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「カイ。ねぇ、カイ。起きてよ、起きて」  エレナがノエルの身体を強く揺さぶる。だが、ノエルは魂が抜けた人形のようにグラグラと頭が動くだけだった。 「無駄ですよ。カイくんは今、レイラと共にいるはずですから」  グレイソンはいたって冷静に事実を述べたに過ぎなかった。しかし、その余裕そうな姿にエレナは狂気を感じた。 「あなたは何でも知っているようだけれど、どうして二人が一緒にいるの。どうしてカイは、目が覚めないの……」 「あなたの時と同じですよ。あなたの時もそうだったでしょう、エレナさん。それに、グーグー」 「……誰かに呼ばれたかにゃ。ボクはお昼寝の最中にゃんで邪魔をしないでほしいにゃ」  猫の声がエレナの頭に響く。脳内で自分のものとは違う声が響くというのは、どれほど経っても慣れることがない。しかし、この猫はいつだってアタシにヒントをくれるのだ。親切心からなのか気まぐれなのか、それとも何も考えていないだけなのか。いずれかはわからないけれど、猫の言葉がアタシの思考を回転させていく。  エレナは「つまり」とグレイソンに確認する。「カイとレイラが融合する、ということを言っているの」  エレナがグレイソンの顔をジッと見つめる。こうやって多くの人に見られたことがあるのだろう。その顔は平然としたまま、変わることがない。感情も思考も一切を読み取ることのできない顔のまま、グレイソンもじっとエレナを見つめていた。  数秒の間、二人には沈黙が走る。答えを聞いてしまえば、もう後戻りはできないが、それでも良いのか。グレイソンがそう問いかけているようにエレナには感じられる。逃げるならば今のうちだぞ、とそう言われているように感じる。 「アタシは、逃げない」  エレナはグレイソンの瞳を見つめたまま回答を提示する。 「なるほど……ならば、紳士たる者、お答えしなければなりませんね」  グレイソンがフッと表情を緩ませる。それは正解を見つけた生徒を褒め称えるような笑みでもあり、一方で答えを知ってしまうことに対する憐憫のようにも思える。 「エレナさんの言う通りです。レイラとカイくんは、これから一人になるでしょう。正確に言えば、今までも一人ではありました。ですが、二人はファーストコンタクトで融合ができなかったのです」 「ファーストコンタクト……それは、アタシとグーグーが一体となった時と同じタイミングだと考えていいの」 「その通り。あなたたちは実験体として選ばれたのです。だからこそ、この堅牢強固な我が本拠地にも容易に足を踏み入れることができた」 「見事に罠に引っかかったということね」 「とんでもない。ご招待ですよ。本来ならば、もう少しだけ奥まで来ていただく予定だったのですけれど。まさかお二人は肝試しが苦手だとは思わず。趣向を凝らしすぎましたね」  凝らしすぎた趣向というものの結果が、アバターをポッドに沈めるという悪行なのか。フランチェスコの他、消えた人々の行方も未だにわかっていない。決して趣味嗜好の話ではない。倫理的な問題だ。 「アバターという誰かの人生を奪う理由をアタシたちのせいにしないで」 「おっと。そういう意味合いではなかったのですが。誤解をさせてしまったならば申し訳ない」 「誤解ではなくて、あなたのやったことの責任を問うているのよ」 「責任、ですか……研究に犠牲はつきものですからね。尊い犠牲を無碍にすることこそ、研究者の責任放棄であると、私は考えます」  狂っている。エレナは直感的にそう感じた。狂っているからこそ、ここまでの世界を実現できたのかもしれない。  しかし、グレイソンはこの仮想空間を創造した以上に狂ったことをしでかそうとしているに違いない。そのテストにアタシたちを選んだということなのだろう。 「それに、彼らは所詮モルモットなんですよ。人類の大いなる進化の前には、多くの研究材料が必要になるのです。それはいつの時代も変わらない人類の営みなのです」 「……そんなことにアタシたちを巻き込んだというの。アタシたちもモルモットだと、そういうことを言いたいの」 「おやおや。そんなことはないですよ。エレナさんにカイくんは、モルモットなどというチンケな存在ではありません。あなた方は、人類の未来を体現する者なのですから」  グレイソンは恍惚とした表情でエレナを見ている。ほんのり頬を染めている。  目の前の人物は、正常ではない。異常だ。改めてそれを実感した。エレナは意識の戻らないノエルの体をそっと床に横たわらせる。 「あなたは、いったい何を言っているの……これから何をしようというの」  グレイソンが目を細める。その瞳はエレナを見るというよりも、その先にある遠い道のりを見つめているかのようだ。その細めた目をもう一度見開いたグレイソンは、少しだけもったいぶるかのように口を開いた。 「私は、人類を導きたいのですよ。未来へと。人間という生命体を進化させたいのです」 「人類の進化」 「そうです。人類という生物は、自身の体ではなく、頭脳を発達させることでここまでの文明を築き上げました。しかし、人類は誤った決断があまりにも多い。大地は人々の血で汚れ、核兵器によって自らの命どころかこの世界中の命を断つことすらできるようになってしまった。自らの命を消すなどという愚を犯すのが人類の悪癖だと私は考えます。だからこそ、人類は変わっていくべきなのです。より豊かに、より自由な存在へ」  言っていることには同意する。間違ったことを言ってはいない。しかし、その手法が正しいくはない、はずだ。少なくともアバターをモルモット扱いすること、さらにはアタシたちへの行為が正しいとは、到底思うことはできない。 「独善的なのね」 「科学は、たった一人の研究者の夢と想いから進歩していくものなのです。独善というのは、科学者らしいという意味だと捉えておきましょう」 「で、どうしようというの。アタシたちを」  グレイソンはニヤリと笑う。初めてこの男が笑う姿を見た気がした。 「種を融合させるのです。生物と無機物という種をね」 「……SF小説の読みすぎなんじゃないの」 「SF小説を読まない科学者はいませんよ」 「その作品の結末は、本当にあなたが望んだ通りの未来だったのかしら」 「私ならば、理想郷を創れる」 「根拠のない自信に価値はないわよ」  グレイソンが沈黙する。だからといって、この状況が変わることはない。エレナは猫に取り憑かれ、カイも今まさにレイラと一体となろうとしている。  自身のことをレイラであると名乗ったその人物が、カイの目の前にいる。レイラの姿は、少女とも言えず、少年とも言えず、青年とも言えず、子供とも言えない。中性的であり、年齢は不詳だと感じる。  その人物が、静かに抑揚のない声で、カイの問いに答える。 「私は、今までもあなたと一緒です。そして、これからも」  カイはレイラの言葉の意味を理解できなかった。その言葉を理解したくはなかった。 「わかりませんか……では、もう少しだけわかりやすく言いましょう。私たちもエレナとグーグーと一緒だということです」 「……聞きたくはなかったな」 「残念だと言われると、私も悲しくなります」  トゥルーマンが悲しいと言う。その言葉をどこまで信じて良いのか。トゥルーマンの持つ感情は俺たち人間のそれと同じなのか。感情というものもただのシステムによる反応だと言い切ってしまえば同じものだと言えるかもしれない。俺たちだって、悲しいと言っているだけのこともある。それと同じだと思ってしまえば良いのかもしれない。しかし、そう言い切ってしまえるのか、カイにはわからなかった。 「私の感情は、私のものです。この気持ちは、本物です。一方で、本当に私自身の感情と言えるのかはわかりません。そうシステム付けられていると言われれば、その通りなのかもしれません」 「……トゥルーマンとは人なのか。システムなのか」 「私たちは人であり、システムです。人工物であることは間違いがないです。しかし、あなた達人類も社会というシステムによって生み出された人工物です。さらに言えば、動植物や昆虫のようにただ生まれ、次に生を引き継ぐ生物ですら、システムが組み込まれ、かつ、システムに組み込まれ生きているのです。そのような生命と私たちトゥルーマンの違いとは何だと言うのでしょう」  カイには、その問いに答えるだけの言葉を持ってはいなかった。 「私たちは、新たな生命体なのです」 「その新しい生命が、どうして俺の意識の中にいるんだ」 「あなたが私を見つけてくれたから。あなたが私を開放してくれたから」  解放という言葉をカイが呟く。 「そうです。あの日、あなたと私は一つになったのです」  あの日がいつなのかとカイは思考するが、考えるまでもなく「あの日」でしかないと思い至る。カイはその地の名称を口にする。 「ルードラ山脈……」  あの山間で見た虹色の閃光。そして、俺たちを執拗に追い回した閃光。それら全てがレイラだったということなのだろうか。そうだとしても、どうして俺たちに攻撃を仕掛けたのだろうか。 「はい。私は、あなたと二人きりになりたかったのです」  思考をそのまま読まれているという気持ち悪さを感じつつも、カイはその言葉に柄にもなく照れそうになる。しかし、所詮はシステムなのだと心を落ち着かせる。恋愛ゲームにときめいている気分になっているだけだ。それでも、実際にドキドキとしてくるのだから、なんとも妙な気分だ。 「エレナさんが邪魔だったのです。どうしても二人になりたかった」 「俺と、二人に……」 「そうです」  レイラの真摯な瞳に、カイは吸い込まれそうになる。そのままふらふらと顔を近付けてしまう。 「エレナさんがいれば、グーグーの干渉を受けてしまいかねません。  レイラは、そんなカイの心境を構うことなく淡々と事実を伝えた。 「あぁ……グーグーね。猫がいるとダメなのか」 「グーグーという個体が問題という訳ではありません。正確に言えば、お互いが接近することにより生じる電磁細動極による干渉圧が両者及び本治験素体への影響度が——」 「だぁぁぁぁ。まどろっこしい。とにかく、なんかダメだってことだけはわかった。理由も意味もわからんけど、それだけわかれば十分だ」 「ありがとうございます。ご理解いただき何よりです」  理解はしてないんだけどな、というカイの内心の声はレイラにも届く。しかし、その声を敢えて聞かぬふりをするという振る舞いができることが、トゥルーマンの凄さなのかもしれないとカイは思う。 「それにしたって、殺されるかと思ったぞ」 「申し訳ございません。一時的に一緒にいることになったグーグーとエレナさんの融合時に発生する溶解時過反応性冷却熱の影響を強く受け、一時的な心神喪失状態に陥ったことによる瑕疵が多く——」 「つまり、要約すると」 「バグです」 「バグかぁ……」 「私自身はプロトタイプということもあってか、グーグーのようなナンバリングタイプとの相性が良くないようです」 「なんかわかるようなわからないような……でも、まぁ、今は正常に戻った、と思えば良いのかな」 「はい。エレナさんの作ったトラップと共に創造主に作成いただいた新しいコードによって解消されています」 「それで今度は、俺の体を乗っ取る、と」 「乗っ取るだなんて、そんなことはありません。私たちはあくまで同居するのです。私があなたになることも、あなたが私になることもありません。二人で一人になるだけです」 「俺は一人で一人前でありたいな」 「私といることで百人力であり、一騎当千になるとしてもですか」  無双は確かに夢ではある。カイは素直にそう思う。しかし、自身の存在をチートと化してまで、その力を得たいとは思えない。 「邪魔なだけだ」 「いつか必要になる時が来ます」 「預言か」 「未来予想図です」  愛されたくもないものに愛されてしまった。愛というものの重さを感じたことはなかったが、カイは頭が重くなるのを感じた。

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