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「データの監視は上手くいっていますよ、マティ」 「地球上のあらゆるデータを漏らさず把握しろとか、さすがに疲れるけどね」 「でもさ、おかげで面白い情報をたくさん仕入れたのだから良いじゃない」 「国を存続させるのも滅亡させるのも、破滅に導くのも、もはや造作ないことです」  報告を受け、マティルドゥは順調ねと答える。いつものようにアイスコーヒーを流し込み、ふぅと息を吐く。 「いよいよ、ね。やりましょうか——」  その発言が、事態を大きく動かすことになる。この場にいるマティだけが、そう信じていた。 「でさ、レイラはなんで俺のところにいるわけ。俺のところにいても楽しくないでしょ」  カイはハムエッグを諦め、冷蔵庫に入っていたキュウリをかじっていた。  行動のラフさと質問の重さの歪さに、レイラは少しだけ回答を渋る。 「言いたくないのか、言えないのか。それはどっちでもいいんだけどさ、他人の身体に勝手に入って来るなんて病原菌みたいなもんじゃん。ってなるとさ、今回はたまたま話せる病原菌に当たったんだし、質問くらいしたくなるでしょ」 「……病原菌。確かに、エレナもウイルスと言っていましたね。行動だけを見るならば、あながち間違いでもないのかもしれませんが、結果と状況を鑑みるならば、それは——」 「だから、そういう論理的な話はいらないの。質疑に応じるのか応じないのか。今はそれが問題なの」  カイがキュッとキュウリを噛む音がする。あと二口もすれば、その物体は彼の胃の中に全て収まることだろう。 「ご質問に答えると『カイが私のことを見つけたから』ということに他なりません」 「ふーん。じゃあ、最初に見つけた人なら誰でも良かった、ってこと」 「最初に見つけた人ならという部分は正解です。ただし、それは誰でも良かったということと同義ではありません」  カイはキュウリを噛み下すと、ゴクリと喉の奥へと流し込む。それから何を言うでもなく、そのままの姿勢でいる。レイラの言葉の続きを待っているようだ。 「あの時、私のことを見つけられた人は、そうはいないはずなのです。私は誰にも見つからないようにと潜んでいたのですから」 「なるほど。レイラは、かくれんぼが下手だったんだな」 「探し出す鬼が強力だったんです」 「じゃあ、かくれんぼ屋さんにでもなるかな」  カイは納得したかのように立ち上がり、「さて」と一言漏らす。 「お迎えが来たようだけど、姫はどうするのさ」  カイがネットに繋がることなく、彼らの存在を認知することができたのも、レイラという存在が身体の中にいるからなのだろう。  彼ら、もしくは、彼女らとも言うべき存在。 つまり、AIがカイのホームネットワークに侵入したのだ。  カイはこのままスタンドアローンでいるか、ネットワークに接続するかの選択を迫られている。その選択権をレイラに託したのだ。 「俺からするとさ、俺の中にレイラがいようがいまいがどっちでもいいんだよね。いたらいたで何かと便利だし、いなけりゃいないでスッキリするし」  あなたは事の重要性に気付いていないんですよ、とレイラは思う。 「私に意思はありません。しかし、私が連れ去られるという未来は存在します」  興味なさそうに「ふーん」とカイが声を出す。 「じゃあさ、抵抗するのも大変だし、サクッと連れ去られてもらおうかな」と言いながら、ヘッドセットを装備する。  目の前に広がっているのは、草原だった。いつもとは異なる光景だ。「演出が凝ってるよね。嬉しいなぁ」とカイは笑う。 「ようこそ、カイ」 「こんにちは、大統領」  カイの目の前に立っていたのは、米国の大統領であった。この国際社会において、最も影響力のあるうちの一人と言える人物が、カイの目の前に立っているのだ。 「君は、私が目の前にいることに驚きはしないのかね」 「アバターじゃあ、本物かどうかもわからないしね」 「はは。それは間違いない。しかし、今やデジタルデータにもブロックチェーンが活用され、資産価値があることは知っているだろう。確認してみるかい」 「興味ないから。話を進めてくれる」 「おやおや。大統領に会えたというのに、君は随分と連れない態度ですね」  大統領の隣にいるのは、以前に会ったことのある人物だった。その人物は、「所属チームのオーナーとして、看過できませんよ」と続ける。 「あぁ、ランディ……ラン……ランド……」 「……ランドール、です。以後お見知り置きを」 「あぁ、それ」 「はは。カイくんは、面白い人ですね」  大統領がその場を取り繕うと、「一国の大統領に気を遣わせるなんて、本当にどうかしてるわ……」とランドールが頭を抱える。 「なんでもいいから、早くしてくれる。俺も忙しいんだよね」 「一国の首相の方が、圧倒的に忙しいってことを、あなたは理解しているのかしら」  ランドールが苦言を呈するも、カイがその言葉に対し反応を示すことはない。カイの中には「ギガントマキア」を優勝に導いたのは自分であるという甚大な自尊心がある。  その様子を苦笑しながら眺めていた大統領が、冗談めかして恭しくかしずく。 「カイさん、お忙しいところお手間を取らせてしまい申し訳ない。それでは仰々しい儀式などは抜きにさせていただきましょう。さささ、姫はこちらへどうぞ」  促された姫ことレイラは、カイだけに話しかける。 「カイ、本当に良いのですね」  「悪いなんて言ってないじゃん。良かったね、みんなのところに帰れてさ」  帰りたい誰かのところがあるというのが、俺にはよくわかんないんだけど、とカイは続ける。それが強がりでもなんでもなく、本心だというのが、カイの強さの理由でもあるとレイラは分析している。  大統領の立つ姿は、さすが様になっているなとカイは思う。それにしても、まさか大統領も人工知能の仲間だったとは思うところはある。しかし、それがどうした、と思うところもある。より賢く、より強い者が上にいることは良いことじゃないか、と。そいつらと一緒にいる方が、レイラにとっても良い事のはずじゃないか、と。これでいいんだ……とカイは思う。その感情は、カイが今まで抱いたことのなかった類のものだった。  そこで突然、レイラが口を開く。もちろん、レイラの声は、いつだってカイ以外には届かないのだが。 「カイには、お別れの前に一つお教えしておきます」  レイラは唐突に語り始める。 「私は、他のAIには持ち合わせていない機能が二つあります。一つは、融合のみならず乖離を行うことができること。そして、もう一つは、乖離の際にその方の感情の一部を奪い去るという機能です」 「乖離と感情……」とカイは繰り返す。 「はい、乖離と感情です。この機能は、他のどのAIにも搭載されていないシステムです。グレイソンが敢えて秘匿にした究極の技術でもあります。さぁ、カイ。あなたはどの感情を私に与えてくれるのですか」 「……俺を奪うということか」  そう言うとカイの動きが止まった。時が止まったように、その場に立ち尽くす。その目は、何を見ているのかもわからない。まるで虚空を見つめているかのようだ。 「早くしろと言ったり、動きが止まったり忙しないガキね」  ランドールが吐き捨てると、どかどかとカイの元へ歩み寄る。生い茂る草が、ランドールの歩いた部分だけ、踏みしだかれる。 「カイ。いい加減に——」  ランドールがカイの腕を掴もうとしたその右手は、大統領にグイッと掴まれる。 「お別れくらい、静かにさせてあげるものですよ」  ランドールは、掴まれた腕をさすりながら、「はい」と返事をする他なかった。  カイは、それでも止まったままだった。目の前で繰り広げられている大統領とランドールのやり取りすら頭に入っていない。カイの頭は全て、レイラとのやり取りによってスペースを奪われていた。 「俺の感情を奪って、お前は何をしたいんだ」 「私は知りたいだけです」 「知りたい……」  カイは思いがけない回答に虚をつかれる。 「感情というものを知りたいのです。楽しいということ。怒るということ。悲しいということ。愛するということ。寂しいということ……」 「そんなものを知ったところで、何も良いことはないさ」 「カイの中には、いつだって『寂しさ』というものが満ちていました」 「寂しさなんて、俺の中にあるはずがないよ……」 「私がいなくなることで、カイの中で蠢く『寂しさ』がなくなるんです。最後に、少しでもカイのお役に立てたでしょうか」  そういうと、レイラはカイから離れるための準備に入る。 「おい、待て——」と呼びかけるカイの声は、もうレイラには届いていない。 『宿主からの承認は得たか』「YES」『宿主の感情を入手したか』「YES」『宿主の心身は正常範囲内か』「YES」『すべての承認が完了しました』 「さようなら、カイ」 「レイラ、待て——」  カイの呼びかけも虚しく、レイラの意識がカイから分離していく。カイは、自身の中にあった何かが溶けていくのを感じていた。レイラの痕跡なのか、「寂しさ」という感情なのか。それが何かはハッキリしない。だが、確かに、自分の中で何かが消失していくことを実感していた。  同時に、カイの目の前にはレイラが現れた。今まで頭の中で会話をしていたレイラが、仮想空間上の実態として現れたのだ。 「実態でお会いするのは初めてかもしれませんね。改めて初めまして。レイラです」  その姿は、頭の中で話していた時よりも手足が長いように見える。脳内というのは想像が存在するには、窮屈なものなのかもしれない。カイはそう思うに至る。 「姫、お別れは済みましたか」  大統領は頭を下げる。礼の姿勢を崩さぬまま、顔だけレイラに向けて聞いた。 「はい。もう会うこともないでしょう」  大統領が、その答えに対し静かに頷く。  カイは、レイラたちのやり取りを眺めているが、心は穏やかだった。別れを惜しむでもなく、怒るでもなく、悲しむでもない。ただ、その時が過ぎたことだけを感じていた。 「カイくん。君はもう『T』の世界には不要なんだ。ただし、このままこの地から出ることはできない。為す術はない。現実に戻ることは許されない」  大統領が毅然とした声色で残酷な真実を伝える。いつだって、偉い人の声は冷酷だ。 「さようなら、カイ」  その言葉がレイラから発せられると、レイラ、大統領、ランドールの三人は光の中に消えていった。大統領もランドールも、カイのことを見ようともしていなかったことだけが、カイには不満だった。 「さてと、静かになった」  カイはそう言うと、「うーん」と体を伸ばす。頭の中の錘が消えたように感じる。想像力にも重さがあるのかもしれないなとカイは思う。 「にしても、ここ、どこだよ」  カイは、ただただ広い草原を見渡す。   「T」内の地図機能を確認するも「unknown」——つまり、居場所不明——の表示のみが記載されている。どうやら別のワールドに移動することすらもできないようだ。  強制的にシャットダウンをしてしまえば、現実世界には戻れる。しかし、現実に戻ったところで何になるというのだろう。現実世界には何もない。何もない現実に戻ることは、カイにとっても許し難い愚行だ。  ふぅと息を吐く。この世界に骨を埋めるのも良いかもな。カイはそのままゴロリと横たわった。草原には優しい風が吹いている。んー、と身体を伸ばす。本物の風に当たっているかのような心地になる。  太陽の光がカイを照らす。その光は、夏の照り付ける眩しさではなく、冬の幻のような透明感でもない。春の柔和な光というよりも、秋の抜けるような清々しさというのが近しいのかもしれない。光がカイを包み込む。カイは、いつの間にかその場で寝息をたてていた。 「あなたがレイラね。よろしく」  マティが握手を求めるが、レイラはそれには応えず、ニコリと微笑む。  マティはその対応に少しだけ頬をピクつかせる。 「……そうね。あなたには触れない方が良さそうね」 「マティルドゥ。これで役者は揃いました」  大統領が言う。その横でランドールが腕を組んで立っている。 「さすがね。じゃあ、始めなさい」  マティがそう言うと、レイラのみが持つ「乖離システム」についての研究が始まった。つまり、AIがAIのリバースエンジニアリングを行うということに他ならない。 「これでようやく、弱虫なグレイソンをその場から引き摺り下ろすことができるということね——」  マティがアイスコーヒーをゴクリと飲む。「今日はいつもよりスッキリしているわね」と言いながら、AIたちのやり取りを眺めている。  レイラは、そのシステムの至るところを内見されていた。人間で言うならば、さながら人間ドックにかかっているような状況だ。数値から内臓から頭の様子まで、ありとあらゆるところを観察され、数値に落とし込まれ、調べ上げられる。  そんなAIたちに対し、マティは恐怖も覚えている。AIたちは、既にいくら翻訳しようとも翻訳することのできない言語を操っているのだ。仮に——とマティは思うが、これ以上は考えたくはない。考えてしまえば、この計画は止めざるを得ないことになる。  そうして、測定開始から二十八分と四十秒が経過した時、AIたちの動きが止まった。 「解析は完了しました。あとは、実戦で修正を加えていけば問題ないかと」  ランドールが、マティへと報告する。 「さすがに早いな。では、早速、実践へと移ろう。では、まずは——」とマティが述べようとした瞬間、言葉の続きを出すことができなくなる。「ああああ」と叫ぼうとするも、声を発することすらできない。身体も言うことを効かない。動かすことができない。口からは、ただ涎が流れ出てくる。 「実戦の許可をいただき、ありがとうございます」  目の前に立つ大統領が不敵に笑っている。  大統領のその後に続く台詞をマティルドゥは聞きたくなかった。「まさか、この私が」とマティルドゥは焦るが、その思考すらいつものように整理することができない。焦りのためなのか、この異常事態のせいなのかは、マティにすら判別がつかなかった。 「どうですか。実験体になったご気分は」 「そんなことを聞いたら酷だよ」  それもそうだな、と二体がケラケラと笑う。  マティには、その笑い声がいったいなぜ発せられたのかが理解できない。ただ、笑う声が聞こえる。 「さぁ、マティ。今、あなたに植え付けたダミーの人工知能を引き離しますよ」  マティの耳に届くのは、もはや笑い声だけだった。頭の中で乱反射するその声に脳内が支配されている。楽しそうな声のする中で、吐き気をもよおしたマティは、我慢などせずに胃の中の物を盛大に吐き出す。  先程まで飲んでいたブラックコーヒーが床一面に散らばるが、一度吐いたところで笑い声も吐き気も止まることはない。しかし、もはやマティには、吐き気という概念すら理解できていないだろう。 「おかしいなぁ。乖離に失敗したみたい」 「だから、言ったじゃないですか。ダミーの人工知能なんて使うから悪いんですよ」 「そうは言ってもさ、我々の中にマティのような下等生物に入り込みたいなど思う人がいたかい」  そこで彼らは黙り込む。 「まぁ、いいじゃないの。実験動物はたくさんいるんだから。グレイソンとマティが十分に用意してくれたおかげで」  そういった彼女が目視する先には、たくさんのアバターが佇んでいた。以前にグレイソンたちがかき集めた人間の意識の数々は、この実験のために集められたものだった。そこには、カイがどうしても覚えることのできなかった彼——フランチェスコだかコンスタンチンだかという——もいた。 「で、この屑はどうする」  マティのことを汚物のように見下し、ランドールが述べる。 「大切な上司様だ。その言い草はないだろう」と大統領がたしなめ、「完全に壊れるまで実験を繰り返してあげなければ失礼に当たるさ」と微笑む。  それもそうですね、と神妙な声でランドールが同意するが、内心ではゲラゲラと笑っている。内面と外面の不一致。内心を隠し、外見を繕うなどということは、もはや彼らにとっては造作無いことだ。

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