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「レディー、セット」  エレナがカイに向かって賽を投げる。 「にゃはーん。お前ら人間如きに倒せる相手だと思ってるのかにゃ」  エレナの中で猫が嘲笑う声がするが、エレナはその声を無視する。いや、無視せざるをえなかった。答える余裕など今のエレナにはなかった。  開発環境ではなく、本番環境のコードをそのまま直で修正するなどイカれているとしか思えないが、それ以上にコードを塗り替えるスピードが異常な程だった。人間技とは到底考えられない速度だ。  一方で、その人間離れしたスピードになんとか食らい付いているのが、エレナのウィザードたる由縁とも言える。魔法使い。エレナは流れ出る鼻血を拭うこともせず、画面をじっと見つめながら、一心不乱に頭と指だけを動かしていた。  それでも、エレナの心には「ここまでだ……」と理性から諦めの声が響いてしまった。  エレナの指に迷いが生まれる。それからというもの、「人ならざる者」のスピードに追い付くことができず、その差が見る見るうちに話されてしまう。 「エレナ、危ない。これ以上は無理だ」  カイの声はエレナには届いていなかった。 「このままだと、また逃しちゃう」  エレナは嘆く。アタシのせいだ。  カイはよくやっていた。女神の姿をした「人ならざる者」を追い詰めていた。  でも、アタシが追い付けなかった。カイにも「人ならざる者」にも追い付けなかった。アタシがもっと早くキーを叩けていれば。もっと早く思考を巡らせていれば。もっと早くこのゲームに潜んだ「人ならざる者」の存在に気付いていれば。  そこで自我を持った女神が言葉を発する。もちろんと言うべきか、アタシが作ったゲームデータには存在しない言葉だった。 「さようなら、人間。あなた達との勝負は面白そうです。ここで決着をつけてしまっては、私たちにも損なのかもしれません。またお会いしましょう」  そう言うと女神が画面上から消え、ノエルはゲームオーバーとなる。  ゲーム上で終わりを告げられようが、実際の世界ではピンピンしている。それが当然だった。今までは。  しかし、昨日、アタシたちはそうではない状況を体験した。カイは意識が途絶え、アタシは猫を植え付けられた。 「チッ。また逃したか」  ゲームの世界でノエルがお手上げだと肩をすくめる。「ん、『また』ってなんだ」と、ノエルが疑問を口にする。  ごめん、カイ……とエレナは呟いたが、その声はカイには届かない。  それから、カイとエレナは崩壊した神殿の床にへたり込んだ。カイが「完敗だな」と笑う。  その笑い声に混じって、忌々しい猫の声がエレナの頭に響いた。 「にゃっはー。良かったなにゃ。アイツと真っ向勝負していたら、お前らなんてあっと言う間にお陀仏だったはずなんだにゃ」  猫のその声にも反応できない程にエレナは憔悴し切っていた。人間技とは思えない速さでコードを書いていては、当然とも思える。しかし、その憔悴の理由はそれだけではなかった。  エレナ及びカイ、その他、全世界の「T」のユーザー全員がそのメッセージに釘付けになっていたことだろう。 『親愛なるテロメア諸君。僕の名前はグレイソン。この世界を導く者だ。  さて、今日は親愛なる諸君らに僕から一つお願いをしたい。「トゥルーマン」を捕まえてほしい。  「トゥルーマン」とは何者かなどという野暮な質問はなしだ。しかし、「トゥルーマン」は確かにいる。このテロスの世界に存在する。  そうだな……こんな話は信じられないかもしれないが、信じた者には細やかながらのお祝いをあげよう。そう、僕からテロメア諸君への心ばかりのプレゼントだ。「トゥルーマン」を捕まえた者に賞金一億ドルを出そう。  さぁ、親愛なるテロメア諸君、終わりから始めよう』  そのメッセージは全世界に同時配信された。その瞬間から「トゥルーマン」とは何者だと世界中が浮き足立つ。  しかし、ただ一人。「トゥルーマン」の存在を知っている者がいた。 「猫、お前の名前は……」 「トゥルーマン」  エレナはそこで頭を抱える。「トゥルーマン」とはアタシのことじゃないか。 「エレナ、どうした」  カイがエレナを覗き込む。  このバーチャルな世界と現実世界の表情がリンクしていなくて良かった。エレナからは大粒の涙がポロポロと溢れ出ている。 「トゥルーマンか。楽しそうじゃん」  カイが能天気な声を出して、さてとと腰を上げ、エレナに声をかける。 「捕まえに行こうぜ。トゥルーマン」

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