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 麴町駅で地下鉄を降り、ヤッシーが書いてくれた地図を頼りに歩くと、迷わず花屋へたどり着くことができた。  店先には色とりどりの花があったが、目を奪われたのは、りんどうだ。紫色の花が初秋の街に鮮やかで、ふと、亡き祖母のことを思い出した。  そうだ、りんどうにしよう。  直感で決めた。  店員は、深紅の和紙と金色のリボンで、ハイセンスな花束にアレンジしてくれた。   一万円分のりんどうは、ボリュームがあり、両手で抱えると前が見えないほどだ。  豪華だし、パンチがある。  外国からのお客様に手渡す花としては、良い選択だと自画自賛した。  道行く人が私を、いや、私が持った花束を振り返る。これまで他人からこんなに注目された事はなかった。  イトウちゃんは簡単に「麹町集合」というが、私は麹町もテレビ局も初めて訪れる場所だ。  正面玄関には警備員が立っている。待ち合わせだと伝えると、花束を持っていることが功を奏したのか、すんなりロビーに入れた。  ここが、天下の日本テレビか……。  マスコミの就職試験に全落ちした自分が、一応仕事で、テレビ局にいる状況が信じられない。  大好きなあのドラマや、クイズ番組、毎朝見ている情報番組が、まさしくこの場所で作られている。  それなのに実感がわかない。感慨に浸る余裕がない。  とにかく花束が重いのだ。     私の姿が物珍しいのか、それとも花のチョイスのせいか、通りすがりの人に二度見された。  なんだか不安になってきた。  直感で決めてしまったものの、この選択は正解だろうか。  実は、すごく不謹慎な花だったらどうしよう。例えば、花ことばが不吉なものだったり、贈り物には相応しくない花であったり……。国が違えば、考え方が違うかも知れない。色の持つ意味も異なるだろう。宗教が絡んでいたら厄介だ。  調べてくればよかった。それよりフラワーショップの店員に聞けばよかった。  人に相談しないのは昔からの悪い癖だ。  あれこれ考えすぎて疲れ、花束の重みで腕も痛くなってきた。  すると、 「おー! ナイスチョイス!」  大きな声がロビーに響き、イトウちゃんがこちらへ歩いてきたのだった。キンクイのVIPルームにいた太田さんも一緒だ。打ち合わせがあり、先に事業局へ来ていたらしい。 「なんだ、上がってくればよかったのに」  自宅へ招いたような口ぶりのイトウちゃんは、テレビ局でも顔パスのようだ。  「広報堂でーす」と受付に挨拶するだけで、局内のありとあらゆる場所へ行ける……そうだ。 「この間、渡しそびれたね」    太田さんが名刺を差し出した。  背中ぱっくりのまゆみちゃんにデレデレしていた彼とは別人に見える。  しかしこのひと、私の状況を理解していないようだ。  気づいたイトウちゃんが、片手で花束をひょいと持ってくれた。 「ありがとうございます」  二人にお礼を言い、私は名刺を受け取った。  緊張しているわけではないが、腕がプルプルと震えていた。  通訳の女性が来るのを待って、駐車場へ向かった。  するとそこには、テレビ局の旗がついた社用車が停まっていた。白手袋をはめた運転手が立っている。 「かっちゃんと通訳さんは後ろに乗って」 「え? この車に?」  イトウちゃんは別会社の車なのに、勝手に指示を出す。  素直に従い、通訳の女性と後部席に乗り込むと、「ほい」と花束を膝の上に置かれた。  イトウちゃんは、立ち寄る場所があるそうで、別行動らしい。 「え? 成田には、来るんですよ……ね」  私一人では、あまりにも不安だ。 「あれあれかっちゃん、やっぱ、おれがいないと寂しいのかなぁー?」  後部席を覗き込み、ニヤリと笑うとドアを閉めてくれた。   そんなイトウちゃんに、 「じゃ、後でな。寄り道すんなよ」  太田さんが念を押し、助手席に乗る。   「出発します」    白手袋の運転手が軽く後ろを振り返り、社用車は静かに走り出した。  私は、自分が重役にでもなった気がした。  通訳の女性は書類を取り出し、仕事を始めた。  両手が塞がった私は、本を読むこともできない。その上、大きな花束を長時間同じ姿勢で抱えているのは肩がこる。  ぼんやり景色を眺めていると、サイドミラーの中、太田さんが寝落ちしているのが見えた。  成田空港に着くと、到着口で既にイトウちゃんが待っていた。  私はほっとしたが、体のあちこちが痛い。きっと花束というものは、長時間持つのに適していないのだ。単なるセレモニーの一要素で、持ち運びに便利なように仕上がってはいない。    ロスアンゼルスからの飛行機は、定刻通り到着しているようだ。  暫く待つと、大きなスーツケースを引いた人たちがぞろぞろ出てきた。  すると突然太田さんが駆け寄り、「ハーイ、フランク!」と呼びかけた。  イトウちゃんと通訳と私が後を追う。  写真より一回り大きい、いや、太っている男性が立ち止まり、こちらを見た。隣にいるのは夫人だろうか、中年女性を伴っていた。 「かっちゃん、行こっか」  イトウちゃんに背中を押され近づくと、花束越しに、二人が目を丸くするのが見えた。 「ウエルカムジャパン」  咄嗟に口をついた。フランクは「ワオ」と驚いた後、隣の女性と顔を見合わせ、「サンキュー」と花束を受け取ってくれた。  同伴したのは、やはり夫人のようだ。二人でりんどうを覗き込んで「ビューティフル」と何度も口にした。  通訳の女性が「日本の花でりんどうといいます」と説明してくれた。 「インドウ?」 「ノー、リンドウ」 「オーケー、リンドー サンキュー」  フランクが右手を差し出した。大きくてふくよかな手だった。  空港まで乗ってきた社用車には夫妻が乗り、太田さんと通訳の女性はタクシーで、彼らが泊まるホテルまで同行するという。 「乗っていきますか?」  太田さんに聞かれたが、イトウちゃんが私の肩口をポンと叩いた。 「乗ってく?」 「イトウさんに送ってもらいます」  マシンのキーをジャラジャラならして歩き出すイトウちゃん。 「おつかれさん」  私は睡眠術にかかったように、助手席で寝落ちしていた。

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