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 朝六時、学校に行く前に、鬼こぎして滝畑ダムに向かった。  登校するまでの二時間くらい、だれもいないダムの上から、山に向かって発声練習する。 「あ、め、ん、ぼ、あ、か、い、な、あ、い、う、え、お」  丹田というものが、へその下あたりにあるらしかった。そこに力をこめて声を出す。 「う、き、も、に、こ、え、び、も、お、よ、い、で、る」  絶対にヒロインオーディションに受かって、岬センパイの相手役を演じる。  そして、ふるさと映画祭で、センパイとレッドカーペットを歩くんだ! 「……なあ、モモ瓦。お前、なにやってんの」 「ふぎゃ!」  おどろいてふりむいたら、カメラを持った蓮がいた。そしてモモ瓦ってなんだ! 「な……なにやってるって、あたしは発声練習だけど、そっちこそ、どうして!」  映画部に入っても、蒼月蓮とは極力関わらないつもりだった。  なのにどうして、こんなところで会ってしまうのだろう。 「おれは……岬さんの映画のロケハンだよ」 「ロケハンって?」 「ロケーション・ハンティング、撮影する場所の、下調べのようなもんだ」 「ふーん、こんな早朝に?」 「早朝のシーンなんだよ」  相変わらず無愛想なやつだけど、こいつはこいつでがんばっているというか、青春している様子だった。 「……モモ瓦の声、山道のぼってくる間、ずっと聞こえてたぞ」 「そう? それが、なにか問題でも?」 「いや、お前もがんばってんだな、と思って」  そう言った蓮はもうカメラをかまえ、パシャパシャと風景の写真を撮りはじめた。 「……そりゃがんばるよ。オーディション出て、岬センパイの映画で、ヒロインやるんだから。あんたの映画には出てやんないけど」 「そうか、それはざんねんだな」  蓮はこっちを見ずに言った。もっとなにか憎まれ口を叩くかと思っていたから、拍子抜けしてしまう。でもまあ、関係ないか、と、あたしは発声練習にもどった。 「き、つ、つ、き、こ、つ、こ、つ、か、れ、け、や、き――」 「……なあ、モモ瓦、もう二歩右に、立ってみてくれ」 「は? まあ、いいけど」  ふりむいて二歩移動したあたしを、蓮は遠くの景色と見くらべるようにした。 「よし。そこで『わたしは、自分が生まれたこの街が、大好き』って、言ってみて」 「はあ? なんで?」 「いいから」  蓮はカメラをかまえた。  そういえば岬センパイにもらった台本に、その台詞があった。ロケハンをしているということは、ここでそのシーンを撮影するということなのだろうか……。  岬センパイの映画のためだったら、と思い、それを言ってやることにした。  蓮がかまえるカメラに向かって、あたしは声をだした。 「わたしは、自分が生まれたこの街が、大好き!」  春の風がびゅう、と吹き、あたしの髪をゆらした。ぱしゃり、と、蓮が写真を撮る。 「……オッケー。もういいぞ。ありがとな」  カメラから目を離した蓮が言った。 「なかなか良かったぞ」  蓮は小さな声で言い、スケッチブックになにかを書きこんだ。  いつもは感じの悪い蓮に、ありがとな、とか、良かったぞ、なんて言われると調子が狂ってしまう。 「……なにそれ? えらそうに」  あたしは蓮に背を向け、発声練習を再開することにした。 「さ、さ、げ、に、す、を、か、け、さ、し、す、せ、そ――」 「一生懸命なのはいいけど、そろそろ出ないと遅刻するぞ。おれはもう行くからな」 「どうぞー、ご勝手にー」  蓮はなにか言いたそうにしていたけど、やがて自転車に乗って去っていった。  しだいに小さくなるその姿を、あたしは発声練習しながらダムの上から見守る。  ばかめ、と思った。  あたしは鬼の力を使えば、こんな山はあっという間に越せるもんねー。  などと余裕をかましていたけれど、練習に熱中しすぎて、教室に駆けこんだのは、先生が入ってくる二秒前というギリギリのタイミングだった。

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