パピヨン
第二十二話

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 リビングを適当に片して、テレビに背を向けるハルの隣に座った。ベランダに向かい、黙ったまま風を眺めるふたりの頬に、残照が照りつける。 「おまえ、この髪、いつ切ったの?」  肩先を覆うまだ湿っている黒い髪をひとふさつまんで、ハルが問いかける。伸ばしっぱなしの髪は、腰まであった。ジーンズを穿くとき、ベルトに絡まるのが邪魔で、そのたびに裁ち鋏で適当に切ってきた。 「忘れた」  そう言うと、感情の読み取れない瞳が、じっとユカを見つめた。  ハルの髪はサラサラで、栗色で、真っ黒でバサバサな自分の髪が汚らしく思えて、ユカはハルに背を向ける。造り付けのクローゼットの扉を開いて、収納棚に仕舞ってあったシュシュを取り出し、肩に散らばる黒髪を隠すように纏めた。  振り返ると、ハルはベランダに脚を投げ出した格好で、床に寝転がっていた。そして、天井にぼんやりとした視線を向けながら、「煙草吸いてぇ」と、ぽつんと呟く。 「買いに行く?」  上から覗き込むと、確認するように外を見て「行く」と言って起きあがる。空は、薄い紫色に染まりはじめていた。  洗ったばかりのハルのシャツからは、清潔そうなシャボンの香りが漂っていた。  いつものコンビニにいくのかと思ったけれど、違っていた。それまでユカが一度も通ったことのない道を、ハルはゆっくりと歩いていく。家の近くなのに見知らぬ道に、ユカはきょろきょろと落ち着かない。そんなユカを確かめるように、ハルが時々振り返る。うつむいて歩く背中が遠くならないように、そのたびにユカは少しだけ足を早めた。  昼間の暑さを残して、夜が近づいてくる。  見上げる空には、トパーズの欠片みたいな月が浮かんでいる。その月の下を歩くハルを見つめながら、ユカはハルの肌を思い出す。夜を選んで歩くハルの肌は、まるで陶器のようだった。蒼白く透き通ったハルの肌に、トパーズの月はとてもよく似合っている。

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