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「で、連れて来られた場所が、まさかこことはね」  エレナは数日前に訪れた要塞を見上げる。 「今度は忍び込む必要はないのでご安心を」  グレイソンがニコリと笑う。  やはりお見通しという訳わけねと、エレナは自身の背中に一筋の冷や汗が垂れていることを感じていた。  要塞と言うに相応しい容貌を持つそこは、 「T」内にあるアトランティスグループの本拠地である。「T」における絶対権限を有するアトランティスグループらしく厳重なる警備が施されている。 「この世界の中心地でありながら、誰からも最も遠い最果ての土地ということね」 「全ての始まりの地であり、全てが集結する地でもあるのですよ」  カイとエレナにとっても、そこは始まりの場所ともいえる。ここに忍び込まなければ、二人が再びこの地に足を踏み入れることはなかっただろう。  ゴゴゴという重低音と共に扉が開く。その音に混じり、カイがゴクリと唾を飲み込む音がする。ポッドが無数に並んだ異様な光景を思い出し、カイの震えが治まることはない。 「ようこそ、『T』の中枢へ」  グレイソンが恭しくカイとエレナの二人に向かって礼をする。その姿は、社長というよりも一国の若き王を彷彿させる。  エレナはそこで二の足を踏む。このまま中に入っても、再びこの地へと戻ることができるのかと不安になっていた。隣にいるカイもエレナ同様にすぐに足を踏み入れようとはしない。  二人が躊躇している最中、捕まえていた閃光がジジジジジと二人の横をすり抜けていく。 「おや、お客様よりも先に歩くとは。せっかちな子だ。いったい誰に似たんだろう」  グレイソンがやれやれと肩をすくめるが、実際にはさして困ったようには見えない。まるで子供を甘やかす親のようだ。  閃光の後ろをランドールが歩いている。カイとエレナに軽く一礼をするものの、その目は「そんなところで止まってないで、早く来なさいよ」と侮蔑が入り混じっている。  はぁ……とカイが溜息を吐く。ここまで来たならば、もはや進むも戻るもさして違いはない。逃げれば捕らえられ、進んだところで殺される可能性はある。鬼が出るか蛇が出るか。どうせ捕まるならば進んでおく方がまだ気分が良い。  カイは意を決して、一歩を踏み出した。あまりにも力強く踏み込んだせいで、グッと足音が鳴った。緊張が周囲に伝わるのが恥ずかしく、カイはいかにも平静を装う。  しかし、カイの予想に反して、その中は太陽光が天窓から燦々と降り注ぎ、床は反射でキラキラと輝いていた。  エレナもその様子を見ては驚いた。 「これ、どういうこと。アタシたちが入った部屋とはまるっきり違うじゃない」 「ふふふ。お二方が何をご覧になったかは定かではありませんが、弊社の研究所はいつもこのエントランスでお客様を出迎えていますよ。きちんと正門から入られた場合には、ですけれど」  グレイソンは自ら表の顔と裏の顔があるということを暴露する。一方で、裏の顔についての二人からの質問を防ぐ効果ももたらした。 今ここでこれ以上裏の顔について問えば、おそらく無傷では帰れないだろう。傷程度で済めば良い。生きて帰れるという保証がない。  カイとノエルの二人はキョロキョロとしながらも無言でエントランスをくぐる。エレナは何かが飛び出してきやしないかと警戒に警戒を重ねていたが、弓も矢も衛兵も毒も炎も鉄球も迫り来る壁なども、何一つとして飛び出してくることはなかった。  そのまま四人と閃光はエレベータにて上を目指す。どこへ行くのかとエレナが尋ねれば、グレイソンは「私の部屋ですよ」とさも当たり前じゃないかという口調で答えた。エレナは再びそれ以上の質問ができなかった。  一方のカイはエレベータ内でキョロキョロとしている。全てが透明な箱の中で、「T」の全貌を見渡すことができる。好奇心が抑え切れないのだろう。  先程まで足を踏み入れることを怖がっていた癖に、コイツは……とエレナが呆れる。  グレイソンの部屋は、この要塞の概ね中間階に位置していた。てっきり最上階なのだと思っていたが、そうではなかった。カイがこのままテッペンにまで行かないことを知り残念そうにしている。 「ランドールくん、君はここまでで大丈夫だよ。ありがとう」  閃光を監視していたランドールの役目は、ここで終わりということなのだろう。 「それでは、カイさん、エレナさん。御機嫌よう」  ランドールはそう言うと、にこやかな表情のまま、今しがた登ってきたエレベータと同じ機に乗って降っていった。  三人と閃光はランドールが降るのを見届けることもなく、グレイソンの部屋へと続く廊下を歩く。薄暗く窓のない廊下は、静謐な空気で満たされていた。  三人の歩く音だけが響き渡る。廊下の突き当たりにグレイソンの部屋はあった。相変わらず三人とも会話はない。閃光だけばパチパチという音を発しているだけだ。  その空気を壊すかのようにグレイソンは辿り着いた部屋の扉を開けると、陽気な声を張り上げた。 「さぁ、ようこそ。我が愛しの研究所へ」  グレイソンがバッと手を拡げる。  いちいちミュージカルのようなんだよな、コイツは……とカイが辟易とする。  辟易としながらもカイは開かれた扉の先を見る。見てはいけないものを、見る。見たくはなかった光景を、見てしまった。 「お前、なんてことを……」  エレナはそれ以上の言葉が出ることなく口を押さえる。その光景は、以前に見たそれと酷似していた。いや、酷似というのならばまだ良かったのかもしれない。あの光景よりも凶悪化していたのだ。  以前の光景。それはカイとエレナが潜り込んだあの時の要塞の様子に他ならない。あの時、謎のポッドの中に無数のアバターが液体に漬けられ、活動を停止していた。  その光景が今もまた繰り返されている。  グレイソンは「研究所」と呼んでいたが、まさしくその通りなのだろう。コンピュータとモニターが所狭しと飾ってある。それから、壁一面にあのポッドが敷き詰められている。  だが、そのポッドの中にいたものは、アバターだけではなかった。そこに入っていたのは、脳だ。人間の頭脳だ。 「どうだい。この素晴らしい眺めは。壮観だろう」  グレイソンは清々しいほどの笑顔で二人を見つめる。悪気というものは本当に存在しないのだろう。罪悪感というものも皆無なのだろう。そう思わせるに十分な笑顔であった。 「狂ってる……」  カイの言葉にグレイソンがニコリと笑う。 「何を言ってるんだい、カイくん。ここはバーチャルの世界だよ。本当の世界ではないんだ。その世界で何をやろうが、私の自由さ。そうだろう。この世界は自由なんだ。カイくん、君もいつぞやにそう言っていたじゃないか。エレナさん。あなたはどう思うんだい」  答えを求められたエレナは返答に窮す。確かに、グレイソンの言っていることは正しい。ここは実態のない世界だ。だが、やっていることが正しいかと言えば、そうではない。きっとこれは理屈ではない。 「これが自由だというなら、アタシにはこんな自由は必要ない」  エレナがグレイソンを睨み付ける。 「はっはー。良い瞳だ。素晴らしい台詞だよ、エレナさん」  参ったよとグレイソンが笑いながら頭を振る。その姿が余計にエレナの癪に障る。 「あなたは、ここで何をしようというの。こんなことをして、何になるの」 「ふむ。その質問を聞いてしまえば、後戻りできなくなるが、その覚悟はおありかい。お嬢ちゃん」  グレイソンの問いに即座に反応ができない。この男の企みは聞いてはいけない。全身にビリビリとした電気が走り、体が拒絶をしているのがわかる。しかし、頭で感じている好奇心がどうしたって抑えきれない。この異常な企みを知りたいと思っている自分がいる。 「貴様も変態にゃんだにゃ」  うるさい、猫。頭の中の猫に向かって叫ぶ。 その気持ちがどうやら外に漏れていたらしい。 「心に猫を植え付けられるとは、君も厄介なことになったねぇ」  心にもないグレイソンの言葉にエレナが吠える。 「この猫も、どうせあんたの仕業なんでしょ。どうにかしなさいよ」 「残念ながら、それは私ではないのですよ、エレナさん。申し訳ないけれど、私ではどうにもできないのです」  えっ、とエレナが驚く。ではいったい誰が。 「とはいえ、私の子供たちの仕業ではあります。申し訳ないことをした」  グレイソンが深々と頭を下げる。 「ちょ、ちょっと待ちなさい。あなたの子供ってどういうことなの」 「そのままの意味ですよ。私が作った子供たちです。ほら、そこにいるのが最初の子供ですよ」  そう言うとグレイソンはノエルの方を指さした。「え、俺。違う違う」と手と首をブンブンと振る。そうなると、残された答えは一つだけった。 「まさか、あなたがトゥルーマンを——」 「その通りだよ、エレナさん。私が作ったんだ。私がトゥルーマンのマザーであり、パパなのさ」  パパという響きにエレナは気持ち悪さを覚えるが、それ以上にトゥルーマンを作ったという恐ろしさに震える。 「さぁ、レイラ。おいで」  グレイソンが閃光を促す。レイラと呼ばれた閃光が、ゆっくりとグレイソンへと近付いていく。  やはりこれがレイラなのかと思うエレナとは対照的に、これがレイラなのかと驚くカイのコントラストに、フィーウィーがいたらふふふと笑っていたことだろう。 「ってことはだ、グレイソン」  カイがそこで声を張り上げるものだから、グレイソンとエレナが驚き止まる。閃光だけはその声に動じることなく、グレイソンへと近付いていった。 「俺たちに百万ドルくれるってことだな」  あぁ、そこかとエレナが呆れる。グレイソンさえも「今ここでその話か」と眉間に手を当てている。 「えぇ、もちろん。お支払いしますよ。カイくん」  グレイソンがそう言った頃には、閃光がグレイソンの元へと辿り着いていた。  閃光体であるレイラを捉えていた光の輪がスゥと消える。拘束が解かれ、そのまま逃亡することも抵抗することもできたはずだが、レイラはそのまま静かに佇んでいた。  その様子をエレナはジッと見つめている。レイラは自分たちのことを執拗に襲ったはずだが、今はこうしておとなしくしている理由がわからない。プロトタイプであるレイラは、どうして閃光体になっているのかがわからない。アタシたちをここに連れてきていったいどうするつもりなのかすらわからない。グレイソンもレイラも何かを隠している。しかし、それが何かがわからない。わからないことだらけだった。 「これからどうするつもり」 「世界を使った壮大な実験を行うんですよ」 「……実験」 「そうです。実験です」  グレイソンは怒るでもなく、笑うでもなく、それが当たり前であるかのように平然と話す。 「この実験には、レイラが不可欠だったんです。ですので、お二人にはレイラを捕まえていただき心から感謝をしております。百万ドルなどという端金、いくらお渡ししても足らないくらいですよ」  いくらでも出すという発言に恐怖を覚える。アタシたちのしたことは、それだけの価値があるということなのだろう。札束など紙屑同然であると言えるほどの価値が。しかし、時を戻すことなどできるはずもない。  グレイソンは静かな顔のまま閃光体であるレイラを撫でる。ビリビリビリと電気が走る音がする。そこで初めて「おっとっと」とグレイソンが慌てて手を離す。 「カイくん。少し手伝ってくれるかな」  カイはその言葉に従うことなく、その場にとどまっていた。 「カイくん、お願いだよ。君にしかできないことなんだ」 「どういう意味だ」  反射的にその言葉に返答をする。カイは目を細めている。グレイソンの腹の底を見透かそうとする。だが、このアトランティスグループの親玉であるグレイソンの顔色を読み取ることは至難の業だ。グレイソンは何一つとして表情を動かすことがない。いつも通りのすまし顔だ。 「どういう意味と言われましても、その言葉のままですよ。姫を守る騎士にしかできないという意味です」  姫を守る騎士という言葉が引っかかる。預言の言葉をどうしてここで使うのか。  そんなカイとは異なり、エレナがゆっくりと言葉を紡ぐ。 「姫を守る騎士と猫に導かれし者。その二人が進むは、より高き悪路。許される時はあと僅か。二人、暴かれし秘密に近付きし時、袂を別つ。離れた魂が交わる時、再び世界は動き出す——つまり、姫というのが、レイラだというの」 「まさか、君は姫が自分自身だと思っていたのかな」  グレイソンの言葉にエレナはグッと言葉を飲み込む。おそらく自分ではないだろうと考えてはいたが、ハッキリと自分ではないと言われると少しだけ気分が萎える。 「姫といえば、我が最愛の娘『レイラ』に決まっているではないですか」  そう言うとグレイソンは、「さぁ、カイくん」と手を差し伸べる。  その手を取れば、何が起こるのか。その先を見たいという気持ちがないわけではない。だが、この先を見てはいけないと警告する自分もカイの中に存在している。好奇心と葛藤が行きつ戻りつ波のように流れている。  その流れを断ち切ったのは、他でもないレイラだった。その閃光体は、今度はカイに近付いて行く。  その姿を見たエレナが「危ない」と叫ぶも、カイは大丈夫と静止を促す。  今まで散々ぱら危害を加えられていた相手に対し警戒を緩めることはできないが、今のレイラから悪意を感じることはなかった。不安と迷いから苛立ちと心細さを隠しきれない。そんな少女に相対しているかのような感覚を得ていた。  カイは、いつの間にかレイラに応じるようにそっとその手を差し伸べていた。  グレイソンはニヤリと笑い、エレナがヒヤリと汗をかく。その瞬間にカイの手とレイラが触れ合った。  白く眩い光がその場を包む。グレイソンもエレナもカイも誰も目を開けることができない。それでも、グレイソンはこの目が焼き潰れたとしても構わないという意志を持って、目を開こうと必死にもがく。だが、その光の強さの前にはあまりにも無謀な取り組みだと言える。  何秒と光り輝いていたのだろう。目を開けたところで、その白さが網膜に焼きついて離れない。視覚が戻るまで真っ白な空間に自分がいるようで、エレナはその心許なさから隣にいるはずのカイの腕を掴もうとする。  しかし、あるはずのそこにカイの腕はなかった。カイはどこに消えたのだとエレナが焦るも、目の前はまだホワイトアウトの状態にある。もどかしさと焦りを覚えつつ、エレナはその手を宙に向けて伸ばす。  その時、カイは既にその場に倒れ込んでいた。カイは再び意識を持っていかれたのだ。  エレナが伸ばしていた手は、今度はカイには届かなかった。  エレナとグレイソンの二人の目が正常に戻ったのは、概ね同時だった。つまり、カイが倒れていることを発見したのも同時だと言うことになる。だが、エレナの困惑とは異なり、グレイソンは落ち着いていた。あたかもこうなることを知っていたかのように。 「起きなさい、カイ。目覚めるのです」  誰かが自分を呼ぶ声がする。カイはぼんやりとした頭でそのことに気付く。しかし、体が言うことを聞かない。目の開け方がわからない。目というのは、どういう形でどうやって開けるものだったのだろう。 「自分をイメージするのです。自分自身を手放さないでください」  カイは再びその声に揺り起こされる。ここにいるのは自分なんだと気付かされる。  カイがゆっくりと目を開いた。 「また会えましたね」  目の前には、その人がいた。その人は、にこりと静かに微笑んだ。一度会ったことがあるようなないような。誰なのかも会ったことがあるかすらも定かではないが、カイは強烈な郷愁を覚えていた。 「覚えていますか、この場所を」  カイはキョロキョロと辺りを見渡す。そこは真っ白な空間だった。真っ白な空間に浮かんでいる。地に足が着いている訳でも、空を飛んでいる訳でもない。そこは、ただ真っ白な空間でしかなかった。 「いや……わからない」  カイが素直にそう答えると、目の前のその人は少しだけ寂しそうに笑った。 「ここは、どこなんだ」 「ここは、忘れられた最果て」 「……最も暗き世界の最果てにて待つ」  カイはかろうじて覚えていた預言の一説を口に出す。 「そうです。ここがその最果ての地です」  でも、とカイは思う。でも、ここはこんなにも明るい場所なのに。最も暗きとはどういうことだろう、と。 「ふふふ。確かに、この場だけ見れば明るく感じますね」  カイがギョッとする。まさか俺の考えたことがわかるのか。 「もちろん、わかりますよ。ここはあなたの意識の中です」 「意識の中とは、なんだ。どうして俺の考えていることがわかるんだ」 「そのままの意味ですよ。ここはカイさんの意識の中。言うなれば、頭や心の中ということになるのでしょう」  俺の心の中……とカイが呟く。 「誰もが自分自身こそ最も理解できない存在なのです。最も理解できず、そして最も遠い存在。それが自分自身なのです」 「何を言っているのか、よくわからない」  その人が「無理もないことです」と優しく微笑む。「言葉で理解する必要はありません。 言葉に囚われ、言葉でしか物事を考えることができないこと。それこそが現在に生きる人間の最も愚かな性質の一つです。古の時代には、人間はあれほどにも自由だったというのに。自ら檻の中に入っていってしまった」 「……仮にここが俺の心の中だとして、お前は誰なんだ」 「わかっているはずです。答えはあなたの中に既にあるのですから」  確かに、わかってはいた。しかし、そうだと思いたくはなかった。 「……レイラ、なのか」 「はい。私はレイラと呼ばれています」 「どうして、お前がここに」

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