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『かっちゃんお待たせ』  二週間後、予告通りイトウちゃんから電話が入った。 『台湾料理食いにいこう』  隣席のヤッシーが、ニヤニヤしながら聞き耳を立てている。  今日こそはっきり断ろうと思っていると、 『おれ、明日は予定入ってるから、あさってかな』  勝手に会う約束をさせられ、慌てて手帳を開いた。 「営業営業」  ヤッシーが無責任にささやいた。  しかしこれは営業ではないしデートでもない。  相手は私に興味や好意があるように見えなかったし、ましてや私を接待するメリットもない。きっとスケジュールの穴埋めだ。  相手がそのつもりなら、余計な心配や期待をしなくて済む。    手帳のカレンダーを見ると、あさっての夜は白紙だった。  断る理由を探すのも面倒だ。 「わかりました」  いざとなればドタキャンすればいい。  私は金曜日に(台)と記し電話を切った。  改めて手帳を見ると、なんだか台風の予報みたいでおかしくなった。 「嬉しそうじゃん。勝野さん」 「だから、そういうのじゃありませんって」  そういうのではないけれど、私にとってイトウちゃんの存在は、ある意味台風だ。  遠くの海で発生した熱帯低気圧が、進路を変えて近づいてくる。     備えは大事だが、過度な期待をせず、フツーの中華料理屋を想像しておくことにした。  韓国宮廷料理の件もあることだし――。  約束の日、連れていかれたのは西新宿。  台湾料理と看板があるが、見かけは町の中華屋みたいだ。  反応が薄いと感じたのか、イトウちゃんは、「こういう店がうまいんだよ」とツウぶった。 「二階空いてる?」  いきなり階段をスタスタ上がり、メニューを開くイトウちゃん。 「勝手に注文すっけどいい? いたいのあったら頼んで」  メニューを手渡されたが、漢字だらけのラインナップに「おまかせします」とページを閉じた。  次々と(かなり乱暴に)料理が運ばれてくる。狭い店内には客がひしめき、互いの声も聞こえないほどだ。あまり顔に出ないタイプだが、不機嫌そうに見えたのかも知れない。  思うように話が弾まず黙々と食べた。けれど生活感丸出しの店の中で食事をするような間柄ではない。  私は余計に居心地が悪くなった。  そんな空気を察したのか、 「台湾の雰囲気を味わったところで、次、行こっか」  イトウちゃんは一度水につかったような伝票をつかんで立ち上がった。 「ボトルが入ってる店があるからさ。魚見せてあげるよ」  ボトルと……魚?  疑問がわいたが、食いつくと興味を持ったことになる。  予期せぬ展開に困惑したが、イトウちゃんは構わずタクシーに手をあげ、私を先に乗せた。 「青山まで」  その行先に、もしやキング&クイーンでは? と嫌な予感がした。  強引に連れていかれるのだろうか。そんなに連れて行きたいのだろうか。  台湾料理と聞いてきたからラフな格好でやってきたのに……。  しかしタクシーが止まったのは、青山の裏通り。逆に警戒心のレベルが上がった。 「ギョーカイ人がめったに来ない隠れ家的な店だかんね」  イトウちゃんはそう前置きして、小さな看板しか出ていない店に近づくと、壁面と同化したような扉を開けた。  薄暗い店内には静かな音楽が流れている。ここはどうやらバーのようだ。  カウンターの奥にはライトアップされた大きな水槽があり、熱帯魚らしきカラフルな魚が泳いでいる。  魚とボトルの謎が、半分解けた。  奥行きのあるカウンターには、脚の長いスツールが六脚。他にテーブル席が三つあった。  隠れ家的な場所の割には、テーブルがすでにカップルで埋まっている。  カウンターに案内されスツールに腰掛けると厚手のおしぼりを差し出された。手に取ると、ほんのりジャスミンの香りがした。 「まだあるっしょ? なかったら入れるけど」 「ございますよ」  イトウちゃんと合言葉のようなやり取りをしたバーテンが、琥珀色の液体が入ったボトルをカウンターの上に置いた。  ラベルのない、凝った造りの酒瓶だ。  まるで中世ヨーロッパの貴族が使っていたような酒器だ。なんらかの酒を店専用のボトルに移し替えているのだろう。  魚とボトルの謎は解けたが、新たな謎がわいてきた。  振り返ると、三つのテーブルの上には、皆同じボトルが立っていた。 「かっちゃん、なに飲む?」  なに? と聞かれても他の選択肢はなさそうだ。  ボトルに入った酒の正体は謎だが、「同じもので」とあきらめるしかない。  しかし答える間もなく、アイスペールと小瓶が運ばれてきた。  イトウちゃんは複雑なカットが施されたグラスに丸い氷を二つ入れ、ボトルキープしてあるウイスキーらしき液体をちょっとだけ垂らした。。 「これで割るとうまいんだよ。かっちゃんもやってみる?」  イトウちゃんが掴んだ小瓶は、よく見るとキリンレモン。  頷いた私の前を、シマ模様の熱帯魚が悠然と通り過ぎた。

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