僕は重たい扉を押した
2018年8月10日

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  2018年8月10日  僕は重たい扉を押した。腰に重心を置き、全体重を掛け、左肩からもたれかかるような格好で扉を押した。2、3秒の間があって、扉はきしんだ音を立てて蟻の歩み寄りももっとゆっくりと、だけど僕が体重をかけ続けていく限り、確実に開いていった。いつでもそうだ、この扉はひどく重たい。油を差せよと思うが、そんな話が通じる連中でもない。  「こんにちは」ねずみ色の金属製の業務机に両手を置き、回転椅子に座ってじっと動かない男は言った。  Cのやつだった。  保管室には3人の常勤がいて、目深く制帽をかぶっていつでも顔に影を落としているずんぐりむっくりな3人目のこの男を僕は心の中でCと呼んでいた。AとBとCがいて、最後に遭遇したのがこいつだからこいつはCだ。とはいえAもBもCも驚くほど似ている。見分けは確かにつくのだが、どうにも全員同じ人間のように思えて仕方が無い。  こいつらの共通点は全員に個人性というものが全くないところだ。全員が目深く制帽をかぶっているずんぐりむっくりの男だが、それ以外に特徴を表す言葉を僕は持たない。目立って特徴を表す何かが欠落しているとも、やつらについては言えない。やつらには何かがあるわけじゃないし、逆に何かがないわけでもない。  存在が成立できる範囲の最も小さな一点に立っていて、そこから決して踏み出すことはなく、自身の影に最も近く、僕には実態をとらえることができない。 それがAとBとCという男たちであり、もしかしたらDもEもFもいるのかも知れないが、できれば知りたくない。  「こんにちは・・・・・・」僕はおどおどしながら言った。  「で、ありましたか?」Cはさっそく本題を切り出した。  「いや・・・・・・」僕は答えに窮した、10秒くらいの沈黙があった、Cはただ黙って僕の言葉の続きを待っている。「見つかりませんでした、家の中を隅から隅まで探したんですが・・・・・・」  「それで?」今度は、Cは黙っていられず、先を促した。そういうやつらなのだ、他人の心情の揺れ動きを敏感に察知し、それに対応する言葉を放つことに長けている。Cは僕に言い訳を考える隙を与えなかった。  「つまり、何も証明できるような物は無かったんです」僕ははっきりと言った。  「では残念ですが」Cは何の感情も込めず言った。「お返しすることはできませんので・・・・・・出直して頂けますか? 書類をそろえてもう一度お越し下さい。本当に申し訳ありませんが・・・・・・お願いします」  AやBやCが僕に対して提出を求めている、「書類、書類一式、必要書類」、彼らは色々な言い方をして示すが、僕にはそれが一体何なのかさっぱり検討がつかない。  そして、僕は一体それらの書類を纏めて彼らに提出して、一体、何を返還して貰うつもりなのか? 僕には心当たりがない。    なのに、僕は週に一度必ず、重たい扉を押す。そしてAかBかCと面談を行う。電話が掛かってくるのだ――彼らの声は全く同じに聞こえるから、誰が掛けているのかは分からない。でも確かに3人のうちの誰かだ、それは確かだ、あるいはDかEかFか……考えたくはない。これ以上分からないことを増やすのは、馬鹿のやることだ。    「明日、○○○にお越しください。必要書類を揃えて、ご持参下さい。時間はいつも通りで結構です。お待ちしております。ではよろしくお願いいたします」  いつでも僕を身震いさせるコール音、冷め切った切断音。ガチャリ。100年に1度の猛吹雪に見舞われた遭難者の氷死体よりも、ずっと冷たい切断音。ガチャリ。  僕の記憶は正常だ。抜け落ちている記憶なんてない。僕の時間認識は一貫している。それが僕の信条だ。毎夜、その日の出来事を日記を付けなければ眠りに就けない。僕の信条であり、習慣だ。  ここ10年間の日記を、2日がかりで―――その間僕は一睡もしなかった―――「隈なく読み返した。2つの結論を導き出すことができた。  まずだいいちに、僕の日記には、欠落している日付はなかった。1日も欠かさず僕は日記を書き続けていた。僕の時間認識は一貫している。それが僕の信条で、その確信を新たにすることができた。僕はこの点に関して、安心した。  2つ目の結論として、重たい扉の先のあの部屋についての記述は、一切存在していなかった。AについてもBについてもCについても同様に、あんなやつらに関する記述はどこにも存在していなかった。2つ目の結論に関して、僕が不安を覚えない理由はなかった。  誰に、どこで、どのようにこんな習慣を植え付けられた?   必要書類とは? 返却物とは?  大体、いつから、僕と彼らとの面談が始まったのだろうか? 

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