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 現場で何度も目が合った。  東京信販のイメージキャラクター、ピエロの人形とだ。  なにぶん急に決まった撮影のため、新たな人形制作の依頼はできなかったという。  それに、そもそも、人形作家とコラボした当初のCMコンセプトとかけ離れている。  幸せそうな四人家族。小さな男の子は、彼にだけ見えるのか、ピエロに心の中で話しかける。『今日、僕ねー』  消費を煽り、金利をむさぼる金融業界。お金を貸してなんぼの世界に、子どもにしか見えない(という設定か否かは不明)ピエロと、フランス語の歌詞のこじゃれた音楽……。多くを語らない、いやほとんど語りなどないイメージ広告だ。  しかし新しい(といってもひと月限定)コマーシャルの主役は、うらぶれたマフィア風の男。ピエロの意味合いも、大きく違ってくるだろう。  人形作家はごねたらしい。   けれどイトウちゃんといしやま監督が、手土産持参で代々木上原のアトリエへ出向き、ようやくイメージに合うピエロ人形を貸し出してもらえたと胸をなでおろす。  技術スタッフが準備をしている間、後日譚で盛り上がるイトウちゃんといしやま監督。昨夜とは打って変わって口も滑らかだ。 「いやー、作家が首を縦に振らないもんだから、どーしようかと思ってさー」 「そりゃそうでしょ。芸術家だからね」 「でも、監督のひと言が決め手になりましたよ」 「またぁー、それ蒸し返すの?」  いしやま監督が頭をかいた。イトウちゃんは構わず監督の口調をまねる。 「この男は、故郷に帰ってようやく自分がピエロだった愚かな日々に気づくんです」  石山組のスタッフ達が爆笑した。  けれどそのひと言が決め手となって、作家がコンテに合うピエロ人形を選んでくれたらしい。  私はショーウインドウの中のピエロを振り返った。  照明スタッフが微調整しながら、カメラテストを繰り返している。  それにしても大勢のスタッフだ。  ジュエリーショップのイメージビデオ撮影とは大違い。これがテレビコマーシャル撮影現場のボリュームなのだろうか、ため息が出る。 「それじゃー、呼び込みしてもらえる?」  石山組の助監督が、さらに若手の助手に命じた。  時計店の奥へ走る助監督助手。フランクはずいぶん前に現場入りしていて、スタンバイ中だ。控室として借りている部屋で衣装に着替え、ヘアメイクを済ませている。 「フランクさん入りまーす」  助手に先導され、フランクが現れた。パナマ帽をかぶり、上質そうなロングコートを羽織っている。  「ヨロシク、オネガイシマス」  覚えたての日本語を口にして、にこやかだ。 「とてもよくお似合いです」  監督の言葉を通訳が訳した。 「サンキュー」  周囲を見回し、おそらくスタッフの多さに驚いているのだろう。目を丸くして「オウ」と小さく感嘆した。  撮影は三カット。商店街を歩くフランクのフルショットと、ショーウインドウのピエロを見つけ立ち止まるカット、そしてそれを覗き込むバストショットだ。  その場でナレーション録りも行った。  私は邪魔にならない場所で、その様子を見ていた。 「お疲れ様でしたー」  いしやま監督の声が、静かな夜の商店街に響いた。  フランクが絡むシーンを撮り終えるのに、二時間もかからなかった。  スタッフが拍手でフランクを讃える。 「サンキュー、サンキュー。ドモアリガト」  私は歩み寄り、「お疲れさまでした」と声を掛けた。  彼は一瞬立ち止まり、自分が被っていたパナマ帽を取り、私の頭にちょんと乗せた。 「サンキュー、ドモアリガト」 「あ……」  言葉を失う私を見て、ニヤリと笑う。まるで役の続きみたいに――。  多分、二度と会うことはないのだろう。  私は少し寂しくなった。    撮影スタッフは照明やアングルを変え、商店街やピエロを撮影するという。  人手のない撮影現場なら荷物移動くらいの手伝いはできるけれど、石山組はチームプレイだ。出番はない。  私はフランクが被せたパナマ帽を取った。後で衣装さんに渡そうと思ったその時、 「かっちゃん、撤収までいる?」  イトウちゃんの声がして、慌てて振り返った。   「あ、お疲れさま。もちろんです、いちおー制作進行ですから」 「真面目だなー」  頭の中には、午前中、ヤッシーから聞いた裏話の余韻が残る。  私には関係ない事だと切り捨てたいけど、不明瞭な請求書の片棒を担ぐわけにはいかない。  いや、もうしっかり担がされているのなら、納得のいく説明が欲しい。  フランクを利用して、何をしようとしているの?  しかしそれを知った所で、何かが変わるわけではない。  いくら不明瞭などんぶり勘定でも、指示通り広報堂に請求し、納得感のない出演料その他を、フランクの代理人に支払えばいい。そして、見えない「貸し」を作っておけばいい。  駆け引きやからくりなどは、本来、表には出てこないものなのだから――。 「――、かっちゃん、聞いてる?」 「は? え?」 「だから、まだ時間かかっから、夜食食っとく?」  時間は二十二時を回っていた。  そういえば朝からあまり食べていなくて、私は空腹を感じていた。 「奥にまい泉のカツサンドがあっから、食う?」  外にいてもやることがないので、イトウちゃんに従った。  少し座りたかったし、温かいコーヒーでも飲みたい。  そして落ち着いたところで、何か一つでも、駆け引きやからくりを聞いて帰ろう。  私は、そう決意し、古い時計店の奥へ入った。    

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