フランクの滞在期間は五日間だ。 来日した翌日は、コマーシャル撮影の打ち合わせを行い、夜は接待を兼ねた食事会となった。場所は乃木坂の高級鉄板焼き店だ。 現場で、たまに焼肉弁当が振る舞われただけで驚いていたのに、これは、高速エレベーターで一気に展望台へ上る気分だ。耳がキーンとする。 フランクは夫人を伴い、タクシーでやって来た。 入り口で出迎えたが、私を覚えてくれていたようで、「素敵なお花をありがとう」と、多分それに近いことを言われた。とにかく、感謝の言葉だと理解した。 もっと英語を勉強しておけばよかったと、後悔しても、もう遅い。 鉄板をぐるりと囲む半円形のカウンターには、フランク夫妻と通訳の女性、東京信販の担当者、いしやまおさむ監督とイトウちゃん。そして日本テレビからは太田さんと、彼の上司である白川局長が顔をそろえた。 白川局長は、昨年、1987年のマイケル・ジャクソンを日本に招聘し、ジャパンツアーを成功裏に導いた立役者らしく、フランクとは気心が知れた仲のようだ。席に着くなり、片言英語で親しげに話しかけていた。 私は挨拶するタイミングを逃してしまった。しかし局長は、私など眼中にないようで目も合わない。イトウちゃんも今日は勝手が違うみたいで、「広告代理店は男芸者だな」と、私にしか聞こえないように言い捨て、それでもせっせとお酒を勧めたり、話題を振ったりと、気遣いをみせていた。 食事はコース料理だった。前菜の皿には黒々としたキャビアが乗っかっている。 白川局長はよく通る声で、つい最近行ったキャビアバーでのエピソードを披露した。 「お通しで山盛りのキャビアが出るんですよ。いやー驚いたな。でもキャビアはそんなに食べられないですね。こんくらいでじゅうぶんだ」 通訳が「お通し」の訳に悩みながら、フランク夫妻に伝えた。 私はこんくらいのキャビアを食べるのも初めての事だったが、こんくらいでじゅうぶんだという白川局長の主張は理解できた。 鉄板の上では、伊勢海老と鮑がソテーされている。箸の持ち方に苦戦しながらも、フランクは満足そうだ。白ワインは、あまり口に合わなかったようだ。気づいたイトウちゃんが、ビールのおかわりを頼んであげていた。 すると今度は、白川局長が、一本一万円もするビールの話を始めた。 有楽町のデパートに、高価な酒ばかりを揃えたリカーショップがあるというのだ。 東京信販の担当者は興味を持ったようだ。 「やっぱり、土地柄ですね。銀座のお姉さま方が買うんでしょうか」 「いやいや、これが、普通の若いお嬢さんが買うんですよ」 「ということは、白川さんも若いお嬢さんにプレゼントされたんですか? いいですねー」 「良くはないでしょう。一万円のビールをもらったら、十万円のプレゼントを寄こせって言われてるようなもんでしょ」 「そうなんですか」 「そりゃそうでしょ」 通訳の女性が真面目に訳し、フランク夫妻が苦笑いしていた。 話が途切れたタイミングを見計らって、シェフが大きな皿に並べられたステーキ肉を披露する。 「ほー」とか「へー」とか驚きの声が上がった。 「特選松阪牛です。皆さまに焼き加減をお伺いしますので」 通訳が、松坂牛の説明をはじめた。 ベストランクとか、マツサカビーフとか、断片的な単語が聞き取れた。 それにしても、私が特選松坂肉など食べていいのだろうか。 罪悪感のようなものを感じたが、シェフは客の立場に関わらず、平等に焼き加減を聞いてくれた。 「ミディアムレアで」 みんなを真似て、小声で伝えた。 焼けた鉄板の上に、そろりとマツサカビーフが置かれると、ジュッと上品に、上質な脂がはねた。鉄板もわかっているのだろう。自分の上に乗せられた肉が、特選松阪牛だという事実を。 ひと口大に切られ、目の前の皿に乗せてくれた特選松坂牛は、当然だけど、至極おいしかった。おいしいものを食べると、自然に笑ってしまうのがわかる。半円ぐるりとみんな笑っていた。たまに振る舞われる焼肉店のロケ弁が、最高だと思っていた自分が情けない。 フランクも上機嫌だった。やっぱり肉と、ビールが大好物なのだ。 食後のデザートとコーヒーは、別室でいただくスタイルだった。しかし私はその部屋には行かず、手土産の準備やタクシーの手配をした。 自分の役割があるのは良い事だ。動いていると落ち着いた。 フランク夫妻は早くホテルに帰りたいようで、コーヒーを一口飲んだだけで席を立った。 慌てて手土産を渡し、タクシーに乗り込む夫妻を全員で見送る。 「また明日お願いします」 「お疲れさまでした」 訳す人はもういない。 これから二次会に行くと言われたが、明日の撮影を口実に断った。 それより、白川局長に挨拶をしなければ……。 私は近づき、名刺を出した 「申し遅れました。リアンの勝野あき子です。フランクのコマーシャルの制作進行を担当させていただくことになりました」 「あ、そう。リアン、ねぇ……」 名刺に目を細め、首をかしげる。知らなくて当然だ。 「まぁ、若いからなんでも経験だ。困ったことがあったら何でも言って」 「ありがとうございます」 私は頭を下げて、白川局長と東京信販の担当者が乗ったタクシーを見送った。 続いて、もう一台の予約車がやって来て、ドアが開いた。 「勝野さんは行かないの?」 太田さんが気遣ってくれたが、迷わず「はい」と頷いた。 白川局長の話をもう少し聞いてみたかったが、今日の出来事が消化しきれない。 「帰るんならお土産ね」 イトウちゃんから焼き菓子の入った手提げ袋を渡された。手土産用で余分に用意していたものだ。 「じゃあ、遠慮なく頂戴します」 素直に受け取り、二人が乗ったタクシーを見送った。 花屋の地図を書いてくれたヤッシーへのお土産にしよう。 地下鉄千代田線の乃木坂駅まで、初秋の夜風に吹かれながら歩いた。 終電までに帰り着くことができた。
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