瘋癲凡人富士日記
金原ひとみとワクワク薬漬け生活

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 薬あるある、正気を失う。  これは本当にあるあるだと思う。同じような薬を服用した経験のある友人たちに意見を求めると、皆同意してくれる。あるあるネタとしての精度は非常に高いはずだ。ただし、日曜二十時のバラエティ番組で披露するにはややキャッチーさが足りないことから、このあるあるで一世を風靡するのは厳しいだろう。  薬、というのは頭痛薬や塗り薬の類ではなく、いわゆる精神に落ち着きを取り戻すための薬だ。あの手の薬は服用すると途端に身体から力が抜け、思考が曖昧になり、右も左もわからず昏倒する。当然相性もあるだろうが、中学時代に主治医からその手の薬を勧められた私は片っ端から試しては昏倒したり、身体中に腫れ物を作ったり、昼夜問わず眠り続けたりとさまざまな副作用を経験した。確かに、精神的に不安定になる暇もなかったので落ち着いたと言えば落ち着いたのだが、それは貧困に悩み自治体へ泣きついた家庭に「家にあるものでパパッと美味しい!時短節約レシピ100選!」みたいなものをお見舞いするのと同じで、根本的な解決には至らない。薬をぶち込むと意識がうわつき目の前のものも認識できなくなって、暴れる元気は到底ないが落ち着いているとも言えない状態に陥り、友人に至っては普段なら絶対に招かないタイプの交通事故を引き起こしたという。精神を落ち着けようとするあまり正気を失えば、得られるものは少ない。  そんな薬でも飲めと言われれば飲むしかなく、苦痛の中で飲み続けるのも辛かった私は、必死に薬のいいところを探した。どんな悪代官もよくよく内面を見つめれば共感や同情の余地があり、ストゼロで乾杯でもしたら最後「案外いい奴じゃん」と思えるはず理論をかましたのだ。薬相手にストゼロ和解を持ちかけた結果見つけた長所、怪我の功名というか精神不安の功名、薬の功名、それは「正気のときには書こうとしたって書けない、支離滅裂な文章をつづることができる」だった。悲しきあるあるを生み出すことしかできない薬の違った一面に気づいたのと同時期、私の発見を全面的に肯定してくれる作品が世に出た。金原ひとみ「AMEBIC」だ。  今作には、文章を書くことを生業にしている主人公がしたためたおよそ正気と思えない文章がくりかえし登場する。特に冒頭の文章が放つ圧とスピード感はすさまじく、表紙を開いたとたん出会って即ヤバ文章、しかも読み進めてもなかなかその文章の意図する内容がわからず、そうしているあいだに物語に取り込まれ、いつの間にかたどり着いたラスト、換気扇を覗き込むシーンではひたすら鳥肌が立った。  作中、主人公は薬を服用し正気を失うことを「ラリる」と言い、平穏を求めようとしてラリってしまったり、また意図的にラリったりして現実と非現実の境目を曖昧にしていく。ラリって書いた文章は編集者に褒められることもあれば、自ら無意味なものだと間引くこともあるのだが、ラリって、つまり薬の力を借りて無意識にアクセスする行為を、主人公は少なくとも楽しんでいると見てとれる。そうするしかないのだ、とも思う。ラリらなくていいならなるべくラリりたくないが、とはいえラリってでもラリの向こうにある落ち着きを得なければならず、ラリればラリるほどラリのハードルが下がりラリったときとラリらないときの差が不安を呼び、不安をラリって緩和しラリとともに生きラリとともに去りぬ、ラリって褒められるものを産んでしまってはラリらない自分の無価値に耐えかねすぐラリり、ラリと非ラリのあいだで冷静も情熱も手放す。  私は読書が苦手という人に、今作をやたら勧めている。予想できる範囲の日常や、あるあるで埋め尽くされた生活に飽きてきた人にとって、大変手軽なラリ体験がそこにある。人間を辞める前に、まずは健康的にラリってみてほしい。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません