木蓮ひらり
ブルームーン 2

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 店を出ると空は薄曇りで、真夏になる前の曖昧な明るさが歩調を遅くした。  バスターミナルのある大通りへ向かおうとしたときに、ヒデちゃんが言った。 「こっちから行こう。綺麗なんだ」  あたしはヒデちゃんに付いてレストランの裏手の道に入った。少し先に白い花のアーチが見える。公園の入り口らしい。 「こんなとこ、あったんだ」 「来るときに見つけた。ちょっと遠回りになるけど、通り抜けられるから」  アーチをくぐるとその向こうにも様々な花が咲き乱れていて、お年寄りや家族連れが散歩をしている。遠くに見える広い芝地ではカップルがフリスビーをやっていて、はしゃいだ声が聞こえてくる。  あたしは柵に絡んでいるピンクの蔓薔薇に近づいた。芳香が立ちのぼる。ワンピースのスカートのふくらみが薔薇の棘に触れそうで手のひらで軽く押さえた。 「ワンピース、いいな。おれ女の子に生まれたら絶対ワンピース着るよ」 「なにそれ」  誉め言葉だか何だかわからない台詞に、あたしは笑った。 「さっきのさ」  ヒデちゃんはあたしの隣に立って同じ花を見ている。 「康のことだけど……きっかけがあれば進むような気がするんだよね」  そう言ってヒデちゃんは腕組みをし、あたしはその顔を見上げた。 「周りが口を出すことかなあ」  自分のことを棚に上げてあたしは言う。 「口は出さないけど、さりげなく会う機会を増やしたらなるようになっていくと思うんだ」  親友のためには積極的に動くひとなんだ。ヒデちゃんの今日の目的の半分以上が杉本くんの話をするためのような気がして、胸の中がもやもやした。 「なんとかなって欲しいの?」 「ひとを好きになれるならなった方がいいじゃん。おれなんかそんな余裕ないけど……」 「余裕……?」 「うん……勉強忙しいからとかじゃなくて、気持ちのさ」 「……どういう意味?」 「うち、親父が病気でさ」  ヒデちゃんの家は歯医者さんだ。ご両親が共に歯科医師で、もともとは二人で診療されていたらしい。だけどお父さんが入退院を繰り返すようになられてからは、お母さんが一人で診療されているのだそうだ。 「今すぐどうこうって病気じゃないんだけどさ、おふくろももう五十だし」  だからヒデちゃんはなるべく早く歯医者にならなくてはいけないらしい。 「こういうこと考えてるせいなのか、それとは関係ないのかわかんないけどさ……」  もうわかった。聞きたくない。 「……恋愛の方に気持ちが向いていかないんだよね」  すうっと手足が冷たくなっていくようで、あたしは立ちすくんだ。 「トモんちも大黒柱はおふくろさんだろ?将来のこととか考えない?」  そりゃ考えるよ。  でも今この瞬間は考えたくない。  あたしはヒデちゃんと一緒にいるんだから。  だけどあたしの口からはそんな台詞は出てこなかった。 「……わかんない。うちのママ、若いし…」 「そっか。まだ三十代だっけ」 「今度の誕生日で、四十だけど」  あたしの気持ちと言葉がまるで関係なくなってきて、軽く目が回っているみたいだ。  ヒデちゃんは「誕生日といえば」と言って、自分の腰をぽんと叩いた。 「この前プレゼントありがとう。誕生日、言ったことあったっけ」 「……うん」 「そっか」  ヒデちゃんは薔薇の花びらに指先でちょっと触れて、またゆっくりと歩き出した。  あたしは少しだけ後ろを歩いてヒデちゃんの顔を盗み見た。その表情からは何も読み取れない。  五月二十日。平日だったけれど、どうしてもその日に渡したかった。  三田英規様  お誕生日おめでとう。  海の色のペーパーウェイトです。  手元に置いてやってください。  水色のカードにそれだけを書いて箱の中に入れた。  それだけで伝わると思った。  伝わったと思う。  だけどヒデちゃんはあたしの気持ちに応えてはくれない。 「中間終わったら、また四人で会おうよ」  ヒデちゃんが言った。  あたしは寂しかったけれど、「そうだね」と答えた。  

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