瘋癲凡人富士日記
意味がわかるとアレな庄野潤三

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 読み物のジャンルは日々細分化され「ミステリ」「青春」「サスペンス」などの区別はもはやざっとした大枠にすぎない。「読書好きなんです」「へえ、どんな作品を読まれるんですか?」「ミステリです」という会話から好きな作家を擦り合わせるのは至難の業だ。迷路で言ったら一つ目の曲がり角だ。北海道旅行と称して札幌、函館、小樽、登別、網走、釧路観光を同日に強行するくらい無茶だ。  さて、近年「意味が分かると怖い話」と呼ばれるホラーが人気を集めている。一読しただけではなんのことはないのだが、よくよく読んでいくと何気ない描写の裏に隠された意味を察することができ、行間からじわじわと怖さが滲み出す。内出血のような読後感は宅飲みの柿ピーのごとく後をひき、次なる作品をさらにさらに読みたくなってしまう。中毒性が非常に高く、ニコチンの五千倍の効力があると踏んでいる。近い将来、行き場を失った意味怖廃人が医療機関へ駆け込むことになるはずだ。  そんな「意味怖」をはじめて体験したのが、庄野潤三「静物」である。お恥ずかしい話だが、私は当初この作品をほんわか日常エッセイくらいの感覚で読み進めていた。父親と、無邪気でかわいらしい子どもたちによる等身大の日々は、主婦向け雑誌の一部に馴染みそうだとさえ思っていたのだ。時短レシピ、節約術、老後の備えといった知識ページが続いたあと、二色刷りのページにこんな作品が載っていたら、あらまあかわいらしいうちの子もこのくらいの年齢のときは……と頬をゆるめて語り出す奥様もいらっしゃることだろう、と。奥様の趣味や持っているハンケチーフの柄、御用達のケーキ屋さんの店名まで完璧に想像できた。  読みながら、母親の影があまりにもなさすぎる、と気づいてはいた。しかしどのような家庭にもその家庭なりの常識があり、いわゆる一般的な形に即していないからと言っておや、と思うこともないだろうと、平成生まれの多様性にかまけた事なかれ主義で雑に読み飛ばしてしまったのだ。なんならそのまま最後まで読み切ったのち、ほんわか日常は変わらず続いているというのに妙な気味の悪さを覚え、ようやく描かれている日常への疑念を持った。  ようやく「書かれている内容の意味」でなく「書かれていないことの意味」および「タイトルの意味」に思い当たったとき、私は泣いた。普通にガチでまじで泣いた。悲しいとか切ないというのではなく、怖くて、意味がわかった瞬間に滲み出て一気に襲いかかる怖さにまったく太刀打ちできなくて泣いた。なんなら今も思い出すだけで泣きそうになる。これほどの読書体験を、ほかにどれだけできたろうか。  しかし、この作品が「ホラー小説」として扱われることは、まずない。もし庄野潤三をホラー作家だと言う人がいたならば、私としてもどういう了見なのか山の上の家でお聞かせ願いたい。だからこそ、余計に強い感動を呼んだのだろう。ホラー好きもサスペンス好きも「これはホラーです、サスペンスです」とゴシック体で書かれたものとの出会いより、日常の角を曲がったとき事故的に出会うホラーやサスペンスの方が深く胸に刺さるはずだ。  ここで生きてくるのが「読み物のジャンル区分」である。怖さを伴う読書体験をしたい人は、ホラーカテゴリから好みの作品を探す。お金を払って怖い思いをするなど言語道断であるという人は、ホラーカテゴリには寄り付かない。ゆえに、純文学作家として愛され、その実とんでもない怖さを植え付ける庄野潤三の本質的なやばさ、怖さが際立つのだ。意味がわかると愛しさが膨れ上がる作家、庄野潤三。私の最も敬愛する意味愛作家だ。

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