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 ノエルが山頂に立ち、エレナへとロープを降ろす。  エレナがロープをよじ登るも、一分で五十cmも進めば速い方だった。ノエルがまだ着かないのかと苛立ち足をパタパタとする中、ようやくエレナも山頂へと辿り着いた。 「わぁ、綺麗な景色」  山頂には白い花がこれでもかという程に咲き乱れていた。今までの疲れを忘れるかのような光景に、エレナは感嘆する。 「イベリス……のようだが、少し違うか」 「あら、花に詳しいのね。知らなかった」 「詳しいって程でもないけどね。ただ、死んだばあちゃんが好きだったんだ」  そっかとエレナが答える。それから、大きく息を吸い込む。良い匂いだ。 「そんにゃにのんびりしている暇があるのかにゃ。そんにゃんじゃ追いつかれるにゃ」  猫がエレナに危険を伝える。  そういえば、とエレナは思う。この猫はアタシに攻撃をするわけでもなく、危害を加えることもしてこない。むしろ、いつだってアドバイスのようなものを伝えてくれている。脳内で猫の声が響くことを除けば、意外と良い奴なのかもしれない。 「お前が消えたら、ボクも消えちゃうからにゃー」  なるほど。生存本能が故か。ウイルスの生存本能というものも不思議なものだなとエレナは思う。しかし、生きたいと願うならば、共存の道を探してみても良いのかもしれない。死のうとする生き物よりも好意的に受け止めている自分がいる。 「辛い思いをしてパーティに来てやったのに、主催者はどこにいるんだ」  ノエルが辺りをキョロキョロと見回す。一面に咲き誇る白い花が、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。 「なぁ、エレナ。誰もいねぇじゃん」  この場で本当に良かったのか。手紙の内容を読み間違えてはいやしないか。エレナは少しだけ焦りを覚えていた。 「ふふふ。誘惑のパーティへようこそ」  突然に二人の後ろから声が聞こえた。今まで人の気配など感じることはなかったが、いつの間に。ノエルがサッと振り返る。 「え……」  ノエルが驚きの声をあげる。いるはずのない人物がそこには立っていた。一方で、エレナは妙に落ち着いた顔をしている。 「フィーウィー」  カイが名前を呼ぶ。彼が名前を覚えているのは珍しいが、それだけカイにとってインパクトのある人物だったということだ。 「そんなに驚かれないでください。何も取って食おうなんて気はありませんから」  フィーウィーは先程のように苦笑いを浮かべる。  その笑顔を不気味だと感じるなど思ってもみなかった。ノエルはこの逃げ場のない空間でどう対峙すべきかと間合いを測る。  エレナとしては、山頂を目指した時から頭の片隅に想定していた事態ではあった。だが、実際にこうしてフィーウィーが現れると頭がうまく働かなかった。動かない頭をどうにか回転させようと、エレナは自身の眉間を数回程軽く叩く。それでもいつものような鋭い動きがない。 「にゃー。ほら言ったにゃー。『追いつかれる』って。やれやれにゃー。マスターがバカだと辛いにゃあ」  脳内で「にゃあにゃあ、にゃあにゃあ」と猫がうるさい。 「あー、うるさい」とエレナが叫ぶ。  ノエルがビクッとする一方で、フィーウィーは優しい微笑みを返していた。  この大声のおかげで、エレナの頭のギアがようやく鋭く回転を始めた。悔しいところだが、エレナは猫にありがとうと呟く。「お礼は煮干しで良いにゃ」と返ってきた。それくらいならば、お安い御用だ。 「ねぇ、フィーウィー。あなたもトゥルーマンなの……」 「えぇ、私はトゥルーマン。真実の命を生きる者です」  フィーウィーは事もなさげに重大な真相を告げる。  もう少しもったい付けてくれても良いのだけどな。そう思う一方で、エレナは自身の読みが正しかったことを実感する。だが、正答だからといって、賞品としてこの場から逃げられる権利が与えられるわけでもない。 「ねぇ、フィーウィー。あなたの他にトゥルーマンは何人いるの」  その言葉にカイが驚く。トゥルーマンが複数いるという世迷い言を述べるなど、いったいどうした。ノエルは密かにエレナの様子を探る。  エレナの顔はこの上なく真面目であった。  カイが驚くのも無理はない。エレナはそう思っている。カイがここまでの流れを理解するには、情報というパーツが少な過ぎる。後で丁寧に説明してあげよう。エレナはそう思う。この後があれば、の話ではあるが。 「私たちは一人です。あるいは、無限です」  瞬間、その言葉の真意について思いを馳せる。フィーウィーは正しい情報を伝えているのだろう。だからこそ、エレナにはそれが恐ろしい事実だと感じる。 「どうして、いつもアタシたちに答えを教えてくれるの」 「問われれば答える。助けを求められれば助ける。自然な感情です」 「感情、ね……」 「不思議に思いますか」 「不思議には思う。感情というものをシステムが手に入れられるとは信じ難い。けれど、否定はしないわ。あなたがそう言うのならば、そうなのだとも思うし」 「ふふふ。エレナさんは、本当に不思議な人ですね」 「あなた程ではないわよ」  カイはその会話の意図を図りかねている。結局のところ、フィーウィーは敵なのか味方なのか。捕まえるべき相手なのか否か。カイの心の中には疑問が渦巻く。ノエルが険しい顔で悩んでいる。 「さて、そろそろノエルのおつむが限界のようなのよ。楽しいお喋りはこの辺りにしましょうか」  えぇ、とフィーウィーが微笑む。その佇まいは山小屋で話していた時と変わりない。  その変わりのなさこそ空恐ろしいものだと、エレナは感じている。フィーウィーはまるで人間のようだ、と。 「あなたの目的は何。アタシたちをどうしてここに連れて来たの」 「答えをお伝えする前に、エレナさんの解を教えていただけますか。なぜ、トゥルーマンが複数いると思ったのかについて」  エレナはそこで沈黙をする。この答えに辿り着いた理由をカイに伝えなければいけない。エレナはノエルの顔を盗み見る。これからアタシが話すことについて、カイは何と思うのだろう。受け止めてほしいとまでは思わない。否定さえしないでくれれば、それで良い。エレナはそう願う。 「……アタシには猫が取り憑いている。フィーウィー、あなたはわかっていたのでしょう。『猫に導かれし者』と手紙に描くくらいだから」 「えぇ、もちろんです。エレナさんが猫と呼んでいる子の名前はグーグー。私たちの可愛い可愛い末っ子です」  ノエルがキョトンとした顔をしている。一体何の話をしているんだ。そう質問したいが、この場の雰囲気がそれを邪魔する。 「グーグー……」 「にゃっはー」  明るい返答が脳内に聞こえてくる。名前を付けてしまっては愛着が湧いてしまうではないか。今までの苦労を水の泡にしやがって。エレナはフィーウィーを睨む。  フィーウィーは知ってか知らずか、澄まし顔のままエレナの答えを待つ。 「この猫が教えてくれた。自分がトゥルーマンであるということを。アタシは最初、トゥルーマンとはコンピュータウイルスの総称だと思っていたの。人間の脳をソフトに見立て、仮想空間上で、感染するタイプの凶悪ウイルス。アタシはそれに罹患した」 「エ、レナ……ウイルスって一体……猫って何のことなんだ」  カイはあまりの衝撃に、つい口を挟んでしまった。エレナが詳しい話は後でねと諭す。カイにはそれ以上割って入る猶予がなかった。自分の知らなかった世界で何かが起きている。カイが今わかるのはそれだけだった。  そのやり取りすら、フィーウィーは微笑みをたたえながら見守っている。エレナには、その笑みが修羅の顔にすら見える。 「でもね、アタシは間違っていた。勘違いしていた。猫……グーグーはあくまで自分自身が『トゥルーマンであること』を伝えたに過ぎない。ウイルスであると本人は言っていなかった」 「そうにゃー。ボクはにゃにも言ってないにゃー。エレナの早とちりだにゃ。失礼なのにゃ」  ウイルスでなかったからといって良いというものでもない。むしろ、より厄介な存在にまとわりつかれている。ウイルス以上に絶望的な状況に違いない。エレナはうんざりとして、顔を左右に振る。 「なるほど。エレナさん。結論を」  エレナはそこで息を吸い込み、ゆっくりと吐く。もったいぶったというわけではなく、この時点においても言葉にするのをためらっている。そんな仕草に見える。 「トゥルーマンはAI」 「恐ろしいほどの精巧さと自主性かつ自立性を誇る」 「あたかも人間のような」 「同期を図り、情報を密に連携のできる最強の組織的生命体。人間以上の存在。私の中にいる猫であり、目の前にいるフィーウィーであり……そして、手紙を出した本人」  そこでフィーウィーはそっと目を閉じる。  その顔は満足そうな表情にも見える。しかし、満足という感情をAIが持つことができるのか。エレナはそのあまりにも人間じみた表情に、フィーウィーがAIということこそがフェイクなのではないかと思わざるをえない。  フィーウィーはゆっくりと目を開くと、パチパチパチと優しく拍手をする。 「正解です。さすがですね、エレナさん」  にっこりと微笑むフィーウィーは、先程の山小屋にいた時と何ら変わりはない。だが、もはやエレナには畏怖の対象といっても過言ではない。トゥルーマンのフィーウィーもおそらく先に対戦した女神と同様の力を持っているはずだ。ここで再び世界を改変されでもすれば、エレナに対処のしようがない。エレナたちは、トゥルーマンと二度戦い、二度とも敗北している。 「ぞっとしないわね。AIに褒められても」 「ふふふ。私がAIであるという保証があるのですか。私が嘘を述べている可能性もありますよ」 「AIではないという保証もないわ。それに——」 「それに」 「どちらでもいいもの。フィーウィーがAIだろうが、AIではなかろうが。あなたはアタシたちが求めている『本物のトゥルーマン』ではない。そうでしょう」 「なるほど……どうしてそう思われましたか」 「もし仮にあなたが本物ならば、アタシたち——つまり、アタシとノエルね——はとっくの昔に、あなたと出会ったあの山小屋でやられているはずなのよね」 「いつでも倒せるという余裕だったかもしれませんよ」  エレナには決して負けることがない。フィーウィーは暗にそう伝えている。悔しいことに、エレナはそれを否定できない。 「それでも、あなたはアタシたちと戦おうとする素振りはなかった。それどころか、アタシたちにヒントを与えた。フィーウィー、今度はアタシが聞く側よ。答えて。あなたの目的は何」  フィーウィーは答えない。問われれば答える。そう言ったのはフィーウィーだ。問いが違うのかもしれない。エレナは質問を換えることにする。 「最後の手紙の話をしようか。あれは、フィーウィー、あなたが出したものでしょう。それ以外は、きっとあなたとは別の『本物のトゥルーマン』が生み出した物」 「どうして、五通目の手紙だけ私が出したものだと思ったのですか」 「タイミング。今までとは明らかにスパンが違った。それはあなたが言っていた通り。だって、あなたが作り出したものなのだから当然よね。あなたはアタシたちに、これから届くであろうもう一通を読ませたくはなかった。そういうことではないの」 「なるほど。興味深い推理です。どうぞ続けてください」 「手紙が何通あるかは知らない。それでもあの手紙は時系列に沿っていたと考えられる。一通目は既に起こったこと。二通目は現在起こっていること。三通目からは、おそらく未来のこと……それが何を暗示しているのかはわからないけれど、全てに共通することがあった。それは、誰かに何かを促すことはしていなかった、ということ」  ノエルが手紙のデータを読み返し、なるほどと密かに頷いた。 「それでも、五通目は違った。つまり、あなたが出した手紙は、アタシたちにここに来るよう仕向けた物だった」 「ですが、それを私が届けたという保証はありません」 「保証はないわ。全て推測。でもね、状況証拠ならある。フィーウィー、あなたがここにいるということよ。パーティの主催者と招待客以外、ここにいるはずがない」 「そこまでご理解いただいているのですね。さすがはエレナさんです」  フィーウィーは再び拍手をする。参った降参だという態度のようにも見える。 「五番目の手紙は真実の手紙。真実とは隠されるべきものです」 「あなたたちは何を隠そうとしているの」 「世界にはびこる真実です」 「それを隠して、あなたたちは何をしようというの。あなたの目的は何。フィーウィー、教えて」  エレナがもう一度同じことを問う。  ノエルは二人の会話をそっと見守っていた。世界の真実とは何なのか。それを知ることで、誰にとって不都合があるのか。しかし、いくら考えたところで答えは出ない。ただ、一つだけ大きな違和感を覚えていた。 「でもさ」  その言葉は、ふと口を突いて出た。ノエルがしまったという顔をするも、エレナもフィーウィーもノエルの言葉の続きを待っていた。 「でもさ、その五番目の手紙が真実ではないとしたら」 「その可能性は否定できない。それでも、アタシたちはこれが真実だと信じる以外にないの。それ以外にすがる道がないのよ」  エレナはそう言った後に、ハッと気づいたことがある。 「真実の中にある嘘偽りを見つけよ。嘘偽りの中にある真実を見つけよ。唯一の真実は嘘偽りの中にこそある……」  フィーウィーがニヤリと笑った。カイはそんな気がした。 「フィーウィー、あなたの言うことのどれかが真実で、どれかに偽りがある。アタシたちは、それを見つけなければいけない。そう言うことね」  フィーウィーが満足げに微笑む。こういう時には、微笑むと良いと学んだに過ぎない。だが、それは人間も同じだ。行動と結果を繰り返し学ぶ。人間もAIも、結局はやっていることは同じだ。 「あなた方に真の五番目の手紙を託します。そして、見つけてください。この手紙の主を」 「手紙の主。あなたたちの中にはいないということね」 「私の一人ではあります。しかし、レイラはプロトタイプ。私とは異なる存在です。そのレイラが今、暴走を始めています」 「レイラ、というのが目的のトゥルーマンの名前ということね」 「はい。レイラこそがグレイソンが探し求めているトゥルーマン。エレナさんたちが捕まえるべき対象です」  レイラという名前に引っかかりを覚える。しかし、まさかそんなはずはない。エレナは自身の思考を否定し、先へと進む。 「アタシたちに頼るよりも、フィーウィーが捕まえた方が早いのではないの」 「残念ながら、私たちにレイラを捕まえることは不可能です。それどころか接触すらできないでしょう。私たちは全員であり一人でもあります。レイラと私の思考の根本は繋がっているのです。だからこそ——」 「思考を読まれてしまう、ということかしら」 「仰る通りです。一方で、思考の全てが繋がっていれば、捕らえようがあるのかもしれません。思考の全てが同じということは、同一人物であるとも言えるのです。つまり、レイラという個体は存在しないことになります」 「つまり……どういう意味なんだ」  ノエルはフィーウィーが何を言いたいのかが掴めずに混乱する。自分たちの目的が「レイラ」というトゥルーマンであることは理解できた。しかし、そのレイラが存在しないということの意味がわからない。 「わかりにくい物言いをしてしまい、失礼しました。先程申し上げましたとおり、レイラはプロトタイプ。私たちとは仕組みの一部が異なる存在なのです」 「つまり、完全に同期ができないからこそ、レイラという個体が存在をしている。そして、同期ができないからこそ、あなたたちとは異なる自我を持ち、自由に行動を開始した、ということかしら」 「えぇ、仰る通りです。しかし、完全に同期はできませんが、データは共有されています。つまり、思考が繋がっている状態なのです。逆もまた然りです」 「つまり、思考が繋がり過ぎているからこそ、お互いに行動がわかり過ぎてしまうということね。隠し事ができない間柄なんて仲良しじゃない」  フィーウィーが苦笑いをする。仲良しという概念はあまりよくわかりませんと答える。 「要はさ、俺たちはその『レイラ』ってやつを捕まえれば、億万長者になれるってことだよな」 「まぁ、単純明快にシンプルにノエルの知能指数でもわかるように伝えるならばそうなるわね」  ノエルは、なるほどなと皮肉を物ともせずに納得する。  話の着地点が見えて来たので、エレナは自身の懸念事項を確認することとした。それはエレナが最も聞きたいことだった。 「フィーウィー、もう一つ聞いておきたい」 「はい、お答えできる範囲であらば」 「猫……グーグーとあなたは同期しているの」  このままではアタシがアタシでなくなってしまうのではないか。いや、既にアタシはアタシであると言えるのか。 「いえ、その点はご心配には及びません。グーグーは既にエレナさんの中に住み着いています。エレナさんがデジタルの存在にならない限り、私たちと同期することは不可能なのです」 「仮にアタシの意識——脳がネットの世界と直接的に接続されたりすれば、どうなるかはわからない、と。そういうことね」 「近い未来の話です。それに、そうなってしまえば、人類は皆、自己と他者の境が曖昧になることでしょう。その思考が本当に自身の思考であると断言することが今以上に難しくなるはずです」  それはそうかもねとエレナが苦笑する。ただ一人、ノエルだけがチンプンカンプンという具合で頭を傾げている。 「では、引き受けていただけますか」 「今のところね。やる気出しているバカもそこにいるしさ」  エレナはそう言うと、ノエルを指差す。その視線はノエルを見ようとはしておらず、やれやれという表情だ。 「ふふふ。エレナさんとノエルさんにお任せしておけば、私も安心です」  フィーウィーはノエルを見て、ふふふと笑う。 「筋肉バカだにゃー」  エレナは猫の声に深く同意する。

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