S <また、恋をする>
第45話『貴女に未来をあげる』

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 刺されたかのような苦しい表情をする真名まな。だがその言葉を誰かが遮った。  少年の声だった。声変わりをする前の少年の声に聞こえた。店内を見ても少年はいないが。  となると―― 「「『――!』」」  日記・花月かげつから霧が出てきた。白い霧だ。それは一時店内に充満し、しかし火災報知器を作動させることもスプリンクラーを作動させることもなく、かと言って換気扇から外に出て行くこともなく。  不思議な霧は収斂を始める。集まって、一つの形を取り始める。……いや形と言うか……ただ集まって、不定形の塊になった。黒い仮面を持つ塊に。さながら霧の鬼。あるいはオバケ。  そうか、この子が日記に込められている魂か。 『初めまして、ぼくが花月だよ』  花月の挨拶に、オレたちもそれぞれ挨拶を返した。 『真名、まずはこれまでかなうをもたせてくれた、それに感謝するよ。  でもここまでだ。  キミの存在は叶を傷つける。  いったいキミの為に叶がどれだけ密やかな涙を流したか』 「花月」  名を呼ぶのは、叶さん。花月の言葉を止める為のモノだ。  彼女の気持ちを察した花月はすぐに口を噤む。  が、そもそも花月は思い違いをしていないか?  叶さんが泣いていたと言うのは事実なのだろう。しかしそれは。 「花月、きっとアタシは傷ついて泣いていたのではありません」 『え?』 「アタシはきっと、幸せだったの」 『幸せ? 人は幸せでも泣くの?』 「ええ、そうよ。  アタシとこの人が愛し合っていたのなら、心を通わせ合っていたのならどんな涙の理由も必ず幸せに帰結します。  だって真名への想いが貴方の日記を歪ませるほどの熱い涙になったのよ?  考えてみて、ただの涙が記憶を編集するなんてできますか?  万感の想いが込められていたからこそ、可能となったの。  傷ついていたのではないの。  ただ、そうね、幸せに心がついていけずに涙になったのです」  嗚咽の声が聞こえた。オレの横から――心魅このみさんからだ。 「……ねえ、真名?  アタシを愛してくれてありがとうございます。愛させてくれてありがとうございます。  けれどアタシと貴方の関係はここまで。  ここまでにしましょう?」 『叶、叶の想いは理解した。  だが……ムリだ。  今、われはキミを覚えていない。覚えていないのにキミとともにいられるこの今にどれだけ幸福を感じていると思う?  これだけ深く広くキミを想う心を忘れて、他の女性を愛すのはもはや不可能。  キミの記憶が戻らぬ中で我を再び愛してくれとは言えない。  ただ、愛させてほしい。  キミが今後誰かを愛したならばその未来の幸福を祈らせてほしい。  そしてなにより、きる気力を失わないでほしい。  活きる道を望んでほしい。  さすれば開ける道があるのだ』 「……道?」  そうだ。一夜いちやの力があれば未来を与えることができる。  けれど叶さんが未来を望んでくれなければ力は効力を失ってしまうだろう。 『頼む叶。  ただ一言、「活きたい」と』 「……アタシね、清算をして回っていたの。  家族・友人・思い入れのある場所・モノ。  みんなにありがとうを言って、お別れを告げてきたのです。  もう……疲れたから」 『叶』 「疲れたから、覚悟を決めていたのです。  なのに……どうして貴方はアタシの心を揺るがすの?  どうしてアタシの心は……貴方の言葉で簡単に揺らいでしまうの?  アタシは……活きられるの?」 『無論だ』 「そこには、真名がいてくれるの?」 『ああ』  叶さんの目から涙が零れた。これまでずっと微笑みを保っていた叶さんからそれが消えた。消えて、代わりに涙が流れたのだ。  絶望の先に見えた、光に。 「……なあにそれ? 貴方がいてくれるなんて、とっても……幸せそう。  アタシ……活きたい、活きたいよ」  一夜。 『ええ。わかっているわ、心覇このは。  めぐり かなう。  貴女に未来をあげる』  一夜がぶ。  小さな希望の光が。  そうして叶さんの額に優しく、たった一度きりの口づけを。  時計の針が進む音がした。  口づけと同じく一度きりの音。  けれど確かに響いた。  止まっていた針が動き出したのだ。  叶さんの為に、彼女の未来が――動き出した。

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