「今日は飲むから、東京無線で来た」 イトウちゃんはマシンではなく、タクシーで日本橋までやって来た。 体格で誤解されるらしいが、お酒に弱いイトウちゃん。 お猪口一杯で顔が真っ赤になるというくせに、飲むからタクシーでやって来たとは辻褄が合わない。 久しぶりに会えた照れくささで、ちょっとだけぎこちない再会となった。 前回イトウチャンの誘いを断ったことで、彼のプライド(?)を傷付けてしまったのかも、などと余計な心配をしていた私。 ごめんなさいとも違う。 そんなつもりじゃないのよ、なんてお門違い。 これきり会わない方がいい、とは絶対思わない。 できることならこのままの距離感で、時々エネルギーをチャージするように、会って話を聞きたいと、願う。 都合が良すぎるだろうか……。 日本橋にある老舗のおでん屋は、暖簾や引き戸、壁やカウンターにいたるまで、醤油がしみついているような味わい(?)があった。 程よい冷房とおでんの湯気。遅い時間だからなのか、それとも季節のせいか、店内は空いていた。 「おやじ! 二名だけど」 先客が一組だけいるカウンターの端に案内され、座るなり、「てきとーにみつくろって」とオーダーした。 「かっちゃんぬる燗にしとく?」 最初はビールを飲みたかったが、おでんにはぬる燗らしいので従った。 イスの脚がカタカタしていて落ち着かない。おまけに間隔が狭くて肩がくっつきそうだ。 肩幅が広いイトウちゃんは、右肩を壁に預けポジションを取っていた。 適当にみつくろわれた、というか、「本日のおすすめ」のおでん種が盛られた皿がカウンターに置かれた。 まっ茶色な大根、ちくわ、こんにゃく、玉子、そして店の名物らしい豆腐だ。皿の口縁に辛子がなでつけてある。 二合徳利とお猪口が二つカウンターに置かれたので、私は条件反射で酒を注ぎ分けた。 「いいいい。かっちゃん手酌でやっちゃって」 イトウちゃんはウーロン茶を追加注文したあと、「おつかれー」とお猪口を持ち上げた。 茶色いおでんは、見た目で想像していた味より数十倍おいしかった。 夏なのにおでん? と訝っていたが、冷たいものばかり食べ過ぎた夏に、おでんは優しい。 汗をかいて塩分を欲している身体に、茶色いおでんがしみる。そして、ぬる燗がしみる。 私は夢中で食べた。 西日本出身の私だけど、この店のおでんは口に合った。 ハタと気づけば、イトウちゃんがこちらを見て笑っていた。 「かっちゃん、おれが誘うまで断食してた?」 ぬる燗のせいかもしれない。顔が火照る。 「ごめん。すごくおいしいから」 「なんで謝んの?」 イトウちゃんは嬉しそうな顔で、大根を頬張った。 急に気恥ずかしくなった私。ぬる燗をぐいとあおり、その横顔に問いかけた。 「それより、あの話は?」 「そおだなー」ともぐもぐしながらもったいぶる。 「もうじき情報解禁だけど、かっちゃんにだけ教えてあげよっか」 そのつもりで誘ったんでしょ……? 私はさりげなく周囲を見回した。 これから話す内容は、おでん屋のカウンターで、誰かが小耳にはさんでも別にどうってことはないレベルの情報なのだろうか。 「八嶋先輩にしつこく聞かれたよ。マイケルがどうしたの、って」 「ヤッシー相変わらず軽りぃ男だな」 「盗聴器並みにひとの電話を聞いてるみたいで――」 「カマかけられてんだよ。ちょーしいいオトコだからさ」 どっちもどっちでしょ、と言いそうになった。 ヤッシーは、かつてイトウちゃんが勤務する大手広告代理店広報堂の社員だった。部署は違うが同じく営業局だ。 広報堂は営業局が十四もあり、それぞれに五つほどの部がある。大口の取引先は部全体で抱えているが、クライアントによっては一人の営業が担当する場合もあるそうだ。 イトウちゃんとヤッシーは、「顔は知ってるけど直接話したことはない」レベルの知り合いらしい。 二年前、ヤッシーは同じく広報堂の制作局にいた橋田さん(ハッシー)と同時期に退職し、池尻大橋で制作会社「リアン」を立ち上げた。名義上代表はハッシーで、ヤッシーは役員だ。 私は前にいた職場の人からの紹介で、リアンを手伝うことになった。ワープロが打てる人を探している、という条件に当てはまったのだ。 リアンの業務は映像部門とイベント部門に分かれていて、企業のプロモーション映像の制作やイベントの制作進行が主な業務だ。 社員が十人にも満たない制作会社だけど、主に広報堂からの依頼で、仕事は途切れることがなかった。業績も右肩上がりだ。 するとハッシーは渋谷区に引っ越し、社用車だと主張する車がグレードアップした。 夜な夜なモデル(のような)女の子と遊び歩き、経理担当の渋川さんが渋い顔で領収書を処理するようになった。 私はワープロで書類を作るだけでいいと言われていたが、今では撮影現場にも駆り出される毎日だ。 「欲に目がくらんで辞めてくヤツはバァなんだよ」 イトウちゃんは広報堂を辞めて独立した輩を口汚くなじる。 「あいつら、デカイ仕事が自分の手柄みたいに勘違いするだろ? それでバァだからケツまくんのよ。独立して最初の一年はご祝儀で仕事まわしてもらえっけど、そのあとはみんなクツ舐めてるよ」 この世の春を謳歌している二人は、いずれクツを舐めるような事態に陥るのだろうか。私には想像できなかった。 「大船乗っときゃいいんだよ。豪華客船に乗ったら映画は観れるしプールもあるし、夜な夜な踊ってギャンブルもできるし、うまいもん食って目的地まで連れてってもらえんだからさ」 どっちもどっちだ。 それより早くジャイケルの話が聞きたい。 特段ファンではないが、悪口や自慢話を聞くより楽しそうだ。 加えて、もう少しおでんが食べたい。 「あのぉ、てんぷらください」 勇気を出してオーダーすると、カウンターの中で、おやじがきょとんとした。 「てんぷら? あぁ、さつまあげのことね」 「かっちゃん、センスいいな」 なぜかイトウちゃんに褒められた。 センスというより、出身地の問題だけど。
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