パピヨン
第二十一話

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 ハルの言葉が嬉しくて、ユカが笑顔になる。ハルの膝頭近くに置いた空のグラスに、絞りたてのオレンジジュースを注ぐと、戸惑うような仕草が消えたハルが、スープ皿を床に置いて、オレンジジュースを口にする。 「あー、美味い!」  注いだジュースを一気に飲み干して、気持ち良さそうに言うハルの目の前に、ずいっとバスケットを差し出す。バスケットの中には、焼きたてのクロワッサンが詰め込まれている。  ユカはそのパンに、マーマレードとバターをたっぷり塗って食べるのが大好きだった。けれど、いつもひとりでは食べきれなかった。 「なにこれ。やっわらかい。サクサク!」  手に取ったパンを千切って口に押し込んだハルが、びっくりしたように手に残っているパンを見る。 「焼きたてなのかな?」  問いながら、ユカの顔を覗きこんでくる。 「こんな美味いパン、俺、はじめて食ったよ」  ふたつ目に手を伸ばしながら、ハルは嬉しそうにユカが注ぎ足すジュースを飲んだ。  最初の頃は掃除だけだったその人たちが、こんな風に食事を置いていくようになったのは、ユカが栄養失調で病院に担ぎ込まれてからだった。それはもちろん、心配なんかじゃなく、面倒をかけられることを嫌ってのことだと知っている。それでもユカは、いつもこの日を楽しみにしていた。誰とも知れない人たちが準備してくれる、温かいスープとパンを、心待ちにしていた。  さっくりと焼かれたパンと、野菜たっぷりのスープは、ふたりで食べるとすぐになくなってしまう。最後の仕上げのようにオレンジジュースを飲み切ったハルは、無意識にポケットを探って、さっきの煙草が最後の一本だったことを思い出したようだった。 「煙草?」  買いに行くのかと思って立とうとすると、ハルに腕を掴まれて床に引き戻される。 「いい。夜に行く」  沈みきらない太陽を見ながら、ハルが言う。ユカと入れ違いに立ち上がって、隣の部屋から聞こえるテレビの音に誘われるように、ベッドルームに戻っていく。

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