作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 君を見ない日は無い。  灼熱の太陽が盛んに東京のアスファルトを焦がす日も、横殴りの雨が降る日も、ビルの谷間につむじ風が吹く日も、君は変わらず視線の先にいる。  やがて僕の視界のすべてを埋める。僕の視線は君に固定される。  そして君を見ない夜も無い。  新月の夜、眠らない街の灯が数多の星を隠しても、眩いばかりの人工の光が君を照らす。その姿は僕の瞳を奪う。僕の心は盲目的に君に支配される。  僕はずっと君を見ている。  僕が初めて君を意識した時、君はまだ成長の途中だった。毎日少しずつ成長していく君の姿を、僕は微笑ましく思い、暖かく見守っていた。  それでも、日に日に君のウエストのくびれが目立つようになり、その美しさが完璧に近づいていくにつれて、僕は自分自身がひどく古びているのを感じるようになった。  君の若さがうらやましかった。羨望はノスタルジーへと変わり、僕は若い頃の自分に思いをはせては、今の自分を嘆き悲しんだ。  遠い昔の話。僕は君のように人気者だったことがある。僕の周りには大勢の人が集まってきた。大人から子供まで本当に多くの人々に愛されていると自覚することができた。  僕は賑やかで楽しい時を過ごしていた。実を言うと、僕はみんなを楽しませる波を休むことなく周囲に送っていた。僕はエンターテイナーだったんだ。  当時の僕は群を抜いて背丈も高かった。みんなが僕を見上げた。僕は最先端の文化の中に居た。  僕に華やかな時代があったなんて君には信じられないことかもしれない。時代は常に変化していく。遠い過去の話なんて知ったことじゃないと君は思うかもしれないね。  だから僕も過去の栄光に縋って生きて行こうとは思わない。もう過去を考えるのは止めにしたい。明日のことを考えなければならない。  僕は、未来へと伸びて行く君をずっと見ていることにした。そうすることで僕の意識はおのずと未来へ向くと思ったんだ。  君は僕の視線を感じているのだろうか? 素っ気ないような君の態度。すらりと背の高い君の立ち姿。神々しいほどに美しくて凛とした佇まい。街の風景に溶け込むことなく、その輪郭を切り取ったかのような存在感。  無骨で単調なファッションの僕とは違う。君のまとうファッションは曲線がバラエティーに富んでいて、それを可憐に着こなす様は人々を引き付ける魅力がある。  君はまさに時代の申し子となるだろう。僕はそう感じていた。そして絶大なる人気を得るに違いない。   来る日も来る日も君を見ているうちに、いつしか僕は君の虜になってしまった。年甲斐もなく。そして身の丈をわきまえることもなく、僕は君に恋をした。  すっかり忘れていたような甘酸っぱい感情が僕の心に蘇ったんだ。ちょうどそのころ、君はついに完璧なスタイルを手に入れた。  君は東京という街から華々しくデビューした。東京からエンターテイメントの波を発信し始めた。日本中はおろか、世界中の人々がエンターテイナーの君を称賛した。下町方面に姿を現した君は生粋の江戸っ子たちにも愛されていた。  気っ風の良さと親しみやすい伸びやかな態度。映画のように素敵な恋も、ホームドラマ風のにぎやかな会話も、最新のヒット曲についても、理知的な教養も、文学も絵画も、世界経済も、旅行や料理についても、君は周囲に発信する。そんな多方面への才能を発揮しながらも、驕り高ぶったような態度は決して見せない。謙虚にそこに佇んでいる。  そんな君を僕は狂おしいほどに愛してしまった。できることならば今すぐにでも君の下へと走っていきたい。それでも僕は君を見ると地面に足が喰い込んでしまったかのように一歩も動くことができないんだ。  君の人気は僕を臆病にさせる。いたずらに年を重ねてしまったことや、みんなを楽しませる波をほんのちょっとしか発信できなくなってしまったことなど、僕のコンプレックスが心を窮屈にさせるんだ。  それでもごくたまに君と目が合ったような瞬間がある。でも本当に目が合っているとは限らない。君がどちらを向いているのか、僕には分からない。僕の方を向いているように見えて、後ろの風景を見ているのかもしれない。もしくは完全にそっぽを向いているのかもしれない。僕の願望が実際の君の上に投影されているだけなのかもしれない。  できることならば君と見つめ合っていたい。多くは望まない。ただそれだけでいい。  だけど、僕は君のことを見上げなければならない。何故ならば君は、もはや雲の上の存在になってしまったから。僕が到達したことのない高みに君は居るんだ。  君は陽炎の様にぼやけている。僕の目が悪くなったのか? 君の放つ光が眩しすぎるのか? いや違う。おそらく僕が君の気持ちを勝手に想像しては、頻繁に涙を流しているからだろう。  君の様に最先端のポジションでエンターテイメントを発信し続けることの大変さを僕は知っている。過去の自分と照らし合わせて想像することができるんだ。  決して眠ることのない街、東京は君に24時間それを要求する。とても辛いことだ。常に緊張を強いられながらも、決して休むことは許されない。みんなの要求は多様化していき、通りいっぺんの内容ではすぐに飽きられてしまう。だからよりバラエティーに富んだ波を君は発信しなければならない。  どんなに悲しい出来事があっても、みんなを楽しませるという役割を与えられた君はそこから逃れることができない。だから君はとびっきりの笑顔をその顔に貼り付けておかなければならない。  もちろんプライベートのための時間なんて、作る余裕は無い。君はみんなのために存在しなければならない。自分のために存在することが本来の姿である筈なのに。恋をする暇なんてない。  こんな僕ですらそうだったんだ。ましてや君は東京の希望の星。経済的な効果を狙う人々が君の周りに群がってくるのは必定。君の仕事は増えてゆくばかりだろう。  そんな君を思うと自然に涙が溢れる。まるで夏の日の夕立の様に。一旦思い切り泣いてしまえば、僕の心は少し晴れる。雲の切れ間から綺麗な月が顔を出すかのように。月を見上げる僕は、夜空に君のことを願う。  君の苦しさを少しでも取り除いてやってはくれないだろうか? 君の担う役割の一部でも、この僕に肩代わりをさせてはくれないだろうか? 君と一緒に東京の未来を創って行きたい。それは無理だろうか?  僕は必死に願う。でも東京の夜空はまるで素っ気ない。何も答えてはくれないし、いつでもどんよりと曇っていて星の光を通さない。きっと地上のみんなが忙しすぎて、とてもせせこましく暮らしているから、夜空でさえもキャパシティが狭くなってしまったんだ。実際に僕から見える夜空は昔よりも確実に狭くなっている。  君の見ている東京はどんな感じだろう? 僕よりもずっと高みから東京を見る君は、より多くの事物や、より深遠な光と闇のコントラストや、夕映えに染まる摩天楼や、黄金の夜明けに照らされた水平線や、満天に限りなく広がる宇宙も見ることができるだろう。それどころか、みんなの求める未来の東京の姿さえ、君には見えているのかもしれない。どうかその片隅に僕も存在し続けていることを願う。  だけど君に見えるのはそういった美しい東京だけではないだろう。毎日のように起きる悲惨な事故や猟奇的な犯罪、愛憎劇や怨恨の修羅場、裏切り行為や罵り合い、不治の病や未知のウイルスに侵される人々、傷ついた魂に塩を塗り付けてくるような悲しいニュース。権力を持ったものが弱者を踏みつけるようにして跳梁跋扈ちょうりょうばっこする社会。大きく隔たってゆく人々の心。  そんな目を逸らしたいような事実からも決して目を背けることなく、君は街を癒すような優しい波を発信している。君の高尚さに比べて、僕は漫然と変化のない日々を過ごし、たいしてすることもなく、ただ単に、ここに突っ立っているだけだ。  僕がどんなに君に恋い焦がれようとも、その想いを君に届けることは難しくなってしまった。  君と僕との隔たりは大きくなるばかりだ。物理的な距離は変わらないけれども、第一線で活躍する君の住む世界と、ほぼ引退したと言ってもいい僕の住む世界では、時間の進み方が違う。きっと君は一日に数え切れないほどの仕事をこなし、一週間、一か月ともなれば十分に長い時間があると感じることだろう。  けれども僕の一日はとても短く、何もしないまま、何もできないままに、あっという間に終わってしまう。一か月や一年の時間があったところでほぼ同じことなんだ。ほとんど意識することもないうちにいつの間にか時間は過ぎ去ってしまう。  アインシュタインの言っていることはおそらく正しいよ。時間は伸びたり縮んだりするんだ。僕に残された時間があとどれくらいあるのか。僕にはわからないけれども、君よりも先にこの身が朽ちてしまうことは確かだと思う。だからどんなに難しいことでも、君に僕の想いを伝える手段を僕は探しているんだ。せめてそれだけはやり遂げてから自分の生涯を終えたい。  人間五十年なんて言われた時代もあったようだけれど、今では百年を生きる人々さえ大勢いるみたいだね。それでも僕は、そろそろ自分の終わりについて考えた方がいい年だと思う。僕はもう還暦を過ぎた。  僕だってエンターテイナーの端くれだから、時代の流れには敏感でいたいと思う。  近頃あちこちに飛んでいる物体、ドローンとやらを君の下に飛ばしてみようか? 君へのラブレターを綴ってそれを括り付けて。  誰かに飛ばし方を学べば僕にもそれを操縦することができるかもしれない。でもその前に僕にはドローンを買うお金がない。それにラブレターだって一度も書いたことが無い。  もっと他にも手段はある。頭を使うんだ。知恵を絞り出すんだ。  そうか。僕に残された波を利用することができるかもしれない。それならば話は現実味を帯びてくる。君に届くのかどうか? もし届いたとしても君が応えてくれるのかどうか? それはやってみなければわからないけれども、何もしないで君を見ているよりはましだと思う。毎日同じ時間に、僕の波に乗せて君に愛の歌を贈るんだ。  それでもやっぱり問題はある。この波はまぎれもなく僕から発している波だ。でもそこにはスポンサー企業やプロデューサー、ディレクターなどの意見が色濃く反映され、僕自身の好きなコンテンツをむやみに発信することはできない。  エンターテイナーというのは不自由だ。僕でさえこんなに不自由なのだから、君は僕に輪をかけて不自由さを感じているに違いない。そんな不自由さについて君と話すことができれば、僕らはお互いに分かり合うことができるかもしれない。  僕らが話すことができると仮定しての話だけれども。もしも自分の思ったことを自由に話すことができたら、それはどんな感じなんだろう? きっとどんな想いでも、君に伝えることができるんだ。例えば「アイラブユー」とはっきり伝えることができるし、「君は僕のことをどう思っているの?」なんて尋ねることもできる。  けれども僕には話す術が無い。沈黙の中で僕はあれこれ考えを巡らせているだけ。僕が発信する波はありとあらゆることを話しているのに、僕自身の言いたいことはそこには存在しないんだ。そしておそらく君も自分自身の言葉を発したことは無いんじゃないかな?  僕らはそれぞれの時代を映し、その時代に生きる人々の考えを代弁している。一瞬の光景や一片の言葉は渡り鳥の群れの様に連なりながら空を飛んで、見知らぬ誰かの目に、耳に、そして心に届けられる。放送網というシステムの中に、僕も君も既に組み込まれてしまっているんだ。  僕はそんな自分を変えたい。ロケットになってここから飛び立って、限りなく広い宇宙を見たい。それから急降下して君の姿を間近に見ながら墜落してその生涯を終えたい。  君はどう思う? こんな僕の考えは決して実現することのない絵空事だと思うのかな?  確かにとても困難なことだし、現実的に考えれば実行不可能な計画だろう。けれども僕らはともにエンターテイナーなんだ。エンターテイメントの世界ではそれこそ荒唐無稽なことが起きてもいいんじゃないかな。僕はそう思うんだ。君は賛同してくれるかな?  色々と思うことはあるけれども、現実の僕は未だ大人しく東京の街に立ち尽くしている。僕の発信する波がほんのわずかでも君に影響を与えるのを、君から発信される波が少しでも僕に応えてくれるのを期待している。  毎日同じ場所に居る。待っている。それ以外にできることは無いのだろうか? すべてを変えてしまうような何かが、東京の街に起きることを望めばいいのか? 大地震や、隕石の落下、海水面の上昇だとか。いや違う。僕はただ探している。君にアクセスする手段を。   もしかして、ほんの少しだけ背伸びをすれば君の視界に顔を出すことができるかもしれない。夏の熱い昼間、僕の骨組みは、ほんの少しだけ伸びるんだ。高さにしてほんの数センチ、いや数ミリのことかもしれないけれど、僕の身の丈は伸びる。  それでも君の骨組みだって同じように伸びるんだ。相対的な関係は決して変わりはしない。やがて秋になり、あっという間に冬がやって来る。僕の骨組みは、また縮んでしまう。  君は僕よりもずっと高いところから、あらゆる波を発信している。僕はたった二つの波を発信しているだけ。少し前までは僕もあらゆる波を発信していた。それでもその役割のほとんどは君が引き継ぐことになった。僕に残された波は僕自身の存在意義のようなもの。かろうじて残る存在意義が茜射す冬の夕空に伝わっていく。  ちょうど今、二つの波はラブソングを伝えている。一つの波は叶わぬ恋の歌を。もう一つの波は幸せな恋の歌を。君と僕との間を埋める空気に向けて発信している。  おそらく僕の恋は叶わない。  二つのラブソングを聴きながらそう思っていた時だった。  珍しく粉雪がちらつき始めた東京の空に向かって、君の身体から明かりが発せられた。  いつもはブルーやパープルに輝く君の身体が、今日に限っては違う色に染まった。  レッドとホワイト。それは僕の色と同じだ。  今夜は12月24日。クリスマスイブ。恋人や家族と過ごす大切な夜。  僕の恋心はついに君に届いたのか? 君がそれに応えてくれたのだろうか?  いや、そんなことはない。単なる偶然だろう。  それでも身の丈333メートルの僕を、身の丈634メートルの大きな君が優しく抱きしめてくれたような気がした。  君が僕の色をまとっている。感動的な光景に涙がにじむ。赤く染められた雪が蝶のように視界をひらひらと舞う。   僕と、そして君はその名前に東京を冠している。  僕は東京タワー。草臥くたびれてしまった電波塔。  君は大樹の様に空へと伸びる。  名前は東京スカイツリー。新時代の電波塔。  僕は君のことが大好きだ。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません