あかね
あかね(1)

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 今からお話いたしますのは、私の大切な、大切な親友のお話です。  彼女は、あかねは、あの年の夏祭り、神様の下へと嫁いでいきました。  家庭の事情と言うもので、私は中学生になって二度目の春を、母親の実家がある街で迎えました。  ああ、どうか街の名は訊ねないでください。  彼女との大切な思い出が詰まったあの街を、あのやしろを、好奇の目にさらしたくないのです。  あの自然豊かな小さな街と比べればいくぶん都会から来た私の事を、新しい中学のクラスメイト達はみな遠巻きに見つめているのがわかりました。  私は私で、その当時は心も金銭面も余裕がありませんでした。  あてがわれた教室の一番隅の席で、なるべく目立たないようにと小さくなっていました。  いじめられることもなく、さりとて構われることもなく。  淡々とひと月が過ぎ去って行きました。  風薫る五月、私と茜は親友になりました。  その日のことは、今でも思い出せます。  窓際の最後列という、今思えば特権のような席で、私はぼんやりと窓の外を眺めていました。  そこに茜が寄って来て、声をかけてくれたのです。 「ねえ、あなたのお名前、天音あまねと言うのでしょ。私と一文字違いなのね」と。  その一言がきっかけで、私はあのクラスで居場所を見つけたようなものです。  茜は、得体のしれない闇へ沈みかけていた私を、明るい世界へと救い上げてくれました。  ちょうど、縁日で掬われ大切に持ち帰られた、金魚のよう。  私は新しい水槽で、新たな世界を見ることができるようになったのです。  茜はクラスの中心という訳でもなく、特別お洒落でも、運動が特別できるわけでも、話が特別うまいわけでもありませんでした。  小さな街の小さな公立中学校に居る、わずかに切れ長な茶の瞳と林檎のような赤い頬、柔らかそうな唇を持った、ごく普通の女の子でした。  けれど、周りの子とはほんの僅か違う、どこか古めかしい、年に似合わない大人びた言葉遣いをしておりました。  そしてほんの少ぅしだけ、唐突な物言いをする少女でした。  彼女を際立たせるもうひとつは、つややかで長い黒髪でした。  もう少しで腰まで届くという絹のような髪を、彼女はいつも、一つに結っていました。  そして何よりも、不思議な存在感――あれは俗に言うオーラなるものだったのでしょうか、とにかく、人とは違う特別な空気を彼女は纏っていました。  それは彼女を神秘立たせるような、彼女に触れることをためらわせるような、何とも説明のし難いものでした。  それほど目を惹く女の子なら、クラスの男子が黙っていなかったのでは、そうお思いでしょう。  それが、不思議なことに彼女にはただの一人も、男子が声をかけてこなかったのです。  声をかけるのがためらわれるという雰囲気ではなく、全く自然に、男子が茜という存在へ意識を向けないのです。  席が隣の男子でさえ、こんなに清らかで美しい女の子が座っていると気づかないかのように――  ただ無感情に、彼女の横に腰掛けているのです。  私ははじめ、茜の美しさに皆が慣れきってしまい、誰も注意を払うことがないのだと思いました。  同時に、なんと贅沢な人たちでしょう、とも。  けれど、それとも少し違うようなのです。  思い返せば、私もまる一ヶ月、茜という少女の存在に全く注意を向けておりませんでした。  黒板の前に立って自己紹介をしたその日、クラス全体を見回したというのに、長い黒髪の少女はまったく目に留まりませんでした。  確かにそこにいるのに、まるで何か、薄い絹で包まれ世間から隠されている存在。  私は茜を眺めるうちに、そんな感覚を抱いたのです。  私たちは時間が許す限り、ずっと一緒にいました。  休み時間も、帰り道も。  塾など通う子の方が少ない街でしたから、私たちは学校帰りものんびりと、小さな商店街を冷やかしたり、互いの家に遊びに行ったり、時には図書館で教え合いっこをしたり、そうして楽しい毎日を送っていました。  越してきた頃はふさぎ込んでいた母も、茜が家に遊びに来てくれる度に、少しずつ笑顔を取り戻していくようでした。  夏休み前のある日、久方ぶりにパウンドケーキを焼く母の姿を見たとき、私は思わず茜に抱き付いていました。  あなたのおかげで、お母さんが元気になったわ。  私が興奮気味に伝えると、茜はちょっと笑って、ゆるりと首を振りました。  あなたと、時が、お母様を癒やしたのよ。  大人びた物言いに、私は体の芯がしびれるような心地がしました。  どうしてか、当時私が可愛がっていた猫のタマだけは、茜に懐きませんでした。  けれどもそんなタマの様子を見て、茜は綺麗な笑顔を見せていたのを思い出します。  そうして、楽しい一学期はあっという間に過ぎ去り、あの夏休みがやってきたのです。

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