あかね
あかね(4)

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 私はね、天音あまねさん。  七つになった年、このお社で、不思議な出会いをしたの。  家族はみんな、神隠しにあったと言っているのだけれど。  その日も夏祭りだったわ。  昼間だったから、今日よりも暑くて、明るくて。  まだ私とおねえちゃんは小さかったから、おとうさんとおかあさんと一緒に見て回っていたの。  おねえちゃんと水風船をどちらが多く釣れるかと競争したり、屋台の食べ物を食べたり。  そうしているうちに、私はひとり、家族とはぐれてしまったの。  どうしてだったのかしらね。  おねえちゃんと手をつないでいたというのに。  人ごみに押しつぶされてしまうんじゃないかと不安になって……。  私は、参道から抜け出して、屋台の裏を通って、大回りで社殿の方へと向かったの。  迷子になった時には、あの大きな木の下に来るよう、言われていたから。  そう、さっき約束した、あの杉の木よ。  杉の木の下には、見知った顔はだれも居なかったわ。  きっとまずは、参道の来た道を探し回っていたのね。  賑やかな様子を眺めながら、私はふと、ぐるりと社殿の周りをまわってみることにしたの。  そんなことをすればもっと迷子になるって、わかっていたのに。  社殿の裏側を一人で歩いているうちに、境内に白くぼんやりと霧のようなものがかかり出したの。  人の声も聞こえなくなって、水風船を持ちながら、ぼんやりと私は歩いていたわ。  ずぅっとずぅっと歩いて、草履を履いた足が痛くなってきて、それでも境内は終わらないの。  この道はどこへ続くのだろう、私はどこへ行ってしまうのだろう。  そんな風にぼんやりと思い始めたとき、白い霧のかかった道の先に、小さなさびれたお社と、一人の男性を見つけたの。  ええ、そう。  狐の面をつけた、若いのか年老いているのかわからない、袴の男性。  ――ああ、天音さん、落ちついて。  私は、その人の近くに行って、見上げて、訊ねたの。  ここはどこですか、おとうさんとおかあさんはどこですか、と。  この人なら、皆の居場所と、帰り道を教えてくれるんじゃないかと思ったから。  けれどその男性は何も答えずに、私の手首をつかんだの。  そのまま小さなお社の方へ、私を引っ張っていこうとして。  怖くて、でも手を振り払うこともできなくて。  ただ足に力を込めて突っ張って、首を振ることしかできなかったわ。  私の髪は、その時も今と同じくらい長かったの。  ええ、腰丈まで。  それを下ろしたまま、首を振ったものだから、ばさりばさりと髪が舞ったわ。  それを見てあの男性は、握る手の力を緩めてくれたの。  そうして、どこからか紙縒りを取り出したの。  あの人は紙縒りで何をしたと思う?  ――私の髪を結い始めたの。  首筋に触れた手は、冷たかった。  何も言わないまま、淡々と男の人は私の髪をいじるの。  私は心細くて、泣き出したくて、でもこれ以上何かをしたら怒られて、何もかも終わってしまう気がして、じぃっとあの人を見つめていたわ。  そうして、唐突に頭が軽くなって。  思わず勢いよく振り返ったら、髪の端が目の端――肩の辺りに見えたわ。  あの人の手には、剃刀と、私の長い髪が載っていたの。  それからやっと、あの人は口を開いたわ。 「この髪は預かる。お前の髪が、これと同じ長さになった夏、迎えに行く」  とね。  私はただ頷くことしかできなかったわ。  そうしたらあの人は、また私の腕を掴んで、私が来た道を引き返し始めたの。  ああ、赦してもらえるんだ、帰してもらえるんだ、と、その安堵で胸がいっぱいで、あの人の言葉の意味など、その時は全く理解していなかったわ。  そうして霧が晴れる頃には、もとの賑わいが戻ってきた。  なのに、男の人は霧に隠れているの。  彼の周りに霧が集まってきている、といった感じでね。  ふと腕に感じていた感覚がなくなって、振り返ろうとしたら、だめだ、というあの人の声が聞こえたの。  急に恐ろしさが戻って来て、見えた杉の木に走っていくと、そこにはおねえちゃんとおかあさんの姿があったわ。  安心してしまって、びぃびぃ泣いたの。  それから家族に怒られたり、心配されたり、驚かれたり、駐在さんにいろいろ聞かれたり、いろいろあってね。  でも、私もうまく説明できなかったし、あんな不思議なこと、誰が信じるかしら。  おばあちゃんだけが、私を抱きしめて、ただ黙って、うんうんと頷きながら、私の話を聞いてくれたの。  私の髪の毛は確かに短くなっていて、おかっぱのようだったわ。  そうね、今の貴女の髪よりも短くて。  家に着いて、それを鏡で見た時、あの人との約束を思い出したの。  また腰まで伸ばしたら、あの人に連れ去られてしまうように感じたわ。  けれど、髪が伸びるのは、私の力で止められることではないものね。  半年くらいは怖くて、毎月のように髪を切ってもらっていたわ。  その約束のことは誰にも話していなかったから、家族もさぞ心配したでしょうね。  ――ええ、あの人との約束を知っているのは、貴女と私だけ。  どうか誰にも、私の家族にも、話さないで頂戴ね。  でもね、その不思議な出来事から、ちょうど一年後の夏祭りの日、私は夢を見たの。  私はその年、お祭りにはいかなかったのだけれど、夢の中で私は、あの白い霧のかかる境内を歩いていたわ。  だぁれもいない参道を真っ直ぐに。  鳥居の先、社殿の横に立つ人影が見えて、その夢はそこで終わったわ。  けれど、それから毎年、毎年。夏祭りの日には、同じ夢を見続けているの。  一歩一歩、私は社殿へと近づいて行く。  少しずつ、あの人の姿もはっきりと、見えてくるの。  良く見ると、あの人は社殿ではなく、その横の小さなお社のほうへ、少しずつ移動していた。それに気付いたのは、何年経ったときだったかしら。  お面で顔が隠れているのだから、表情はあまり見えないはずなのに、どうしてか、その姿がとても寂しげに見えたの。  三度目に夢を見てから、私は髪をまた伸ばし始めて。  それからもう、四年くらい経つのかしら。  今年、私の髪は、腰まで伸びたわ。  だから、もう、すぐ。  私は茜の話を聞きながら、今すぐ家へ飛んで帰って、はさみを持ち出したい衝動に駆られておりました。  そのつややかな黒髪を、今すぐ切り落としてしまいたい。  その男との約束など、私が反故にしてやる。  茜は行かせない、と。  けれど茜の髪から顔へと視線を移した時、私は、不思議な心持になりました。  茜は、微笑みを浮かべていたのです。  それは幼い少女のものではなく、もっと大人びたもの。  子供の世界から一歩外に踏み出した、そんな穏やかな、綺麗な、笑みでした。  それと同時に、私の心のどこかで、その時は近い、と悟りました。 「……ああ、お話が長くなってしまったわね。天音さん、私、喉が渇いてしまったわ」  ぼんやりとする私に何を見たのか、茜は再び子供っぽい笑顔を見せて、軽やかに立ち上がりました。  彼女の手が私の手からするりと離れ、慌てて私も立ち上がりました。  私が傍に置いていた巾着とりんご飴を手に取っている間に、茜は私の前を歩き出しました。

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