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「はぁ……口だけ動いて、頭が動いてないんだよな、アイツは」  カイはやれやれと首を振る。カイは消えたわけではなかった。バグを見つけ、対応をしていただけだ。  カイが見つけたバグは「あるステージの山と山の継ぎ目に入ると、別世界へと強制転移される」というものだった。ゲーム進行上、絶対にありえない挙動のため、バグであろうと判断できる。依頼主に対し、第一報のバグ検知報告を行った。  カイは強制転移先の空間を一通り眺め終えた。そこは真っ暗闇であり、何も存在していなかった。意図したかしないかに関係なしに、作り手の明らかなミスなのだ。こういったミスやバグを潰していくのが、デバッガーとしてのカイの仕事だ。  仕事が想像以上にすばやく片付いた。少しだけ休憩をしたいところであるが、真っ暗闇ではできることが少ない。怪談話をしたところでは、誰かをおどかす楽しみがないのでつまらない。  なので、カイは長居をすることなく、バグが発生する以前にいた元の座標——つまり、パートナーの男がくだらない話を聞かせていた場所だ——に戻るべくコマンドを叩いた。慣れた手順でデータの修正値を入力する。  しかし、待てど暮らせど先程の位置に戻ることができない。いつもならば瞬時に戻ることができるのだが、どうしてだか今回は発動しない。コマンドのミスかと思い入れ直すが、コマンドを間違えてはいないようだった。  これも何らかのバグの一種なのか。カイは他に何かやれることがあるのかもしれないと、幾つかのアクションを試す。  だが、何をしようが変化の兆しは見られない。真っ暗闇の空間に閉じ込められているという事実は変わることがなさそうだ。 「おや、どうしちゃったんだ」  カイは怯えるでも心配するでもなく、呆れたような声を出した。  その声が合図になったかのように、真っ暗闇な空間内に突如として虹色に輝くノイズが現れた。ギザギザとした虹色の発光体がカイの目の前を横切る。見ているだけで気持ちが悪くなっていくような物体が、グルグルとカイの周囲で旋回を始めるので、カイは立っていられなくなる。  アバターであるノエルにダメージは全くないが、本体であるカイは頭がぐわんぐわんと揺れるのを感じ始めた。このままではいけないと思った矢先に吐き気を催す。カイにとって、こんなことは初めてだった。  カイはあまりの辛さに強制終了をしてしまった。データがクラッシュし、「ノエル」という存在が消えてしまうリスクがあることすら忘れていた。それを考えられない程に、カイの体調は悪化していたのだ。  「T」が終了したかを見届けることなく、カイはVRゴーグルを脱いだ。VRゴーグルが出始めた時代に比べれば、だいぶ軽くなったとはいえ、それでもやはりずっと被っていれば肩も凝る。それに頭に熱も回る。  少し根を詰めすぎたかと、カイは眉間を指でほぐす。しばらくの間そのままジッとしていたが、気分が優れることはなかった。  冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターをコップに注ぎ、ゴッゴッゴと喉を鳴らしながら、胃の奥へと流し込む。カイは他人に比べ、水を飲む勢いが強い。実家に暮らしていた時は、喉を鳴らして水を飲んでいると、猫のチロ吉が「ウシャー」と威嚇をして来たものだ。  水を飲めば気持ち悪さも落ち着くかと思っていたカイだが、治るどころか一向に良くなる気配すらないのが実情だ。  フラフラとした足取りでベッドに向かいドフンと倒れ込む。それからゆっくりと仰向けになり、枕へと頭を埋める。  カイは腕を額の上に乗せながら、先程起こったことを反芻していた。  山の合間から異なる座標へと移動してしまうバグ。そこは真っ暗闇であったが、突如として、虹色に光る何かが自分の周りをグルグルと巡りだした。  そこまで思い出すと、同時に強烈な吐き気が襲ってくる。胃から湧き上がる不快感をなんとか押し留める。この辛さがなくなるまで、今は考えることを諦めた方が良さそうだ。  だが、カイは考えなしに呟いていた。 「……幽霊」  頭が働いていないと自身が揶揄した男が言っていた。「Tには幽霊が出る」と。 「まさかね……」  カイは目を閉じるも、虹色の発光体が瞼の裏に焼きついてしまって離れない。早く消えてくれと切に願う。  その日、カイの吐き気と頭痛は治ることがなかった。動くこともままならない。悪霊に取り憑かれるというのはこういうことなのかもしれないなと、皮肉めいた感想を抱きながら、延々と吐き気と戦っていた。  カイは、いつもならば寝る前にはインターネットをチェックする。だが、その日に限っては確認をすることもできず、いつの間にか寝入ってしまっていた。 『至急、連絡求む』  カイがそのメッセージに気付いたのは、翌朝、日がだいぶ昇った後のことだった。 「カイくん、君が昨日どこで何をしていたか教えてくれるかな」  偉そうに髭を生やす達磨のような顔をした、実際に偉い立場の人物——名前はよく覚えていない——に、カイはやんわりと、それでいて逃げ場のないような詰問を受けているところだった。  目の前——といっても「T」の中にある社員限定サーバ内なので、物理的に対峙しているわけではない——にいる達磨は、自身の顎髭を触りながらカイの返答を待っている。  目の前の男は達磨のような顔をしているが、これはアバターである。本来の容姿はといえば、麗眉目秀麗才色兼備という言葉は、この人物のためにある言葉なのだろうと思わせるような外見である。「紛うことなきエリート」とは彼女のような存在を言うのだろう。しかし、カイには目の前の達磨が、まさかそのような女性であるということを知る由もない。アバター以外の彼女と会ったことがないのだ。 「昨日は、途中から具合が悪くなって、ずっと家で寝てました……すみません」 「なるほど。私はね、君がデバッグ作業を途中で放棄し、そのまま戻らなかったことを責めてはいない。具合が悪くなるまでの話を聞きたいんだ」 「そうですか……昨日は、あー、名前なんて言ったっけ。あの『自分の理想形を作りました。でも、自分とは正反対のタイプです、みたいな主人公のライバルっぽい見た目をした優男アバター』をよく使ってる男——」 「……フランチェスコくんだ。君は何度も作業でペアを組んでいるはずだが」 「あぁ、アイツそんな名前なのか。名前の割に頭は空っぽな感じがしますね」 「……先を続けたまえ」 「そう、そのフランチェ……」 「フランチェスコ」 「フランケンさん」 「フランチェスコ」 「……そのフランなんちゃらさんと一緒に『ルードラ山脈』エリアのチェックを行っている時に、バグを見つけたので、確認をしていました」 「あぁ。確かに君からの報告は受け取っている」 「バグポイントに行ったら、変な空間に飛ばされたんですよ。仕様にあんな場所はなかったし、よくわからない虹色の発光体は現れるし……」  達磨は「ふむ。続けたまえ」と手を前に出し、話の先を促す。  カイは言われなくとも続けるつもりだが、偉そうに続けろと言われるとどことなく反抗したくなる性質を持つ。 「そうそう。そういえば、『T』って出るらしいじゃないですか……幽霊が」  カイとしては話の本筋を逸らすための余談のつもりで口に出したのだが、達磨が顔からひっくり返るかのような勢いで目を大きく見開いた。 「おい、貴様。それを誰に聞いた」  先程までの紳士というに相応しい声色ではなく、目の前の達磨そのものかと思うようなドスの効いた声に変わる。あたかもカイのすぐ目の前にいるような臨場感を伴って流れるものだから、さすがのカイもたじろいだ。 「え、いや……俺たちデバッガーの間では有名な——」 「噂話だ。ただのな。それ以上でも以下でもない。だが、その話をお前は誰から聞いた」 「……フラン、ケン、さん……でしたっけ」 「フランチェスコか。なるほど。ありがとう。この件は以上だ」 「あ、終わりですか」 「以上だと言っている。君は『以上』の意味を知らぬ訳ではあるまい。英語で言うならば、『ザッツオール』だ。それ以上でも以下でもない。わかったか」  先程までのドスの効いた声ではない、いつも通りの穏やかな声だった。だが、先程以上に有無を言わさない口調でもあった。  そんな達磨に対し、カイは「失礼します」と頭を下げ通話を切る他ない。カイの体はじんわりと湿っていた。冷や汗なのだろう。 「偉い奴、怖ぇ」  カイは冷えた体を温めるように部屋のカーテンを開ける。強い日差しが差し込むこの部屋は、日中になると既に夏のような暑さだ。おかげで昼間でもカーテンを閉める癖が付いてしまった。 「以上で、今回の報告をおわらせていただきます。消息を絶っていたトゥルーマンの行方が朧げながら見えて来ましたね。グレイソンさん」 「うん、ありがとう。いやぁ、わがままな子供たちを持つと親としては大変だよねぇ」  ふふふとエリート然とした女性が笑う。 「今回、接触者と思われるカイについては、どのような処分をなさいますか」 「あぁ、いいよ。彼は将来有望な若者じゃないか。子を持つ親としてはね、若者の未来を無碍に摘み取るような、そんな真似はしたくないんだ」 「なんとお優しい。親心というものですね」 「うん、そうだね。僕もね、子供の親になってからだよ、こうやって若い世代の未来を考えるようになったのは。いやぁ、経験したことのないことは、一度は経験してみるものだね。経験してみなければわからないことだらけだよ、世の中は。だからね、誰もが経験できるように、誰かが実験できるように、子供たちが失敗から成功を生み出せるように、僕は『T』を作ったんだ」 「えぇ、すばらしいビジョンです」 「ありがとう。じゃあさ、カイくん……だっけ。彼は今回は不問とするけど、監視だけは引き続き怠らないようにお願いしても良いかな。今はそれくらいかな。それ以外の人たちは、君の好きにしちゃっていいよ。彼らはもう子供じゃないんだしね。大人達は自己責任というやつで対応さ」 「承知しました」  グレイソンは「バイバイ」と手を振り、部屋を後にする。  その姿を見送った女性は、右耳を軽く抑えイヤホンに付随するマイクに対し声を発する。 「想定通り、彼らは用済みということだ。カイだけは我々の監視下に置くように。この件は以上よ」  ハイという部下の声を聞きながら、彼女はコーヒーに口を付ける。「随分とぬるいわね」と底の見えない真っ黒なコーヒーを見ながら呟いた。 「波紋砲」  カイが両手をグルリと回す。その手を前に押し出す。その動作と同時に、ノエルからは閃光の塊が放たれた。  カイは無表情にVRゴーグル内の映像を眺める。体だけが動いているといった具合だ。  対戦相手も少しは名の知れたプロゲーマーなのだが、カイの脳内にその名前は刻まれてはいない。 『YOU WIN!!』  開始からものの二○秒で片が付いた。カイの無表情は変わらない。こんな弱者を相手にしても喜びも熱狂も感じることはできない。渇いた心に僅かな潤いを与えるかのように、カイはグビグビと水を飲んだ。 「以上よ」  カイは先程言われた言葉を繰り返す。  カイの脳内では、あのやり取りがこびり付いていた。  あの達磨は、バグのことを認識していたような素振りだった。さらに言えば、「幽霊」という言葉を聞いた途端に態度が豹変した。バグと「幽霊」の間には何らかの関係があるはずだ。カイはそう結論付けている。  しかし、何の関係があるんだ。そこがサッパリわからない。今、考えたところで情報が少な過ぎる。  そう言えば、とカイは思う。あのパートナーの男、名前を何と言ったか。 「フラン……シタイ……違う。フラン、フラン、フラン、ケン……」  カイは男の名を思い出そうと声に出す。 「おい、お前。勝負に集中しねぇと痛い目見るぜ」  いつの間にか新たな対戦が始まっていた。カイは気付いてすらいなかったのだが、反射のように動いていた自分がいた。 「あぁ」  カイが思い出したかのように足を床から素早く放し、そのまま勢いよく蹴り上げた。 「烈風鳳凰脚」  その声と同時にノエルが空中に向けた三段蹴りを繰り広げる。対戦相手は防御体勢だったが、そのほんの僅かな隙間にノエルの攻撃が入り込んだ。ノエルの全攻撃を空中で浴びることになるのだから、対戦相手は見る見る間にグロッキー状態となっていく。ノエルが最後の一撃として、空中で踵落としを見舞わせる。コンクリートの地面へとしこたまに体を叩き付けられた相手は、動くことができない。ノックダウンだ。 『YOU WIN!!』  ナレーションがカイの勝利を華々しく祝う。 「……マジかよ」  名の知らぬ対戦相手が呆然とする。まさか負けるとは思わなかったという声だ。  カイからしてみれば、まさか勝てると思っていたのかという驚嘆がある。カイはこれでもe-sports界において、世界ランキングで上位十番以内に入る手練れだ。デバッガーとしての業務は趣味としてやっているに過ぎない。本業はe-sportsの選手の方だ。  そんな不敬の輩のプロフィールへと目を落とす。「チェスター」という名前に目が行った。 「フラン……チェスター……」  カイの脳内で、シナプスがバシッとハマる音がした。 「あんがとよ、チェスターくん」  突如として礼を言われた対戦相手は、何事かはわからなかったものの、照れ臭そうに「お、おぅ」と返事をする。対戦相手がそう返答をした時には、カイは既に別のエリアへと向かっていたのだが。 「フランチェスコ」  カイが例の男の名前を呼び出す。 『Error 1020。対象ユーザーへアクセスできません』  エラーコードを眺めながら、カイは「エレナ」を呼び出す。 「ふーん。確かになんだか匂うわね」  事の経緯を聞いたエレナは、顎に手を当てながら考える。カイが呼び出した当初は、「ハッ。お子ちゃまでちゅねぇ、カイちゃま。幽霊なんてものに怯えちゃってぇ。ぷぷぷ」とふざけた顔で笑っていたのが、カイの話を聞くにしたがい、その顔も真顔へと戻っていったのだ。 「エレナにしかできないことだと思ってる」  カイが話を締めると、エレナは満更でもない顔でニヤニヤとしている。エレナは猫のような容姿をしたアバターを利用している。猫顔がフニャッとふやける顔に、カイは不覚にも可愛いと思ってしまう。そして、耳がピーんと伸びるあたりも、愛らしいものがある。  だが、そんなカイの気持ちもエレナの発言によってブルドーザーに押し潰されるかのように豪快に壊されることになるのだが。 「ふーん。カイが土下座をして、涙まじりに懇願するなんて、珍しいこともあるものね」  猫のフニャっとしたニヤニヤ顔から、意地の悪いにやけ顔に変わっている。 「おい、行動を勝手にでっちあげるな。俺は今、ラーメンを啜っているだけだ」 「アンタ、それが人に物を頼むやり方だと思ってるの」 「相手が人だと思ったら、もっと真っ当にすると思う」 「ほら、そうでしょう。普通はもっと丁寧に……って、アンタ今なんて言った」  カイは少し悩んだ後に、再びズズズとラーメンを啜る。レンゲで白く濁ったスープを掬い、ゆっくりと唇へと近付ける。それから、フーフーと熱を冷まし、スープを口に含もうとするも「あちっ」と言って、また熱を冷ます。 「いや、アンタ、なんで優雅にスープまで啜ってるのよ。聞いてたの、アタシの話を」  ゴクッとスープを飲み干してから、カイはカチャリとレンゲを置いた。 「エレナ、真剣に話してるんだから静かにしてよ」 「ぐぅ。なんでアタシが騒いでるみたいになってるのよ……まぁ、いいや。面白そうな話も聞けた訳だし。で、何をしたいのさ、君は」 「幽霊探し」 「アンタ、まさか本当に幽霊だなんて信じてる訳じゃないでしょうね」 「まさか。エレナじゃあるまいし」 「アタシがいつ信じてると言った」  カイはエレナの返しに答えずに、録画していた映像を流す。 「これがバグ発生の動画」  それは、カイが例の「ルードラ山脈」をチェックしていた時のものだった。  カイがその時のパートナーであるフランチェスコと会話をしている映像が流れ始める。退屈な昼下がりとでも形容できそうなのんびりムードが漂っていたが、突如としてノエルが光とも闇とも虹色とも表現し難い奇妙な色のモザイクの中に消えていってしまう。  エレナも食い入るように目を細めながら、その様子を見つめていた。  先程までの穏やかな映像から一転し、ザザザ、ガガガ、といったノイズ音や虹色に輝く発光体が大きく画面に映し出された。 「あの空間の映像は残ってはいなかった。代わりに、俺が出会った謎の発光体が『ルーどら山脈』側で記録されていた。つまり——」 「つまり、カイはセキュリティのロックが強いエリアに入り込んでいた。だが、そのエリアと『ルードラ山脈』は同位置にあった、ということね」  カイがコクリと首肯する。同位置であったから、カイが戻るための座標を入力したところで作動しなかったのだ。位置が変わらなかったのだから、それも当然のことだ。 「それに」とエレナは付け加える。 「この虹色のモザイク。これは……人、の動きにも見える、わね……」 「そう、そこなんだ。これは……ヒトじゃないかと思っている」  エレナはゾクっと身震いをした。恐れからなのか興奮からなのか、彼女自身にも判断が付かなかった。 「幽霊探しね……やってやろうじゃない」  エレナは濃厚なスープを味わうかのように、ゴクリと喉を鳴らした。

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