「千疋屋での打ち合わせは、どーでしたか?」 事務所に戻ると、ヤッシーが「おかえり」がわりの嫌味を放った。 ジュエリーショップのビデオ撮影の件で、代理店と頻繁に会っていると勘違いしたままのヤッシー。しかしもう限界だ。勝手に、それも単独で、行先がはっきりしない船に乗り続けることはできない。 「すみません、お二人にご報告とご相談が」 すると、ハッシーとヤッシーが同時に振り返り、 「なに? 結婚すんの?」 「相手だれ?」 と、同じ勘違いをした。 「残念ですけど、そんな予定はありません」 私はミーティングコーナーと称した小さなテーブルで二人に向き合い、今までの経緯を言える範囲で報告した。 しかし二人の反応は想定外だった。 「うそ、マイケルまた来るの?」「ドームかぁ、まだ行ったことないんだよな」 「いや、よく見てくださいよ。コマーシャル撮影の依頼ですよ。それも相手は――」 私の訴えに、ハッシーは企画書を手に取り、 「こんな紙ペラ一枚で信じろって言われてもねぇ。おちょくられてるか、利用されてるかのどっちかでしょ、ねぇ」 とヤッシーに同意を求めた。 広報堂は二人の古巣だが、リアンを立ち上げてから今までの二年間で、いかに都合よく利用されてきたかをあげつらった。社長ならではの苦労話だ。 「似たようなニオイがぷんぷんするな。でなきゃ、わざわざ回してくれないでしょう。というか、まさか勝野さん、イトウと付き合ってるとか?」 「違いますよ。営業活動の、成果です!」 妙な勘違いをされたくないので、きっぱり断言すると、二人は揃って苦笑した。 「まぁ、いいよ。大変そうだけど進めちゃって。ただし進捗状況はヤッシーに報告すること。手遅れにならないうちにね」 「手遅れって……」 ハッシーは出かける予定があるようで、早く話を切りあげたそうだ。 ニューヨーク本店で買い求めたというブルックスブラザーズのアタッシュケースを下げて、いそいそと事務所を出て行った。 二人は雰囲気が似ているが、性格は真逆だ。意外なことに、制作畑だったハッシーの方が活動的で、営業局にいたヤッシーは思慮深い。立場が二人をそうさせてしまったのだろうか。 「あとはヨロシク」と言わんばかり出て行った社長に反して、ヤッシーは腕を組んだまま考え込んでしまった。 「あの……、八嶋先輩はどう思います?」 「うーん、そうだな。ハッシーが言うように、なんか裏がありそうだけど、勝野さんが心配するような事ではないよ。リアンを絡めてきたのも大した理由はないと思う。イトウは一緒に仕事がしたいだけかも。その位余裕がある案件だろうし、要するに神輿は大勢で担いだ方がいいってことだよ。その方が楽しいし、それは誰でもいい。たまたまリアンが選ばれたってだけ。まぁやるしかないでしょ」 そう言うと自席に戻り、高速で電話機のプッシュボタンを押した。 私はなんだかよくわからなかったが、とりあえず機密事項を共有できて、ホッとしていていた。 それから数日が経ち、ようやくジュエリーショップで流すイメージビデオが納品できた。まだ夏なのにクリスマス商戦に向けた映像素材だ。秋には首都圏の店頭で流れる予定になっている。 宝石業界だけでなく、どの企業も、広告や宣伝費に天井がない……ように思えた。 しかし、ちっともイメージがわかないのは、例の件。 フランクのコマーシャル撮影の制作進行を仰せつかったはずなのに、まだなんの連絡もないまま、凪の海に漂っている。 一方、興味ない素振りを見せていたハッシーが、色気を出し始めた。 マイケル・ジャクソンの東京ドーム公演のチケットを融通するよう頼んできたのだ。 お門違いの相談だ。そもそも私にそんな力はない。 「いや、こういうのは早めに言っとかないと、イトウも方々から頼まれるだろうし」 「社長が頼んだ方がいいんじゃないですか?」 私はそう言い放ち、仕事に集中する振りをした。 「そうはいっても、なかなかね……」 イトウちゃんに言わせると、ハッシーたちは「ケツをまくって辞めた連中」だ。古巣に頭は下げられないのだろう。それも「コンサートのチケットを融通してください」なんてお願いは、プライドが許さないのかもしれない。 もしかして、この先ハッシーだけじゃなく、どこかで情報を嗅ぎつけた人たちが押し寄せてきて、チケットセンターのような業務も担わなければならないのだろうか。 二枚が四枚になり、四枚が八枚になる。枚数だけじゃない。彼らは席にも条件をつけるだろう。アリーナ席は当然で、それもできるだけ前寄りの中央が望ましいなんて――。 そんな起こりもしないような想像を打ち消すように。デスクの電話が鳴った。 「はい、リアンです」 『かっちゃんオツカレー。明日クライアントで絵コンテの打ち合わせすっから、本郷集合ね』 「ほんごーしゅーごー?」 驚きと嬉しさで声がうわずり、 『つまんねー』とバカにされた。 どうやらマネージャーの来日が決まり、コマーシャル撮りの日程が決まったという。 クライアントである東京信販へ出向き、絵コンテを確認してから撮影に入る段取りらしいが、水面下ではすでに撮影場所も抑えていて、スタッフのスケジュールも確保済みだと話す。 打ち合わせは形だけだ。 本来なら制作進行であるリアンがやるべき仕事が、すべて事後報告だ。私は何をすればいいのだろう。ただ神輿を担いでいればいいだけなのだろうか。いや、そんな力もない。 しかしいくらイトウちゃんでも、外国人相手に仕事をするのは初めてのようで、多少の戸惑いが見て取れた。そんなこと、彼は口が裂けても言わないだろうけど……。 『とにかくさ、ヤツの周りには砦が何枚もあっから、調整に時間がかかるってこと』 「とりで?」 要塞のような場所にいるマネージャーの姿を想像したが、そういうことではないらしい。 駆け引きや腹の探り合いが、通訳を介して重ねられ、一枚一枚扉を開けていくような交渉だと教えてくれた。 『まぁ、そんくらい、デカイ案件つーこと』 元役者のおじさんでコマ―シャルを撮るだけなのに、こんなことで、本丸にたどり着けるのだろうか……。 私は余計な心配をしていた。
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