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 それから涼太郎は、頻繁ひんぱんにやってきては甲斐甲斐かいがいしく悠人の世話を焼いた。食事や身の回りのことはもちろん、よく眠れるようにアロマを焚いたり、ハーブティーをいれてくれたり。休みの前日には泊まってもくれた。  涼太郎には感謝しながらも、やはり悠人は立ち直れない。泥沼の中を歩いているように、心も体も重たかった。ふがいない自分が腹立たしかったし、涼太郎にも申し訳なかった。わかってはいてもどうしても泥沼からはい出せないでいた。  ある日、涼太郎が独立しないか、といった。 「悠人が自分のブランドを作るんだ」  それはデザイナーとしての夢だ。涼太郎はたたみかける。 「ターゲットは誰? 年齢層は? パタンナーを見つけないと。あと縫製工場も。最初はオンラインショップから始めよう。ロゴも発注しよう」  頭にかかっていた真っ白い紗が薄れていく。 「軌道に乗ったらセレクトショップにもおいてもらおう。そのうち靴やバッグも展開しよう」  自分の思い描いていたデザインがあふれてきた。どんどん、どんどん湧いてくる。涼太郎は何冊ものスケッチブックを買ってきて、あふれるデザインをこれに書け、といった。  いわれたままに書いていく。頭に浮かんだものを書きつける手が追いつかなかった。そうやって書いていると佳乃のことは考えなくてすんだ。のめり込むように作りつづけた。  涼太郎が全部おぜん立てしてくれて、いつのまにか会社ができ上っていた。  .future  それが悠人のブランドだった。 「おまえはただ作ればいい。あとは全部俺がうまくやるから」  涼太郎のそのことばに甘えて悠人は服を作ることに没頭した。悠人の才能がデザインならば、経営が涼太郎の才能だった。情報収集というのか市場調査というのか、そういうことに涼太郎は長けていたのだ。  うまいこと波に乗って.futureは人気ブランドになった。悠人のデザインが日の目を見たのは、ひとえに涼太郎の経営戦略のおかげだった。 「すこしでも気が散ると、佳乃のことを思い出してしまうからデザイン以外のことは考えないようにしてたんだ。外の世界から目を背けてた」  なるほど、浮世離れの原因はこれか、と玲奈は思う。 「そのうち、佳乃のことはほんとうに忘れてしまったんだ」  玲奈は悠人の頬をむぎゅっとつかんだ。 「名前を呼ぶな」 「ごめん。あいつのことは忘れた」  玲奈はくしゅっと顔をしかめると、やっぱり名前でいい、といった。 「あいつ、のほうがムカつく」 「ごめん。でも玲奈に会って、玲奈が一番になって、玲奈以外の女はどうでもよくなった。これはほんとうだよ」 「うん」 「服を作る以外で、はじめて大切なものができたんだ」 「うん」 「それなのに」  玲奈を抱く悠人の手にぎゅっと力が入る。 「目の前に佳乃があらわれたら、頭が真っ白になって動けなくなった。またあのときに引き戻されるようでこわかった」 「だいじょうぶ。わたしがついているから」 「うん。もう会いたくない」 「わかった。わたしが会わせないようにするから、安心して。仕事が終わるまで待っているから、いっしょに帰ろう」  悠人は安心したように、ようやく腕をゆるめた。  かわいいなぁ、コノヤロー。でかい図体をしてふだんはふんぞり返っているくせに、たまに弱ってこうして甘えてくる。「俺様」は悠人の鎧なのだ。ガチガチにかためて目に見えない敵に立ち向かっている。その鎧を脱げるのは玲奈と涼太郎の前だけだ。  ゼロからなにかを創りだすのに、いったいどれだけのエネルギーを費やすのか。そして放出されたエネルギーの反動は如何いかばかりなのか。玲奈には想像もできない。  寝入りばな、たまに悠人は玲奈の懐にもぐりこんでくる。あやすように頭をなでてやると、安心して眠りに落ちる。たぶん、こうやってバランスを取っているのだ。最初に会ったときに感じた脆さの正体はこれだったのかと思う。玲奈がいなかったときにはどうしていたのだろう。あまり考えたくはないが、癒してくれる彼女がいたのかもしれない。  昔の女の存在はすこしムカつくが、いま悠人の緩衝材になりうるのはわたししかいないのだと、玲奈は優越感にひたる。さすがに涼太郎にここまで甘えないだろう。

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