三度目の誘いは、一週間後のことだった。 もはやただの食事会。イトウちゃんの自慢話を聞くことに始終しそうな予感だ。 彼はツアーコンダクターのように、自分のテリトリーに私を案内したいだけなのかもしれない。 台湾料理屋の後の隠れ家的なバーだって、しきりにバーテンと盛り上がっていたし、あえて私を誘う意味がわからなかった。 口説くわけでも口説かれそうな雰囲気になるわけでもない。 警戒心など、とうに薄れていた。 * 『かっちゃん、寿司食いにいこう』 ベタな誘い文句で連れていかれたのは茅場町。 イトウちゃんは上機嫌で、「ビール一本、それとつまみで適当にね」と注文し、運ばれてきた瓶ビールをこなれた手つきで注ぎ分けた。 「おれ、酒は弱いからさ、酒は。有名だろ? だからどんどん食うからさ。かっちゃんもどんどん飲んでよ。なーんて、とりあえず、オツカレ!」 私はなんに疲れているのかわからないままグラスを重ね、イトウちゃんと乾杯した。 いつにも増してイトウちゃんの口は滑らかだ。 いつも以上によくしゃべる。 私は面食らっていた。 「でさ、おれなんて大阪出張が多いだろ? あれ、知らなかったっけ、おれのクライアント、大阪本社なのよ。それでプレゼンなんかで大阪行くだろ? もー関西人のレベル低くてさ、ストレスたまるわけよ。そこでだ! 出張中唯一のお楽しみタイムに突入するってわけだ!」 興奮してくると、なぜか桂朝丸口調になってしまうイトウちゃん。 のけ反ってしまうくらいハイテンションだ。 私は洗い水の少し残った醤油皿に醤油を差しながら、一応訊き返してみた。 「お楽しみ、タイム?」 「そーよ。このおれがただで大阪なんか行くわけないだろ?」 水っぽい中トロを水っぽい醤油に浸しながら堂々と威張るイトウちゃんは、刺身にワサビをつけないで食べるコドモだった。 「まぁ、会社の金で行くからただだけどね、なーんて」 そして一人でボケて一人でツッコむ。 いつもと違うイトウちゃんに、再びのけ反ってしまう私。 知らず知らずのうちに、彼のキライな関西人の細胞が繁殖し始めているのかも知れない。 「まっ、それはおいといて。ん? この中トロサイコー! やっぱ江戸前はまぐろでしょー。かっちゃんもそんなびんぼーくさい魚ばっか食わないで、コレいって」 ガリを食べていた私の醤油皿に中トロを入れるイトウちゃん。 ムラサキに魚の脂が流れ出した。 「かっちゃん、今日は教えてあげるよ」 「なにを? ですか」 「あっ、そーゆー敬語的なのナシで。かっちゃんとおれの間にメコン川が流れてるみたいだからさ」 私は油でギトギトの川から魚を救いだすようにして、急いで中トロを食べた。 「おれはね、大阪に行くときは、かっならず最終便を選ぶ。ん? なんでかって? それはさ、最終便つーのは、かっならずあいつらが向こうでステイするからなんだよな」 「あいつら?」 「まっ、おれの場合アナデスが多いけど」 「アナデス……?」 「そっ、ANAのすっちゅわーです!」 イトウちゃんは私の驚いた顔を満足げに見ながら、 「おれけっこー有名よ。100期くらいかな一番お知り合いがいるの……。松木だろ、あすみだろ、さおりに由実、吉岡も100期だったよなー、たしか」 寿司ネタが英語で説明してあるポスターを見ながら指折りはじめたが、けっこー有名な割には馴れ馴れしげな名前が詰まって出てこなかった。 私は白い泡のすっかり引いたドライビールを口に含み、最後のイカに箸をのばした。 「あっ、おっもいだした思い出した。和美だよ和美。こいつがへんな女でさー。やったらギョーカイの男が好きなんだよなー。もぉーおれなんか3局の樫田と6局の後藤と兄弟よ。大笑いだろ?」 イカにつけた練わさびがツーンときいて、私が本当に大笑いしているように見えたかもしれない。 イトウちゃんはすっかり上機嫌で、アナデスの中でけっこー有名になる秘訣を教えてくれた。 「まっ、おれがANAを選ぶ訳っつーのは、出発の時間がベストな事と、もうひとつ。若いすっちゅわーですが多いんだなー。ジャルデスよりも」 私はもう聞き返さなかった。 ジャルデスとは、JALに乗務しているスチュワーデスのことだ。 「ジャルデスはカタイからなー。だからけっこーババアが多いんだよ。わかる?」 どんな統計に基づいているのか定かではないが、イトウちゃんは無責任にそう断言し、うんうんと一人で納得した。
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