離れずに傍にいて
第四章 それぞれの恋・1

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 始業式だけとはいえ新入生勧誘のため、どこの部も──同好会も含めて──明日からの勧誘に気合いを入れていた。とりわけ同好会は規定の人数さえ達すれば正式に部として認められ、生徒会からの予算も正式に確保できるとあって、毎年春になると殺気にも近い空気でクラブ棟内は満たされる。  クラス委員だのというかったるい選考も無事終わり、部活ないし同好会に所属している生徒は三々五々、それぞれの部室へと急ぐ。芳樹はどこにも所属していないが、家の道場の手伝いをするために帰り支度をしている。 「市原と安西は、部活なのか?」 「部活はないわよ」  菜々美がそう答えるが、夏海はちょっと目を泳がせて違う返事をした。 「私は部室に行ってくるわ」  その台詞に、菜々美は芳樹に判らないようにして笑み、荷物を手にする。 「じゃあ櫛田、今日はあんたのおごりでどこかに行こうか」 「え、マジかよ! この間もおごっただろ!」 「すでにドーナツを奢って、貸し借りなしになってます」 「チッ、覚えていたか」  おどけて肩をすくめる芳樹に向けて、勝ち誇ったかのように小さなガッツポーズを決めると、菜々美は彼の気が変わらない内に袖を引っぱる。 「今日はハンバーガーがいいな」 「おう、判った」  三人で教室を出ながら、菜々美は何ともいえず嬉しそうな顔をしている。今回は奢る羽目になった芳樹も、わざと渋面を作っているが目の色は優しさに満ちている。なんて事はない、二人ともじゃれ合っているだけだ。それが判るだけに、夏海も微笑んだまま静観している。 「じゃ、私はここで」 「じゃあね」 「また明日な」  櫛田たちと別れた夏海は、人が変わったかのように無表情になると、足早に茶室へと向かった。次の日曜に行われる野点は、花見と親睦会を兼ねている。教員たちも気軽に来てのんびりしていく、まことに肩の力が抜けた催しだ。どうやら部員は誰も来ていないらしく、しんと静まりかえった茶室からは人の気配が感じられない……と思いきや、誰かの内履きがきちんと揃えて置かれている。大きさからして男子のものであり、となると、中にいるのは。 (高遠部長、いるんだ)  思いがけず胸の奥がずきんと痛んだ。これが初めてのことではない。ホワイトデーに告白されて以来、高遠の姿を見ると微かな痛みがあった。それは辛さを伴うものではなく、どこか甘酸っぱいような疼きを伴っていた。 『いい加減に返事をしないと、先輩だってキレるよ』  菜々美の台詞が耳の奥でよみがえった。  高遠のことは嫌いではない、というよりもむしろ好ましい印象を持っている。恋愛感情というよりは憧れの君……そんな表現がしっくりくるのだが、思いがけず告白されてから妙に意識してしまった。  自分が社交的ではないことを自覚している。表面上の付き合いならば出来るが、心の奥深くを見せて付き合うとなると、翔太と菜々美と芳樹くらいしかいない。三人とも大切な友人だと夏海は思っている。ただ恋愛感情となると、どういったものをそれと呼ぶのか、彼女には判らない。  祖父母の愛情を受けたとはいえ両親のそれは、高校生になった今現在も受けていない。両親は金銭面や物質面で満たしてやればいいだろう、それが親としての義務であると固く信じ、また娘もその方が喜ぶだろうと思っている。愛情のやりとりを幼い頃から充分にしていなかった夏海は、果たして自分は他人から愛される価値があるのかと思っている。  決して彼女はモテない訳ではない。表情が乏しいが、人目を引く顔立ちをしている。隠れファンは結構いるのだが肝心の夏海は気付いていないというのが、現状だ。ほんの二、三秒ほど高遠のものと思われる内履きを眺めていたが、やがて息を吸い込むと、茶室に向けて声をかけてから自分も上がり込んだ。

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