離れずに傍にいて
第四章 それぞれの恋・5

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 どういう訳か、その日はやけに早起きをしてしまった。  まだ目覚ましも携帯のアラームも鳴っていない午前六時に、ぱっちりと目が開いてしまった翔太は、あと一時間は寝られると思いまぶたを閉じたが、どうにもこうにも眠気というものがやってこない。代わりに夏海の少し陰りのある表情……すらも消えて、軽いメイクを施した杏奈の笑顔がちらつく。やがて濡れたような、艶やかな唇だけがアップになっていく。 「だーっ、くそっ!」  眠気がやってくるどころか別の意味で興奮状態になり、目が完全に覚めてしまった。ベッドのサイドテーブル上にある目覚まし時計を見ると、六時十五分分で、翔太は深いため息をつくとベッドの上で胡座をかいた。寝癖がついたボサボサの頭をかきむしり、小さく参ったなぁと呟いた。  昨日、杏奈に送ってもらったことが妙に彼の心を刺激している。映研のみならず学校中のマドンナ的存在だった杏奈と、車中で2人きり。しかも金曜の夜には二人で劇団の公演を見に行くとなれば、デートみたいで落ち着かなくなるのも無理はない。  昨夜は夏海の事などこれっぽっちも思い出さなかった辺り、我ながら薄情というか移り気だと思わないではなかったが、杏奈に魅せられてしまったことは確かだ。どうにもこうにも幼馴染み以上に進展しない夏海よりも、三つ年上だが、何となく脈がありそうな杏奈に目移りするのも致し方ないだろう。  もう一度深いため息を吐くとベッドから抜け出し、窓を開ける。朝一番の空気はとてもすがすがしく、満開が近い桜の花びらが風に乗って舞っている。 (そういや茶道部って、今度の日曜が野点会だっけ……)  昨年は映研の活動と重なって遊びに行かなかったが、まさかそのまま夏海が入部するとは思わなかった。そういえば一人イケメンがいたなぁ、名前は高遠だっけと記憶の底から引っ張り出す。翔太はそのイケメンこと高遠と夏海が、昨日から付き合っていることを知らない。 (まさかあいつ、あの男が目当てで入部した訳じゃないだろうな)  そう頭の中で呟いたとき、一年前も同じ事を思ったことに気付き苦笑した。自分は映研を選び、そこに杏奈がいたことに幸運を感じたことも事実だったので、夏海のことをとやかく言える立場ではない。だが、やはり嫉妬めいた感情を抱いてしまうのは、夏海をただの幼馴染み以上に思っているからだろう。  二度寝するつもりはないが身を横たえ、両手を頭の下で組むと階下から母親が朝食の準備をしている音が伝わってきた。ふと夏海も今頃は起き出して、朝飯や弁当の準備などをしてるのかな、と思いが飛ぶ。  相変わらず夏海の両親は仕事優先──というより、仕事しか見ていない。しかも両親が夜中に話しているのを盗み聞いたところによると、どうやら双方共に愛人が代わり、ますます家庭を顧みなくなっているらしい。互いに家に帰らなくても責め合うどころか、お互い様だと思っているらしく隣家から喧噪は一切聞こえてこない。  冷たい、人の温もりなど感じられない家でひとり、夏海は毎日なにを思っているのだろうか。そう思うと翔太は杏奈の面影を忘れ、幼馴染みに対する思慕が募る。 「翔太、もう七時よ。起きなさい。遅刻するわよ」  階段の下で母親が声をかける。ぼんやりと考え事をしていたら、あっという間に時間が経っていたらしい。勢いよく身を起こして制服に着替え、階段を下りる。 「おはよう。珍しいわね、今朝はすんなり起きてくるなんて。毎日こうだったら、こっちも楽なんだけれどな」 「今日は、たまたまだよ」

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