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 佐野が駅前のファーストフード店で初めて茂木と会ってから一年と一ヶ月後。初めての大学生の長い夏休みが終盤に差し掛かった頃、佐野のポケベルに着信があった。   モゲポヨ042x xx xxxxデンワセヨ(テ  送信元は寺林で、一年ぐらい前に初めて喋ってそれっきりのもげぽよに、今から電話しろということらしい。何でだろう、急だなと思いつつも、台所にある電話から寺林のポケベルに返信する。   シタノナマエオシエテ  茂木の家族が電話に出たときに「もげぽよさんはいますか」とは言えない。寺林からの返事はすぐに来た。   メイボミロ  佐野は舌打ちしながら電話の下の棚を開けた。分厚い電話帳の間から高校時代の名簿を引っ張り出し、寺林のいた三年A組のページを開く。見つけた。「茂木はるか」だ。 「メイボミロよりハルカの方が文字数少ないじゃん」  そうぼやきながら、佐野は茂木の家に電話をかけた。  電話をとったのは本人で、テルミから話は聞いているとは思うが、受験勉強を始めたのでまた国語を見てくれないかと言われた。寺林からは説明らしい説明は何一つなかったが、何となく予想のつく用件ではあった。いつでも良いから家まで来るように言った。家なら辞典もあるし、参考書もまだ残っていたから。  翌日には茂木が志望校の過去問と最近受けた模試の問題用紙を持って佐野の家を訪れた。二人は同じ市内に住んでいるが、交通の便が悪く、茂木の家から佐野の家まではバスと電車を乗り継いで一時間近くかかる。そのため、この日茂木は三〇分で行ける自転車に乗って、市の反対側からはるばるやって来たのだった。  ダイニングテーブルにつくと、茂木は鞄から勉強道具を取り出した。その中にT大学理学部の赤本が見えた。 「結局南極にしたのか」  佐野は言うが、茂木は首を横に振る。 「ううん、南極も宇宙も行かない。理学部を受けるのには変わりないけど、天文学専攻にすることにしたの。あたし、将来ハワイに行く」  また突拍子もないことを、と佐野は思う。そして、確か一年前もこんな感じだったことを思い出す。 「ごめん、意味わかんないんだけど」  佐野は茂木の鞄から出てきた模試の問題用紙を手に取りながら言った。茂木は話を続ける。 「今、ハワイで建設中のすばる望遠鏡っていうのがあってね。そこで働くのを目標にしようかと」 「まあねえ、よくわかんないけど決心がついたなら良かったよ。で、何。この自己採点ボロボロの現国は、一体何なの!」 「だから助けて、サノッピー。私をハワイに連れてって」  その時、佐野は呆れながらも、思いの外明るい茂木の様子に少しほっとしたのを覚えている。それから翌年の春まで、佐野は月に何度か茂木と会い、国語の勉強を見てあげた。見ると言っても彼女の問題は単純な知識不足だったので、毎回漢字や熟語、文学史などの宿題をある程度出して、進捗状況を確認する程度のことだ。茂木はやった分に関してはしっかりと身につけてきた。ただし、模試を受けた直後はさぼりがちになった。佐野はその都度はっぱをかけながらも、どうにかこうにか茂木の頭に高校レベルの正しい日本語を叩き込んでいった。  寺林が急にチャンネルを変えた。 「あっ」 「ん? 見てた?」 「いや」 「水曜どうでしょう見ていいかな。TVK」 「ここTVK入るんだ」 「うん。テレビ埼玉は入らへんけど」 「あのさ」 「うん」 「もげぽよってどうして受験勉強はじめたんだっけ。高校出たあと」 「なんや唐突やな」 「今ちょっと思い出しててさ」 「確か、自分の中で何かが漸く腑に落ちたんよな。納得せんと動きたがらない子やから。まあ、もげぽよよね」 「なるほどねえ。親とか心配しなかったのかな」 「結構心配してはったみたいよ。申し訳ないとは言ってた」 「もげぽよ、今は天文学専攻だったよね。どうしてそうなったんだっけ」 「確か去年の夏前ぐらいにな、うちに遊びに来てん。ちょっと疲れた感じでな、バイトしんどいって。ドラッグストアの写真現像コーナーで働いとってんけど急に先輩が辞めて、シフトめっちゃ入れられてんて。で、空き時間は専ら読書に逃げてるって。その時なんの本読んでたと思う?」 「何読んでたの?」 「ブラックホールの本。ばりばりの専門書よ」 「フッ」 「じわじわくるやろ。しんどいどころかむしろフル回転やし。見せてもらったけど書いてあること全然分からんかったし」 「じわじわくるかなあそれ」 「でも笑えるやん?」 「まあね」 「でな、あたしもその時にもげぽよを元気づけようと思って、天文関係の本をプレゼントしてんけど、それも良かったみたい」 「さすが! 友達思いだねえ」 「さすがにあの頃は心配やったしなあ。タイミングも良かったみたいで、あの頃からなにか変わったっていうか、掴んだ感じになっとったで。じきにバイト辞めて、受験勉強始めて。でも国語は相変わらずやったから、サノッピーに投げたってん」 「ほんと大変だったよ。受かったからよかったけどさあ。最初に見てあげた日、ハワイに連れてけって言われた時はどうしようかと思ったね。行くのかな、ハワイ」 「ハワイな。あれはあくまで最後のひと押しやで。受験の直前ぐらいに会った時、おおまかに言って科学者になりたいって言ってた。天文学で科学の道を極めたいねんて」 「ふふっ。面倒くさいよね」 「あたしは慣れてるけどな」

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