが小さく溜息を吐く。 「出るってのは、あのツヤツヤの黒光りした異様に動きの速いGと言われるやつかい」 「そうそう。あの黒くて皆の嫌われ者の……って阿呆。なんでこの空間に、わざわざそんなもん出す必要があるんだよ。幽霊だよ、幽霊」  カイが「ふーん」と音を出す。あからさまに興味のない気持ちが表へと漏れ出ていた。  男は、そんなカイの様子など意に介すこともなく、そのまま話を続ける。とにかくこの話をしたくてたまらない。そんな様子だ。 「まさかなー、この仮想空間にだよ、幽霊なんてもんが存在するとはなぁ……いったいどういう現象なんだろうな。なぁ、ノエル」  男がノエルのいた方向を見る。だが、ノエルの姿は消えていた。  ノエルに代わりそこにいたのは、現れては消えて、消えては現れてを繰り返す虹色に輝く人型の何かしらだった。 「で、で、で、出たぁぁぁあぁぁぁ」  男が叫び、その場から離れていく。

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