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 タクシーが停まったのは、どこにでもあるような建物の前だった。  クリスタルビルという割には平凡な外観で、イメージとは大きく違っていた。  着飾った女性たちが次々とやって来る。どうやら店は地下にあるらしく、イトウちゃんは階段をスタスタ下りていった。  入り口に、『king&Queen』と記された金色の看板があった。行列に並びながら店の中に足を踏み入れると、さして広くない円形のロビーには着飾った男女が溢れ、入店のための儀式を受けていた。  黒服による服装チェックだ。  キングアンドクイーンは、他のディスコより厳しめのドレスコードがあるらしい。加えて二十歳以上じゃないと入店できない決まりで、童顔の男の子たちは、身分証明書を提示させられていた。  私は不安になった。  年齢は大きくクリアしているが、足を見せてない女性など一人もいないからだ。  そもそもおでん屋帰りの女が立ち寄る場所じゃない。  挙動不審に陥っていると、イトウちゃんが集団の向こうから手招きした。 「かっちゃん、こっちこっち」  慌てて駆け寄ると、イトウちゃんの隣にいたスーツ姿の男が私を見て笑顔を作った。  人を見かけで判断しない。いや、判断しても表情に出さない、そんな特殊な訓練を受けている男に見えた。高級(そうな)スーツを着て、ピカピカに磨いた靴を履いていた。 「来てる?」 「はい、おみえです。――いらっしゃいませ」  男はおでん屋帰りの女にも礼を尽くしてくれた。  フロアに入るなり、私は目を見開いた。テレビで見たことがある光景だ。  しかし実際目の当たりにすると、一瞬で別世界へ紛れ込んだ感覚になる。  そこはまるで異国の宮殿。ソファや調度品は黄金色に輝き、ダンスフロアでは、着飾った男女がひしめきあいながら踊っている。  あらゆる色が混じり合い、誰もが酒と音楽と、雰囲気に酔っていた。  イトウちゃんはそんな状態には目もくれず、フロアの奥へと進む。私は無秩序にうごめく酔客を除けながら、大きな背中に付いて行った。慌ててつまづき、ソファに陣取った女性から笑われた。  突然けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。遅れて爆音も響く。  驚いて振り返ると、フロアには赤や緑の光が激しく点滅し始めた。それが合図なのか、方々から奇声が上がる。フラッシュライトを浴びながら、恍惚とした顔も点滅を繰り返していた。  店の奥には、いわゆるVIPルームがあった。イトウちゃんはここでも顔パスだ。  入口に立つ蝋人形のような男が、「こんばんは」と挨拶してくれる。  恭しく開けられたドアから中へ入ると、そこは別世界の中の別世界。  壁や天井には鏡が張りめぐらされていて、部屋の広さや奥行きがわからない仕掛け(?)になっている。私は方向感覚を失い、万華鏡の中に閉じ込められた気になった。   奥まった席から、派手なポロシャツを着た男がイトウちゃんを呼んだ。  隣にきれいな女性が、形の良い足を組んで座っている。男はすこぶる上機嫌だ。  私はイトウちゃんに連れられ、万華鏡の奥へと進んだ。 「ヤツは日テレの太田。今度、例のあれ、一緒にやるから。この子、かっちゃんね」  簡単すぎる紹介をされ、慌てて名刺を出そうとすると、 「新しい彼女?」  太田さんは冗談のように聞いてきた。 「そんなもん」とテキトーに応えるイトウちゃん。 「そんなもん」にされた私は、「違いますよ」と苦笑しながら名刺をコースターの横に置いた。 「勝野です。よろしくおねがいします」 「まぁ、立ち話もなんだから座ってよ」  自宅のリビングに招いたような言い方をする太田さんがおかしかったが、蝋人形を倣って、顔には出さないよう堪え、私は彼らの対面に座った。  ソファの感触はなめらかで、腰が深く沈んだ。鏡には女性の後姿が映っている。  ワンピースの背中が腰までぱっくり開いていて、目のやり場に困った。女性は長い髪を片方の肩に集め、わざと背中を見せているようだった。  太田さんがセカンドバッグの中に手を入れ、何かを探しだした。 「ごめん。今日休みだったから名刺持ってないや」 「すみません、お休みの時に――」  私の名刺を雑にしまった太田さんは、背中ぱっくりの女性を抱き寄せた。 「この娘はまゆみちゃん。モデル、やってるのかな?」    こくりと頷いたまゆみちゃんは、細い指に挟んだタバコに口をすぼめ、ふうと紫煙を吹き出した。  見たことがないモデルだった。 「お近づきのしるしに一杯飲もうよ」  ハイテンションな太田さんが目配せを送ると、用意していたような素早さで、細長いグラスに入ったスパークリングワインが運ばれてきた。  まゆみちゃんは火が点いたままの煙草をクリスタルの灰皿の上に置き、赤くとがった爪でけだるそうにグラスをつまんだ。  太田さんとイトウちゃんは、同じ大学のラグビー部だったらしく、共通の話題で盛り上がっていた。  それを黙って聞くまゆみちゃんと、適宜相槌を打つ私。  テーブルの上には、注文もしていないのに、おつまみやフルーツが運ばれてくる。  VIPルームに入ってくる人たちが、みんな太田さんやまゆみちゃんに見えてきた。  万華鏡の中で、太田さんとまゆみちゃんが増殖していく。  なんだか疲れてきた。やっぱり目がやられる。  それに、太田さんの自慢話は、イトウちゃんのそれとは少し違って、退屈だ。  せめて仕事の話でもしてくれれば、共通点も見いだせるのに――。  けれどこんな社交場(?)で、仕事の話はナンセンスだ。  選ばれた人だけが入ることを許された黄金の館で、一見何の役にも立たないような会話と時間を重ねながら人脈を作り、いずれはビジネスにつながっていくのかもしれない。まるで豪華客船に乗り合わせた過客のように――。  いやいや、どうして私がそこまで「営業」に心を砕かなければならないのだろう……。  この部屋のせいだ。頭が混乱してきた。 「ちょっと失礼します」  トイレに立つと、すかさず蝋人形が場所を教えてくれた。  VIPともなると、用足しもVIP扱いだ。  化粧室には、まゆみちゃんによく似た女性がいた。  鏡越しに目が合い、軽く会釈すると、愛想笑いを返してくれた。  まだあどけない笑顔だ。きっと精いっぱい背伸びをしているに違いない。転びそうなピンヒールを履いて、立ち姿が危なっかしい。  彼女は鏡を覗き込み、まだ十分赤い唇に、真っ赤な口紅を引き直していた。  周囲を見れば、着飾った女性たちは皆、化粧直しをしている。その表情は真剣そのものだ。  なんだか「戦い」を挑むみたいだ。誰もかれもが戦士に見える。  遠くでまた、爆音が鳴った。  どこもかしこも戦場だ。

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