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「あら、帰っちゃいましたね。もう少しで鼠取りに引っかかったはずなのに」 「素敵なショーが見れないのは残念だ」 「初めから捕まえてしまえば良かったじゃないですか。甘いんですよ、子供に」 「いやいや、君こそわざわざこんな施設を作って人が絶望に沈む姿を見ようなんて、相変わらずの趣味だよ」 「その企みについて、最終的に決裁を通したのは、貴方ではありませんか」 「ふふ。それはそうだね。僕はね、楽しければ良いのさ。楽しいことが一番」 「まったくもー。誰が一番悪趣味だって話にゃんだよにゃあ」 「次の楽しみができたということで良しとしようじゃないか。なぁ、みんな」  カイとエレナの様子を眺めながら、複数人の愉快そうな声が部屋の中に響いていた。 「さて、カイ隊員」  二人は今来た道を戻っているところだった。先程から、ずっと無言のカイを見かねたエレナが努めて明るい声を出す。 「敵は思った以上に手強そうだ」 「……それはさっき聞いた」  カイがボソリと呟く。 「おやおや、まだすねているのかい。まったくしょうがないお坊ちゃんだこと」  エレナが茶化すも、いつもようにカイが乗って来る気配はない。調子狂っちゃうなぁ、とエレナがボヤく。  カイは自分でも何に対しこんなにも落ち込んでいるのかがよくわからなかった。一緒に行動していただけの男が捕まっていたからといって、何を気にすることがあるのか。そんなことを気にして、一体何になるというのか。普段ならば、そんなことを気にするカイではない。それはカイ自身が最もわかっている。それでも、何かが気に掛かる。気に掛かる内容を明らかにしない限り、気分が収まることはなさそうだと自分で見当を付ける。  カイは、エレナと共にあの建物を探索したところまでの行動を一通り頭の中で再生する。自分の動きを思い出し、振り返る。これは、カイの類稀なる特技だった。このスキルを活かし、実践と内省を繰り返す。これにより、自らのゲーマーとしての力を鍛えてきた。  カイは脳内で映像を巻き戻す。まずはラグナロクにアクセスするところから始める。エレナと共に建物にまで辿り着く二人。丸穴を作ったエレナが先に建物に入る。無人の建物内を散策する。あの男——フラン……なんちゃら——が液体漬けになっている姿を見つける。何もできずに逃げ帰って来る。  それが今この瞬間までの出来事だった。  しかし、カイはこの一連の中で、何か大きな違和感を覚えた。  エレナはそんなカイの様子を目を細めて眺めている。ほっとこうなのか、そっとしとこうなのか、その両者なのか、エレナのみぞ知るという表情だった。  違和感の正体を暴くように、カイはもう一度脳内を巻き戻す。スピードを早めて何度も映像を繰り返す。三倍速、五倍速、十倍速。カイの脳内で映像が流れ出す。  建物まで辿り着く二人。丸穴を作ったエレナが先に建物に入る……ストップ。少しだけ巻き戻し。  辿り着く二人。丸穴を作ったエレナ。エレナの尻尾がカイの顔をはたく。  そこでハテナと感じる。何か違和感のとっかりを見つけたような気がする。カイが再び脳内の映像を巻き戻し、エレナの尻尾の部分で止める。  カイは横を走るエレナの姿を見る。そこで、違和感の正体を確信した。 「……お前は、誰だ」 「えー、エレナだよ。忘れちゃったの。ひっどいなー。ドイヒーだな、ドイヒー」 「俺の知ってるエレナは、猫みたいな耳がついていて」 「うん、猫耳あるね」  エレナは自分のピョコンとした耳に触れる。それから、くすぐったいんだよにゃー、などと言ってニヤける。 「いつもニヤニヤしてるけど、たまに真面目な顔をすると目が金色に光って」  キラリーンと音を立てて、エレナはポーズを決める。どう真面目な顔も素敵でしょ、とカイに迫る。 「体はスッカスカのペラッペラで」 「あー、それは失礼だと思いますー。侮辱です。セクシャルです。ハラスメントです」 「ミドルスニーカーをこよなく愛していて」 「そう、このビンテージモデルが良いのよね。履き心地はそこまででもないけどね」  そこまで話すとカイは息を吸い込み、次いでゆっくりと吐いた。 「尻尾は、二股に分かれているんだ」  エレナは自分の尻尾を眺める。「あらっ」と言って、「んー」と頭を傾げる。  ポンと音はしなかったが、エレナの尻尾が二つに割れた。 「お前は、いったい誰なんだ」 「にゃはっはー。バレちったかにゃ。もしかして、バレちったのかにゃ。にゃっにゃっにゃっ」 「お前は、誰だ。エレナは、どこだ」 「んー、そうだねぇ……まさか気付くとは思わにゃかったから、その勘の良さに免じて答えを教えてあげようかにゃ。ただ、どちらか一つだけにゃのにゃ。ボクの正体か、お嬢ちゃんの居場所か。君はどっちを選ぶのかにゃ」 「エレナは、どこだと聞いている」 「おやー、迷うことにゃいとは。んー、友情だねぇ。愛情だねぇ。情熱だねぇ。うん、うん。若いって素晴らしいことだにゃあ」  目の前にいるエレナの風貌をした物体は、腕を組みながら、一人で何かを噛み締めている。  それから突然の一人芝居が始まった。 「あにゃたが知りたいのは、ボクの正体ですか。それとも、お嬢ちゃんの行方ですか……なるほど。正直な旅の方ですね。せっかくですので、この紋章入りのペンダントを差し上げましょう。にゃーんてにゃ」  カイはその陽気さ乗せられ、ついペンダントに手を伸ばしてしまった。だが、それが失敗だった。ペンダントに触れた瞬間に辺りが崩壊を始めた。 「にゃっはー。お兄ちゃんは、もうちょっと警戒心を持った方がいいにゃー」  ノエルの足元が崩れ落ちる。足元だけではなく、周りの景色も無数の小さな直方体となって落ちていく。カイはなす術もなく、リアルの世界でただ手を伸ばした。しかし、空を切る感触しかない。 「あららー。どこまで落ちるのかにゃー。残念だにゃー。せっかく知り合えたというのに」  カイはワールドからの離脱を試みるも、ロックが掛かっているのか何も起こらない。このまま落ちてしまえば、自分がどこへ行くのか。見当もつかない。 「ふふん。きっとお友達の元に行けるにゃ。緑の液体に浸かった、あのお友達の所に」  VRゴーグルを外せば現実世界には戻れるだろう。だが、この世界に再びアクセスすることはできないはずだ。その確信がカイの中にはあった。ノエルが奪われる。それは、カイの全てが奪われることと同義である。 「アバターだけじゃにゃいにゃ。君自身もいただくのにゃ」  猫がそう言って笑う。  すると、突然にカイの掴んでいたペンダントが不意に光り出した。 「な、なんだ。これは。ペンダントが光ってる」 「んっふっふー」  エレナの風貌をした猫が不敵な笑みをこぼす。  光るペンダントを握ったカイは、落ちることなく宙に浮き、その場で静止していた。 「な、なんだ、これ。どうなってるんだ」とカイは混乱しつつも、「いや、「T」の中だから実際に体が浮いてるわけじゃあないか……」とふと我に返った。  困惑しジタバタと足掻くノエルの姿を見ては、猫がプププと笑う。 「にしても、もしかして、あの名作アニメを見たことにゃいの。ペンダントに紋章といえば、飛行石なのにゃ。そんにゃの基本でしょうが」  せっかくあの名シーンの気分を味合わせてあげたのに、まさか知らにゃいとは、と猫がブツブツと文句を言っている。 「まぁ、いいにゃ。そんな時もあるにゃ」  猫がそう言うと辺りの様相が一変した。  先程まで落下していたはずのノエルだったが、今はしっかりと大地を踏み締めている。  カイが辺りをキョロキョロと見渡す。どうやらここは、何も目印のないだだっ広い草原のようである。 「じゃあ、これで本当にさよならなのにゃ」  猫がそう言うと、今度はノエルの体がゆっくりと宙へと浮かんで行く。 「お、おい。逃げるのか——」  カイはこのまま飛んでいってしまってなるものか、と手足をジタバタとする。だが、重力に逆らいながら、ノエルの体は空へと沈んで行く。 「また会ったら遊んであげるにゃ。まぁ、会う日はないと思うんだけどにゃ」  そう言って、猫は光の中へと消えていった。  何もない草原の中で、ノエルだけがゆっくりと地上から引き離される。どれだけ足掻いてみても、何も掴むものがない。水泳のように泳いだところで、地上へと向かう推進力は発生しない。  このままだと消えてしまう。カイの頭の中には、その予感だけが確かなものとして存在していた。少しずつ遠ざかる地面を眺めながら、手を宙に叩き付け、叫ぶ。 「クソ猫!エレナをどこにやった!」  その声に呼応するかのように一陣の風が草原を揺らす。カイは溢れ出る涙を止めることができなかった。自身の無力さを嘆いた。その雫はポタリと草を濡らす露となる。 「あぁ、そうにゃ」猫の声だけが辺りに響く。「その答えを教えてあげていなかったのにゃ。ボクは素直な人が好きにゃ。だから、素直に声に出した君にプレゼントをあげるのにゃ。では、ばははーい」  猫が別れを告げると同時に、ノエルの右腕をガシッと掴むものが現れる。 「カイ、しっかりして」  その聴き慣れた声を遠くに、カイは意識が遠ざかるのを感じた。

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