パピヨン
第十二話
そう、今ならわかる。それがどんなに変わったことなのか、今のユカにはわかる。 ハルの瞳が、何かを問うように、僅かに揺れた。その瞳を、見返すことしか出来ないユカと視線を絡めたまま、ハルは手元の煙草を容器に放る。じゅっと乾いた音が夜風に紛れて、紫煙が消える。ハルの指先が、そっとユカに伸ばされる。窓から届く微風に揺れる前髪を梳いて、顔の輪郭を辿るように、ユカに触れる。その指先が、すっと流れて、肩に落ちる。冷たい指先が、ユカの傷をなぞる。 「ここ、見ていい?」 それは本当に問いかけだったのか、ユカにはわからなかった。 傷のはじまりの部分はすでに、夜風にあたっていた。ハルの手は、キャミソールの肩紐の下に滑り込んでいる。 「もっとよく、見せて」 ハルはユカの顔を見ないで、傷だけを見ている。もっと何か、話してくれたらいいのに。ハルの声が、聞きたい。 「いいよ」 シャツを自分で脱ぎ捨てて、ハルが触りやすいように肩紐をずらす。明るすぎる蛍光灯の下に、醜い傷痕がくっきりと浮かび上がる。開け放した窓から入る風が、傷全部を撫でていく。 顔を近づけて、じっと傷を見つめるハルの吐息が、肌に触れる。丹念に、何かの行方を探るように、ハルは傷痕を指先でなぞる。 「痛かった?」 ハルの問いかけに、ぐらりと視界が揺れる。 「血、いっぱい、出た?」 ハルの唇が、傷痕にふわりと落とされる。まるで今、血が流れているかのように、傷口を強く吸い上げる。 その瞬間、どこかへ落ちていってしまいそうな感覚に、ユカはぎゅっと目を瞑った。
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